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20116/3

「クーデルカ写真展-“1968年”という時代があった-“2011年”はフクシマの年か」ー 前川英樹

1968年は現代史の中で特に記憶されるべき年かもしれない。
この年の8月、ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍がプラハに侵攻し、チェコスロバキアの民主化を押し潰した。それは、ベルリンの壁が解体された1989年(第2次天安門事件も)、“9.11.”同時多発テロが起こった 2001年、と並ぶ“世界史的な年”であろう。今年、2011年も”北アフリカ・中東 ジャスミン革命”の年として記憶されるだろうか、あるいはフクシマの年として・・・。

[写真展の入場チケット]
S4BnbLTKnk.jpgソ連軍などの侵攻に抗議するゼネストが始まって、広場には誰もいなくなった

J.クーデルカ(1938年生)は、もともと報道写真家ではなかった。たまたま、ロバ(ジプシー)の写真取材の合間にプラハに戻っていた時に“事件”にでくわしたという。それにしても、ここに展示された写真は感動的だ。写真家が事件を撮ったのではなく、起こりつつあることに向き合った市民が写真を撮ったという、そういう写真である。対象との距離感がいわゆる報道写真とは違う。「記録者も記録される」という、そういう写真ばかりだ。
おそらくソ連軍人であろう戦車の指揮官や兵士たちに「君たちは何故ここにいるのだ、その訳を言いたまえ」とでも語りかけているようなプラハ市民たち、あるいはその情景を目に焼き付けておこうと見詰める女たちの不安と脅えの表情。ゼネスト開始の時間とともに、誰もいなくなった広場と街頭。そして、ラジオ局を巡る侵攻軍と市民との攻防。マスメディアの争奪が、権力闘争の焦点だった時代があったのだ。
写真を見ながら、「今だって、権力はマスメディアを支配しようとするだろうが、市民はマスメディアを権力に渡さないために戦うだろうか」と思った。冷戦構造崩壊後の政治形態の変化に加え、21世紀的なソーシャルメディアの発達は、権力のあり方を変えたと思うが、それがどの程度のものなのか、現象的に変わったが構造的には変わっていないのか、それとも構造的に変わってしまったのか。いや、そういう問いは無意味だろう。マスメディアが夫々とどういう関係を構築するかは、マスメディア自身の問題だからだ。

1968年のチェコ(プラハの春)における自国の権力、外国軍、メディア、そして市民という入り組んだ関係は、写真からだけでは見えにくいが、写真展にはソビエト社会主義とは違う選択をしてしまった(人間の顔をした社会主義、といわれた)チェコスロバキア共産党のアピール、ソ連国営通信社タスなどが伝える“アッチ側”の情報、壁に書かれた抗議のポスター、そしてソ連に屈服せざるをえなくなる経緯の記録なども展示されていて、刻々と変化する政治のダイナミズムが感じられる。
「レーニンよ目を覚ませ、ブレジネフの気が狂った」というのは傑作だが、この痛烈なユーモアは21世紀には通用しないのだろうか・・・。「イワン、家に帰れ ナターシャが待っているぞ」の方がわかりやすいか。こうした精神が地下水脈となって、20年後のビロード革命につながった。

これは、空腹でなくても、空虚でなくても、人々は街頭に出たという記録である。

[写真展会場配布パンフレット]
whWulKfS7V.jpg抵抗する市民たち

これらの写真は秘密裏に国外に持ち出されて、1年後に「チェコの匿名の写真家」というクレジットでマグナムから配信された。クーデルカは、匿名のままロバート・キャパ賞を受賞する。クーデルカが自分の写真であると公にしたのは16年後だった。(この項、写真集「ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻 1968」より要約)

1968年のチェコについての文献はいろいろあるだろうが、ぼくたちは文庫版として再刊された「お前はただの現在に過ぎない」というテレビジョンについての優れたドキュメントで、「自由プラハ放送」について、プラハ市民の抵抗について、そしてメディアと政治のドラスティックな関係について、など同時進行する状況からその時代のテレビマンたちが何を感じていたかを知ることができる。チェコの事件も、「パリ五月革命」と呼ばれた学生運動やフランス放送協会(ORTF)の戦いも、日本の全共闘も、TBS闘争と同じ1968年だった。

写真展を観て何よりも思ったのは、日本人はこのプラハの市民のような表情をすることがあるのだろうかということだ。あの「不当なものは不当だ」という真っ直ぐな強い視線。東欧の小国は、チェコに限らずなんども強国に屈服させられてきた歴史を持つが、その彼らが国家というものにどういう感情を持っているか、ぼくたちの想像を超える。ナショナリズムと一言でくくれないものが、そこにはある。
昭和20年の敗戦時に、「一億玉砕」が「一億総懺悔」にあっという間に変わってしまい、「終戦の詔勅」を受け入れるという形で天皇制国家を結局のところ継承しているこの国の人々のメンタリティーと、プラハ市民の表情とは、ついに接点を持つことはないのであろうか。被災地を訪れた天皇皇后が何よりも癒しであることは、政治レベルの問題とは別に、やっぱりそうなんだよなと、説得的に思ってしまう。私たちは、それに代わるシステムを持っていない。これこそ、最大の「心の習慣」か・・・。「近代の超克」を超克できないでいる、私たち。

               □

そうであるとして、いや、であればこそ、2011年に日本人がどういう表情をしていたかという記録は、この年に何が起こったのかという記録とともに、夫々の土地に建てられるべき震災記念館に保存され、公開されなければならない。
報道機関に出来ることは、そういうことだ。

明治維新・敗戦・東日本大震災、つまり日本の近現代を“パッケージ=串刺し”で考えること。そのとき、私たちの立ち位置は何処だ。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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