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20131/28

1・28【「新石器革命に比べたら、IT革命なんて冗談のように見えてくる」ということを中沢新一さんに教わった】前川英樹

志村さんポストと稲井君ポストについて、「一人称・個人目線」を軸にして2回書いた。
http://ayablog.com/old/archives/21373 http://ayablog.com/old/archives/21385
そうこうするうちに、志村さん、山脇クンのCESレポートがアップされている。それを読んでいて思ったのは、道具や技術と人間の意識の関係ということだった。これは、志村さんが「電器」という言葉を使っていて、もちろんかつての松下電器のようにそれは特別な用語ではないが、その「電器」という文字を眺めているうちに、そこからちょっと飛躍して「石器」という言葉が連想され、そうするとどうしても新石器と旧石器というところにいってしまう、言葉遊びのようなものだった。
だが、そこから「新石器革命」の重要性を語ったのは中沢新一だったと思い出して、何冊か本を引っ張り出してページをひっくり返すことになってしまった。
というわけで、今回は、引用に継ぐ引用になってしまった(引用部分の下線や太字は引用者)。
・・・が、それはそれで結構刺戟的かもしれない。

まず、ニューロン・ネットワーク(脳内機能)、認識、思考と新石革命。それらは総体的関係なのであって、単純な因果関係ではないのだろう。
それが、「IT革命なんて冗談みたいなもの」ということにつながる・・・ということについて。
ぼくの理解では、人間が自然のサイクルから一歩踏み出したことを、新石器革命というのだと思う。

「(現生人類の祖先の)脳の中に異なる認識能力をつないで、自在に流動していくニューロン・ネットワークが形成されるようになってはじめて、それまでとは異なる認識領域に蓄積されてきたたくさんの知識が、神話に組み立てられるようになったのではないでしょうか。哲学的思考というものの最初の火が、そのとき(またた)きだすのです。ネアンデルタール人たちは死の現実を記号化することはできましたが、現生人類たちはそれを『意味』にまで組織化することができたといえるでしょう。
この人々が長い期間をかけて、新石器革命を準備します。そして今から八千~一万年ほど前、地球上のいくつかの地点で、新石器革命が起こっています。農業が開始され、動物の家畜化が行なわれるようになります。・・・おそらくこれは、人類が体験したもっとも巨大な革命です。その後、今日にいたるまでこれに匹敵するほどの革命はなされていません。現代文明でさえ、新石器革命の土台の上に開花したものですし、これに比べたら、フランス革命やロシア革命もIT革命も冗談のように見えてきます。」(「人類最古の哲学」 <カイエ・ソバージュ>Ⅰ 講談社選書メチエ)

次に、記号と意味、そして言語。
デジタルは、あるいはインターネットは、どこまで人の「知性」に関わりうるのだろうか。
デジタル技術の特性は、「符号化」「圧縮」「誤り訂正」にあると教えてくれたのは、優れたテレビ・エンジニアの清水孝雄君だった。符号(=記号)と意味。

「・・・異質な領域の間を自由に動き回れる『流動的知性』の発生によって、人類は物事を『記号』でなく『意味』として理解できるようになったのでした。
これをきっかけにして、言語というものがいまあるかたちに組織化されるようになります。人間が知っているあらゆる言語は、隠喩の軸(バラディグマ軸)と換喩の軸(シンタグマ軸)の組み合わせとしてできていることがわかっています。それ以外の言語はないのです。ですからよく言語は人間の(しるし)、と言われることがありますが、もっと正確にいえば、言語を可能にしている『比喩』の能力こそ人間の徴であり、それを可能にした流動的知性の働きこそ、もっとも根源的な人間の徴である、ということになるでしょう。」(「熊から王へ」同Ⅱ 同)

今=氷河期以来の曲がり角。
その時、情報革命はどういう意味を持っているのだろう。

「第一次の『形而上革命』である一神教の成立がもたらした宗教は、新石器革命的な文明の大規模な否定や抑圧の上に成立している。その抑圧された『野生の思考』と呼ばれる思考の能力が、第二次の『形而上革命』を通して、装いも根拠も新たに『科学』として復活をとげたのである。現代生活は、三万数千年前ヨーロッパの北方に広がる巨大な氷河群を前にして、サバイバルのために脳内ニューロンの接合様式を変化させることに成功した人類の獲得した潜在能力を、全面的に展開することとして出来上がったが、その革命の成果がほぼ出尽くしたのではないか、という予感の広がりはじめているのが、今なのである。
私たちはこういう過渡期を生きている。第三次の『形而上革命』はまださきのことだ。そういう時代を生きている知性に与えられる課題は、洗礼者ヨハネのように、魂におけるヨルダン川のほとりに立って、きたるべきその革命がどのような構造を持つことになるかを、できるだけ正確に見通しておくことであろう。・・・(略)
・・・それは、今日の科学に限界づけをもたらしている諸条件(生命科学の機械論的凡庸さ、分子生物学と熱力学の結合の不十分さ、量子力学的世界観の生活と思考の全領域への拡がりを阻んでいる 西欧型資本主義の影響力など)を否定して、一神教の開いた地平をまだ未知に属するあたらしい思考によって変革することによってもたらされるであろう。」(「対称性人類学」同Ⅴ 同)

 

ニューロン構造の変化=こころの新しい領域=表現=芸術
芸術-表現-「野生」-本質
デジタルとアナログを並列的にあるいは言葉遊びとして、ないしはデジタルを[+]アナログを[-]として語ってはいけない。アナログの深い意味を知ることが必要だ。
もちろん、その場合アナログとは人間の存在のあり方の問題なのだ・・・と、中沢新一が直截的に言っているわけではない。ぼくがそう読んだということだ。
では、デジタルは、そこにどう関われるのか?

「十万年ほど前のアフリカに、それまで生きていた人類とは違うタイプの人類が生れています。新人と呼ばれるその新しいタイプの人類は、一体それまでの人類(旧人)と違っていたのでしょうか。新人も旧人も外見的にはそれほど違っていません。しかし、大脳の内部のニューロンの構造に、決定的違いが発生していました。それまで接続できなかったニューロン同士の間に、新しい接続ネットワークがつくられ、それによって人類の心にそれまでなかった新しい領域が出現するようになったのですね。
・・・その結果、それまでは別々の領域に分離されていた心の動きがひとつになって、そこに比喩や象徴を生み出すことのできる、異質なものの重なり合った「表現」をおこなえる心がつくられるようになりました。そしてそれと一緒に芸術が発生したのです。」(「芸術人類学」みすず書房)

「私たちの心の内部には、まだ『野生』の沃野が残されています。どんなに合理的な社会管理システムが世界を覆い尽くす勢いを見せているとはいえ、私たちの心から現生人類の最初の飛躍を記念するあの偉大な徴は、消え去ってはいません。いや、人類が生き残ってあるかぎり、その徴は消えようがありません。芸術は私たちの心の奥底に眠っている、この記憶の領域、いまだに野生を生き続けているこの思考の領域を、表現の中に取り出してみたいという欲求を抑えることができません。・・・私たちの中にはいまだに野生の領域が生きていますそれどころか、人間としての私たちの本質をつくっているものは、そこにしか存在していません。」(同)

 

***

「デジタルはただの道具か、はたまた人間存在に関わる革命なのか」という議論は、少なくともここで中沢新一が語ろうとしている地平にまで引いて(あるいはそこを俯瞰して、または掘り下げて)とらえ返されるべきであろう。
・・・ということに気づかせてくれた、志村さんや稲井君、そして「あやぶろ」に参加してくれたみなさんに感謝する。
そんなこと考えていても、ビジネスにならないって?
ビジネスになるかならないかというより、ビジネス以前、あるいはビジネスを超えることを考えるのが根本なんだと思うけどね。それが、メディアに関わるということだ。些か形而上的になるのはやむを得ない。なにしろ、中沢さんと一緒に「第三次形而上革命」を展望しようというのだから。
“せんぱい”のやることはまだありそうだ。
それにしても、Ⅱ「神の発明」、Ⅲ「愛と経済のロゴス」を加えた「カイエ・ソバージュ」(2002年~2004年)全五冊はとても刺激的で、知的興奮を味わった本だった。
カイエ=ノート、ソバージュ=野生、の意味だという。

*******

最後に「ネットモバイル時代の放送」(民放連研究所編・学文社)についての記事と書評を紹介しておきたい。自分が関わった仕事をこういう風に見ていただけて嬉しい。
どちらも、電車内でケータイ、スマホ、タブレットに圧倒されて、社外の風景や活字に眼を落とす人が切なく見えるところから書き出しているところがどことなくおかしいが、やはり読むべきところは読み込んでいて、流石だ・・・と、評される側が言うのは僭越というものか。
鈴木典之さん、松尾洋一さん、ありがとうございました。

ネットモバイル時代・表紙

放送人の会会報・新刊紹介

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前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸 隠。

 

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