● HDTV覚書「表現とは<何を見せないか>ということだ。4K/8Kから新『捻じ曲げ族』が生れるだろうか?」(前川英樹)
で、社内で試写上映(デモ)をやることになった。
その時、あの「ソニーの担当者に会ったらどうか」と薦めてくれ人物が「試写会に社長を呼ぼう」といったのだ。全くぼくの頭にはそんなことは思い浮かばなかった。「いや、こういうことを社長が認めること、ともかく社長に足を運ばせること、それが肝心なんだよ」という。「自分が社長秘書に話をつけてくるから」というのだから、「じゃあ、お任せします」ということにした。早い話が、その時ぼくは、なんか良く分からない技術局の勢力争い?(アンチ主流の道具としてのHDみたいな?)に取り込まれていたのかもしれない。いろんなことがあるものだ。
[テレビ局がテレビを超えるために]
ソニーの協力で、TBSの中でHD開発はなんとか認知された。オーバークォリティーという声は相変わらずあったが、テレビ放送ではない映像分野にテレビ局が進出するためにもHDをやるべし、と力説した。この論理、「テレビ局が自らテレビ超える」という理屈は、今でも何か新しいことをするときの決め台詞になっているようだ。実際、そうなんだから、仕方がない。それから4年、毎年1回程度の実験的制作しデモを重ねて、このレポートの前半にあるHD作品の制作とコンクール参加でNHKと勝負をすることになったのだった。
多少の自負を持って言うのだが、TBSがHDをやっていたから(民放他社に比べれば圧倒的にレベルも高かった)、そしてその後、他社もなんとか動き出したことから民放のBS参入の道が開け、デジタルBSへの転換にも対応し、地デジも既存事業者優先という展開になったのだと思う。放送インフラ分野でNHK一人勝ちにならなかったのは、民放もHDをやってきたからだ。にもかかわらず、HDによる番組制作は革命的にならなかった。編成・制作・報道から民放が変わることは困難だろう、だから<条件>から変えてしまえ、そうすれば経営が危機感を持ち、テレビが変わるかもしれないと思ったのだが、そうは簡単にいかなかった。<条件>とは、HDであり、今はネット(入れ子構造論)であり、などなどだった。
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