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20115/31

[「ハブ」“的”の過激性について、など・・・河尻さん、チョット教えて。] 前川英樹

5月23日の河尻さんポスト「時代をリ・パッケージする―『調査情報』あるいは『Chim↑Pom』」について、前回ノートしなかったことがある。今回は、それについて質問という形で補足したい。河尻さん宜しく。
河尻さんは、そこで、「(「Chim↑Pom」の岡本太郎作品への“二次創作的行為”について)僕は彼らのシンパでもないしファンでもないのだが、その方法論には僕が考えている『アクション・ジャーナリズム』に通底するものがある気がしている。・・・簡単に言うと、アートパフォーマンスを通じて時代を身体的に記録する試みである。ここには『おまえはただの現在にすぎない』が提示したことにも近い何かがある気がするのだが……」と書いている。
“二次創作行為”っていう言い方がいいね、あれはいたずらや冒涜ではない、と直感的にぼくも思った。と、いうことはさておき、「『おまえはただの現在に過ぎない』が提示したことにも近い何か」ということをぼくなりに推測すれば、それは当時の村木さんの方法論の一つであるアクションフ・フィルミング(コラージュによる時間表現)とか、後の今野さんのドキュメンタリーにおける演出論(と、やらせ論?の関係)につながっているように思う。だから、河尻さんがそう直感したのはアタリだろう。
その後河尻さんはこう続ける。「時代(福島)に対するアクション→ソーシャル(youtube)を通じた問題提起→他メディアの関与→リアルスペースでの展示」の流れにも意図を感じる。もし彼らがマスメディアによる“仕業化”までをも作品の一部と想定しているのであれば、僕の言うマスとの「ハブ」的機能も果たすことになる。逆手にとったコラボレーションにより批評性が生じるだけでなく、この流れは時間軸をも含み込んだ『ソーシャル・パッケージ』の可能性をも示唆している」と。
もし河尻さんのいうとおりだとすると、「Chim↑Pom」ってかなり優れた連中なんだ・・・僕は知らなかったけど。かつて、赤瀬川源平がやろうとした(あるいは、やった)ことや、マッド・アマノのパロディーの水準だと思っていいのだろうか。二人とも結構マスコミのリアクションを織り込んで“仕掛け”たように思えたんだけど、あれもある種のハブ的行為だったのだろうか(話が、少し古いか?)。 
ついでに、ジュリアン・アサンジがマスメディアを意図的に使っている(といわれていて、多分そうなのだろう)が、それって河尻さんから見ると「ハブ」的ということになるのだろうか。
そうだとすると、つまり赤瀬川源平からジュリアン・アサンジまで、あるいはもっと?の幅だとすると、「ハブ」的って、過激というか凄いね。
このあたり、河尻さんはどう思っているのか、教えてくださいな。
ついでに、アクション・ジャーナリズムについても一言。つまり、アクション・ジャーナリズムって、「空腹や空虚ではなくても人は街頭に出る」ってことだと思うのだが、どうなのだろうか。このことは次回書くであろう、写真展「ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968」につながる話かもしれない。あるいは、同じ年のパリで「壁は語る」といわれた表現行為にも。
アッ、それからもう一つ。「ソーシャル・パッケージ」って、すでに一般的に使われてる言葉なの?そうだとするとぼくの不勉強なんだけど、「時代(福島)に対するアクション→ソーシャル(youtube)を通じた問題提起→他メディアの関与→リアルスペースでの展示」という例示があるように、こうした複合的・総合的な方法、あるいは個=主体が関わる多層的な関係性をパッケージして提示し、それにより多様な乱反射的リアクションを惹き起そうとする行為、というような意味で良いのだろうか。
                         □

「さよならゴジラたち-戦後から遠く離れて」(加藤典洋・岩波書店 2010)を読んでいたら、日本社会の特徴は「共同体主義」で、そこには「特殊意志(社会内社会の特殊な意志)」だけがあり、社会の総体をくまなく覆う結合の論理としての「一般意思」がない。(本当は)一人ひとりが違う差異に立脚した結合こそが必要なのだ。前者を原理とするものを「共同性」、後者のそれを「公共性」と呼ぶ、というようなことが書いてあった。そうか、「共同性」と「公共性」は違うのだ、加藤さんによれば。これはチョット考えどころだ。メディア論としても、またソーシャルキャピタルや「心の習慣」を考えるとしても、何かヒントになるかもしれない。

                         □

避難生活が長引いて、人々の心が荒れてきたという話を聞いた。「そうだろうな」と思いつつ、切ない。「沈没」から救うべきは人々の生活であり、心であろう。これも「共同性」と「公共性」に関わる問題だと思う。議論をしている場合ではない、といえばその通りだが、でも今自分の言葉で考え、語ることは、やっぱり必要だと思う。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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