【せんぱい日記】ドキュメンタリードラマの難しさ、など。(前川英樹)
8/17(土)
歩く。
歩いていると、いろんなこと、つまり例えば屈託などというものがだんだん遠くなり、ただ歩くという行為に集中していく。といって、禅僧のように(といって、禅が分かっているわけでは全くないのだが)無想の境地になるわけではない。あれこれと思いは浮かぶのだが、それが景色と一緒に後ろへ後ろへと消えていく。それが良い。そうすると景色が新しく見える。
NHK「緒方貞子 命をかけた支援」。
この人はなかなか凄いというか偉いというか、そういう人なんだ、と率直に思う。生れ育ちの良さが強さとして現れている。そういう人がいるものだ。氏より育ちというが、氏というのもなかなかなものなのだ。
記憶に残るいくつかのコメント。
「(かつての日本を考えると)内向的であるということであり、それは無知だということなのです。」
「まず、“やる”と決めましょう。それからどう動くか考えましょう」
「隣の人とは違うということを認めることで、尊重ということが生まれる。だから、より理解しあうべきなのです。」
ということとは別に、ドキュメンタリーの中にドラマ部分を構成する作り方が凄く多い。今年の敗戦(終戦ではなく)企画を通じて感じられたのはそういうことだった。
ドキュメンタリー・ドラマという手法は「欧州より愛を込めて」(テレビマンユニオン/TBS)が開発して以来だろうか、スペシャル枠などで多用されるようになってきた。
ドラマベースの番組で、時代状況を記録映像あるいは現在の“その場・その人”などを新たに取材して構成する場合と、ドキュメンタリー中で“再現”としてドラマ表現する場合がある。
手法の多様化により“意図”がより立体的に表現されることは良いことだし、そのようにして方法は進化し深化する。
しかし、その反面、(再現という)方法に依存することは制作者と表現の関係が弛緩することにもなり、番組全体の緊張感を失わせる。それでは、視聴者が一義的に「見たい」と思っているもの超えて制作者の意図を伝え、それによって受け手の無意識に踏み込むような番組にはならない。
という意味では、「再現」がやや安易な方法になっているのではないかと思われる。
「テーマよりもモチーフを、モチーフよりもマチエールを」(谷川雁)という言葉を思い出す。
8/19(月)
「放送人の会」。
新会員勧誘パンフレット校正。
8/21(水)
今日も「放送人の会」。
事務局のある紀尾井町から今野勉さんとの打合せでテレビマンユニオンのある表参道まで行こうと外に出たら、雷雨。この頃の気象傾向だとしばらく激しく激しく降り続くだろう。地下鉄だと降りてから地上を5分ほど歩くのでタクシーに乗った。
外苑前付近
・・・が、予想外れで思いのほか短時間の通り雨。青山では空が明るくなった。
8/22(木)
長野。
信越放送OBの内山さんと明日ゴルフ。
夜、歓談。
コメント
ワンセグ全番組タイムシフト視聴は視聴率を下げるのか検証してみた〜ガラポンTV視聴ログより
リアルタイムの放送をテレビで視聴する人が増えることは良いことです。 言うまでもなくこれは「視聴率が上がる」ことを意味します。 &nb…
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