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201110/24

「ジャンルを愛し、ジャンルに逆らう。」 ― 須田和博

親愛なる、前川大先輩。

まさに、ご指摘の通りで、まど☆マギの熱狂的ファンの書架には、
まど☆マギマギのブルーレイディスクと、ゴダールのDVD(「ゴダールの映画史」DVD-BOX含む)と、フーコーの著作が並んでいます。

まさに、そうした流れの中にある、女子中学生が主人公の深夜アニメが、「魔法少女まどか☆マギカ」でした。

そして、大震災による最終回放送延期がもたらした、メディア史に残るリアルイベントとは、放送のメドも立たなかった、まど☆マギの最終回が、震災前日に大阪だけで放送された回を含む*、10話11話12話の一挙放送を、深夜3時台から行った際、
待ちに待ったファンたちが、リアルタイム・ツィートしながら鑑賞した4月21日の深夜(正確にいえば4月22日の午前3時から午前4時半まで)のライブの出来事をさします。

(註*大阪では毎週木曜、東京では毎週金曜の深夜が放送日でした。3月11日(金)の深夜の東京での放送は当然のように見送られましたので、大阪でのみ第10話が放送されていました。)

前川大先輩から、あまり言及のなかった「2. TV番組のある「ジャンル」に対して、批評的な論考を物語の中でしていること」について、自主的に補足させていただきます。

ここで指す「あるジャンル」とは、いわゆる「魔女っこモノ」というジャンルを指します。

日本のTVアニメ史に中に、60年代の「魔法使いサリー」、70年代の「魔女っこチックル」から、近年の「魔法少女プリキュア」まで、連綿と受け継がれてきた、確固とした1ジャンル、それが「魔女っこモノ」です。

思春期の少女を主人公にし、その主人公は魔法が使えるけれど、そのことを親や級友など近しい人々に絶対に知られてはならない、という「お約束」を共通のルールとする物語ジャンルです。

まど☆マギは、その「魔法少女」モノのお約束を、ファンの期待に応える形で完璧に守りながら、シリーズ全12話を通じて、そのジャンルのお約束に疑問を提示し続けました。そして、疑問を提示し続けることで、物語を魅力的にしていったのです。

「忠臣蔵」の大石内蔵助たちは、なぜ主君の仇討ちに命を懸けるのか?
「水戸黄門」では、なぜ諸国漫遊のすべての旅先で、印籠1つで皆がひれ伏すのか?
「刑事モノ」の刑事は、なぜ一生懸命に汗をかき、犯人を追い詰めるのか?
「ロボットモノ」の主人公ロボは、なぜ量産品でなく「1台」しか存在しないのか?

そういった、本来「問うてはならない」とされている、そのジャンル物語の「お約束事」に対して、「なぜだ?」と問いながら、問うことでさらに魅力的な物語を構築したのが、「魔法少女まどか☆マギカ」です。

そこには、「なぜ?」と問いながら、そのジャンルを愛してやまない制作者の姿と志が見てとれます。そこに、ファンは魅了されるのです。

実は、この「自問する物語」は、日本のアニメ史の金字塔的な作品群にあっては、必ず見うけられる現象でもあります。

かつて、「宇宙戦艦ヤマト」では、敵であるガミラス帝国をたった戦艦1隻で、ほぼ全滅の状態まで撃ち負かした後、主人公のクチから「戦争に対する疑問」を提示させました。

また、「機動戦士ガンダム」は主人公がヒーロー・ロボットに乗る必然性を問いただしながら、単なる勧善懲悪ではない「戦争」という大きな世界観を提示し、当たり前のように敵味方が戦う「ロボットアニメ」というジャンルに、新たなダイナミズムをもたらしました。

そして、「新世紀エヴァンゲリオン」では、なぜ主人公が戦いを放棄してはいけないんだ?という問いを、なぜ制作者は作品制作を放棄してはいけないんだ?という、メタフィクションな問いに重ね合わせながら、私小説的に提示しました。

さかのぼれば、戦後最初の長編マンガである、手塚治虫の「メトロポリス」でも、「なぜロボットは人間に隷属しなければならないんだ?」という問いを主人公ロボットに提示させましたし、

日本最初のTVアニメである「鉄腕アトム」の物語では、息子の代替品として製造された主人公が、ロボットゆえに成長しないということで親の愛を失い、悩みの中で精神的に成長して、ヒトとロボットの調停者を勤めるまでに至る姿が描かれました。

その伝統の最新の末裔にあたるのが、「魔法少女まどか☆マギカ」です。

物語の「ジャンル」を「お約束ごと」として愛し守りながら、その「お約束」に疑問を呈することで、その「ジャンル」にさらなる成長をもたらす「可能性」を生み出す。そしてファンは、その可能性に燃え、さらなる可能性に夢を膨らませ、購買によって支援する。

これが、日本のアニメが、子供向けのものとして歴史をスタートさせながら、世界に類例を見ない大人の鑑賞に耐える高度なものになった「基本原理」です。

「形式」を守りながら、それを破って「バリエーション」を楽しむ。
この意味において「忠臣蔵」と「五人戦隊」と「魔女っこモノ」は同じ伝統芸能であるといえます。

表現や物語の「形式」という、大きなルールを守りながら、クリエーターがそれぞれの独自の「趣向」を競い合う。そういう日本人に合ったトライアルの最新成果として、まど☆マギを観察する時、同じくクリエィティブを生業とする自分は、そこにとても大きなヒントを見てとるのです。

思わず、長くなってしまいました。。今回は、この辺で。

111020_須田和博

須田和博(スダカズヒロ)プロフィール
1990年 博報堂入社。「使ってもらえる広告」著者。クリエィティブ・ディレクター。現在、エンゲージメント・ビジネス・ユニット在籍。多摩美術大学GD科卒業後、デザイナーとして博報堂に入り、以後、アートディレクター、CMプランナー、WEBディレクターと、7年周期で制作領域を遍歴。全媒体を作り手として把握できる、広告業界でも希な制作ディレクター。2009年「ミクシィ年賀状」で、東京インタラクティブ・アドアワード・グランプリと、カンヌ国際広告祭メディア・ライオンを受賞。新潟県・新潟市出身。

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