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201110/20

ビックリして、感心したけど、少々困惑もした…「まどか☆マギカ」を見て思った事―若い友人を持つことはいい事だⅡ― 前川英樹

須田さんポスト「前川せんぱいに、まど☆マギを薦めたワケ」を読む前に、「まど☆マギ」の感想を書いてしまった。そのほうがよかった。先に須田さんポストを読んでいたら、感想はそっちに引っ張られていただろう。ものには順序があるというが、たまには順序を守らないほうがよいこともある。須田さんポストについては、最後に触れる。

「まどかはこの宇宙に概念として固定されてしまったのだ」という(ような)台詞が出てくるアニメに、二つの意味で唸ってしまった。
アニメで何が語れるかという意味では、アニメの可能性、あるいは日本のアニメの質の高さに感心した。こんなアニメは世界中どこにもないだろう。個としての存在と類としての人間、知的生物であると同時に感情的存在としての人間、など人間についての問いかけが、多重的・螺旋的なストーリー構造で描かれている。魔女と戦う魔法少女が、最後に魔女になるしかないという設定(希望と恨みの等価性)は衝撃的だった。まことに、思弁的にして存在論的世界が差し出されているのである。感心した。3回目か4回目あたりから、話はどんどんそういう展開になっていって、少々びっくりしながら、結構見入ってしまった。「まど・マギ」がどれほど手間のかかる創作過程を経ているのかも見れば分かる。ということも含めて、2日間で12話見てしまったということは、面白かったということだ。唸ってしまった所以である。ただ、ずうっと< 少女声>を聞き続けるのはちょっと疲れたけど。(下の写真は、Madoka Partners/毎日放送製作のDVDジャケット)
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それはそれでそれを良しとするとして、一方では、一体誰に向かってこの世界は提出されたのだろうか、とも思う。中学生の少女が主役のこの話を、自分が向き合うべき世界として、例えばドストエフスキーやカフカを読むように、いやそれでは古典的になりすぎだろうから、ブニュエルやペキンパーの映画とか寺山修司や唐十郎の舞台を観るようにとでも言っておこうか、若者たち(でなくてもいいのだが)が見るのだろうか。きっとそうなんだろうと思いつつ、その風景が上手く自分の中に落ちてこないのだ。実にそこに不可思議不可解な思いがある。そう言うことをいうこと自体が、カルチャーとサブカルチャーを順位付けする前世代的残滓だということなのかもしれない、とこれはこれで唸っている。
と、思いつつ、60年代に白土三平やつげよしはるの劇画を読む若者(つまり、私たち)のことを、変な若者が登場したと世間は言ったものだった、ということも思い浮かんだ。劇画により< 世界>を描きうる可能性、それと同じだといえばそうなのだ。そうした土壌があればこそ、半世紀を経て「まどマギ」は誕生したのだろう(註)。それでも、少女たちが繰り広げるドラマを見入っている少女ならざる者たちへの違和感、なんか変だなぁ、という感じが残った。東日本大震災の影響で延期されていた最終回のテレビ放送の視聴率やBD売り上げの数字から、相当な人たちが< 強力に>支持していること(社会現象化?)を認めるとして、である。自分はそこにはつながらないだろうという感覚が、やっぱりある。
とはいえ、私の書架にだってベンヤミンと山田風太郎と古本の「ガロ」がある。同じように、彼らの机には「まど・マギ」の横にゴダールの映画のDVDやフーコーの本が積んであるかもしれないのだ。そう、世界を一つの色で見てはいけない・・・ということか。うーん、そうなのかなァ・・・。

註:ということを、河尻さんに話したら、「アニメとつげ的とはルーツが違うから、つながっていません」と言われてしまった。そうなんだろう。ただね、サブカルが社会的に認知され定着するという流れは、やはり60年代半ばからではないだろうか。

それから突然だが(と、今回はほんとにしまりのない書き方になっていると、われながら思うのだが)、55年体制の長期固定化のもとで経済繁栄を極めた果てのバブルの崩壊は、多くの人たちに初めての危機感を与えただろう、特に当時の若者たちに。その反映が「まど・マギ」にありはしないか。それとも9.11のそれか。そうだとすると、3.11の後にどのようなアニメが登場するのだろう。世界に類のないアニメ文化は、それを支える世界に類のない者たちがいて成立する。それは、世界に先行して登場したポストモダンなのか、それともガラパゴス系の成長・成熟なのか。
私の予感は、この国はますますガラパゴス化するだろう、そしてそのようにしか生きられないだろう、ということだ。そして、それはNYのタイムズ・スクエアやローマやマドリッド、あるいはその他の都市に集まる若者たちのように、日本の若者たちは行動するだろうか、という問いにつながる。

感想がぐるぐる回りしているのは、それだけの刺戟と混乱があるからだ。悪いことではない。というより、それ自体が優れた作品だということを意味しているのだ。というようなことについて、誰かが< あや>を取るだろうか。いずれにせよ、次回のリアル「あやブロ会」の話題にはなるだろう。
ついでに、< まどか>はもちろん分かったが、< マギカ>とは何かが最後まで分からなかった。見終わって、Wikipediaで知った。

さて、ここまで来て前回の須田さんポストについてだ。
須田さんはこう書いている。
1.とても「論理的」に作られたフィクションであること。
2.TV番組のある「ジャンル」に対して、批評的な論考を物語の中でしていること。
3.作り手の「革命の意志」というべき決意がシリーズ全体に感じられること。
4.大震災で放送延期された最終回が、結果的に「メディア現象」のような祭りになったこと。
「ロジック」「批評」「革命」「メディア論」。
そう並べてみると、これを前川せんぱいが気にいらないワケがない。
ぜひ、批評・感想を訊いてみたいと思った。
「きっと、前川せんぱいは、まど☆マギを気に入ってくれるに違いない。」

1. と3.については、まことにそのとおりであって、今回の前半にそのことを書いた。
2.は「あるジャンル」というより、「日常(ケ)のメディアであるテレビの中の非日常(ハレ)の欠落」を指すのであれば、これもその通りだ。
4.は「そうだったんだ・・・」というしかないが、3.11の後にどのようなアニメが登場するかという問題意識が生まれたことは触れた。むしろ、3.11と「まど・マギ」放送延期による盛り上がりの間にどういう関係があるかを、もう少し教えてほしいと思った(「待ちに待った」という以上の何かがあるのか、ということ)。
さて、須田さんがそもそもどうしてぼくに「まど・マギ」を薦めたかというと、テレビドラマ「悪魔のようなあいつ」(1975年 TBS)のような、「革命的TVシリーズと、同じような取りくみを『2011年』においてやっているのは誰だろう?」というところから出発しているという。
個人的には「これ、ちょっと違うんだな」という感じだ。
70年代はテレビの革命期は過ぎていて、「悪魔のようなあいつ」も時代的であり、相当程度リスキーな企画だったけど、思想も方法も革命的ではなかった、と思う。多分、久世さんが存命なら、「おれは好きなことをやったけど、テレビの革命なんて考えたことないよ。演出なんてそんなもんじゃないさ。」と言ったのではなかろうか。ディレクターの一人だったぼくもそう思う。
だから、「(70年代の)TVにおける革命というのは、たとえば今ならこういうことですか?」という須田さんの問いに答えるなら、「『まど・マギ』は、そんなものをはるかに超えているから、気にしないでいいよ」ということだ。だからこそ、「まど・マギ」への戸惑いが生まれるのだ・・・ということも素直に書いたつもりだ。もしも、須田ポストを先に読んでいたら、もう少し< したり顔>をしていたかもしれない。「まど・マギ」の革命性をテレビとの関係でいうならば、60年代の「あなたは」(萩元晴彦)とか「わたしの火山」(村木良彦)を観てほしい。

「これを前川せんぱいが気にいらないワケがない」と須田さんは書くが、須田さんポストを読んだことで、「気に入る」というより「気になる」という思いは確かに強まった。だからこそ、「前川せんぱい、まど☆マギ見て下さい縲怩ニ、本当にごく何気なく、メールに書い」てくれる人間関係は大事なのだ。「あやブロ」の効用である。先週の「モテキ」につづいて今回は「まどか☆マギカ」を見たこと、それによりいろんなことを思ったこと、それもこれも自分より若い友人を持ったおかげだ。多謝。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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