● HDTV覚書「表現とは<何を見せないか>ということだ。4K/8Kから新『捻じ曲げ族』が生れるだろうか?」(前川英樹)
[蹴手繰りでも出足払いでもいい、NHKに勝とう!“捻じ曲げ族”の挑戦]
あの頃(1984年に制作現場から総合開発に異動)、HDTV(ハイビジョン)担当だったぼくは“蹴手繰りでも出足払いでもいいからNHKに勝つ”を目標にしていた。東京オリンピックでカラー化を実現したNHKは、次世代テレビは高品位テレビ(HDTV、後のハイビジョン)という目標設定をして、衛星放送とセットで開発を進めていた。だから、NHKは豊富な人材、機材を駆使して圧倒的力を発揮していたが、それ故にと言ってもいいだろう「ハイビジョン=情報量が5倍=きれいなテレビ」という概念を超えられなかったのだ。
一方、地上波NTSCでビジネスとして大成功の民放には縁の薄いものだった。なにしろ、地上波では実用化出来ず、互換性(コンパチビリティー)もないのだから当然といえば当然だった。その中で、ぼくたち(といっても、ごく一部の人たちだったが)は放送概念を超えて、というより現行テレビを乗り越えるためにHDTVが“何か”になるのではないかと思い込むことにした。それに、一方ではBSの足音も聞こえ始めていたのだ。
ところで、技術と表現、あるいは表現から見た技術という視点は、映画、テレビ、コンピューティング、などどの分野では基本的なテーマである。だから、ハイビジョンという名前で呼ばれ始めたHDTV(High Definition TV)に出会ったぼくたちは、「高精細映像であればこそ、表現のツールとしてどう使いこなすか」を追究しようとした。当時のHD機材の弱点を敢えて避けなかった。逆光の映像は高精細度の特徴が削がれるし、雪の風景の反射はカメラにとってきつい条件なのだが、TBSの現場はそういうことには委細かまわずHDという道具を試していた。あるいは、黒はテレビ映像の一番弱いところだ(テレビという電子映像では本質的に本当の黒は出ない。そこがフィルム映像と違う)が、ではどの程度黒が出せるかということをやって見ようとした。後述するような事情からHD機材で協力してくれたソニーのスタッフは、HDの良いところ、色の再現性、精細度、シズル感などをアピールしたかったので、TBSの収録現場で困惑していた。総合プロデューサーというぼくの立場ではソニーの気持ちも分かるのだが、新しい道具で何が出来るのかを知りたい制作者たちは、どんどん撮りたい映像を撮っていった。もっとも、試作機段階で現場がどういう使い方をするかということは、実用化=商品化(海外市場も含め)を目指すメーカーにとっては非常に貴重な情報になっていたはずだ。
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