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20131/4

1・4【せんぱい日記】「東京プリズン」はお薦めだ。“ブリュメール18日”なんて懐かしいことを思い出したりしているうちに、スキーもシーズンIN!前川英樹

2013年が来た。波乱の時代になるのだろうか。
年賀状は2種。気に入った写真で年賀状を作る。

スクリーンショット 2013-01-04 17.51.07スクリーンショット 2013-01-04 17.52.41

12/18(火)
赤坂真理「東京プリズン」読了。
とても面白かった。
作家は1964年生れだから、40代後半か・・・。この年代の<戦争=敗戦=天皇制認識>伝わって来た。それを16歳の少女に仮託することで、現代の問題として描きだす筆力に感心。こちらの心がざわついた。
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1.(常々思っていたことだが)この国の敗戦の問題は「負け方」の問題だ、そこを外していないことに共感する。
2.戦後民主主義が提起した問題の(一つ)は、人は国家を離れて生きられるか、ないしは人の生き方は国家から自由でありうるか、ということだと思うのだが、そこもきちんと衝いている。
3.天皇制の根の深さを忘れていない。

この3点で、彼女は戦後思想の現代的水準を突破している、と思う。
読みながら、吉見俊哉/テッサ・モーリス・スズキ「天皇とアメリカ」(集英社新書)のことを思った。
img108z吉祥寺でマッサージ。スキーシーズンが近い。体のメンテナンス。
担当のマッサージ師さんは、高校時代スキーのGS(ジャイアント・スラローム)の選手だった。キャラクターもなかなか。

12/20(木)
洗面所、台所、トイレなどのマット洗い。ついでにジーンズ3本も洗濯したら、洗濯機が唸って何度もすすぎを繰り返して、脱水に至らない。立ち寄った長女に「一遍に入れ過ぎだよ、お父さん」と言われてまった。
夜、民放連「客員研究会」。オブザーバー委員として参加している。
終わって忘年ディナー。紀尾井町のスペイン料理。

12/21(金)
2階の窓、家中の電気の傘、など掃除。
階段踊り場の高窓は、足場がなくなかなか掃除できなかったのだが、目一杯掃除機を伸ばして網戸の埃だけなんとかきれいにした。すっきりした。ガラスは先日外からホ―スで水洗い。 書架のガラスを拭いたことと一緒にFBに書いたら、イイネ!を(ボクの投稿にしては)ワリと頂いた。

IMG_1873z IMG_1876xz 「知」が埃をかぶらないように

 12/22(土)
氷雨。
年内のスケジュールを考えると、今日あたりだと思って近所の理髪店へ。
客が年々減少しているので、後継ぎはいるが継ぐことが良いのかどうか、そうかと言って今更仕事替えも難しい、などという。
3時ころから陽射しが出て、天気予報通り。

FBにシェアーした「せんぱい日記」に稲井くんがコメント。
‎『12/16総選挙の投票率は60%を割って戦後最低を更新した。ソーシャル元年といわれた年であるのに、少なくとも今回、これだけ普及したといわれるSNSは「動員の革命」を日本では起こさなかった。Webが政治を変える、というが理念が先走っているのか、ソーシャルバブルなのか?ソーシャルは巣ごもりを助長しただけなのか?前川センパイの意見をききたい。』

こちらのコメント。
『でも、官邸前には人々はやっぱり集まっている。それもソーシャル系の反応ではないだろうか。今朝の朝日によれば、ツィッタ―は自民に傾斜したという。投票率や選挙結果とは違う地層の変化があるのかどうか。同じく朝日の小熊英二のインタビューは一読に値する。で、「ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日」(K.マルクス)を再読しようと思いついた。良いかもしれない。
個人的には「時代は混沌と錯乱に入ろうとしている(1930年代の再来という人もいるが?)」と思う。では、何が起こりつつあるのか、見抜く知力、考える体力が必要だ。「関心」とはそういうことだろう。知力と体力を大事にしよう。
言語の歴史に比べれば、ソーシャルなんて(もちろんテレビも)赤子の様なものかもしれない。自分の言葉もないのに、バブルも巣籠りもないのではないだろうか。
稲井君のリクエストに対して、チョッとシニカルになっているかもね。ごめん!』
というわけで、書架から取り出してきた。

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筑摩書房 「マルクス コレクション Ⅲ」 2005年
監修者の今村仁司氏の著作で、ポストモダン思想などについて啓蒙された。

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 岩波文庫版 昭和36年 第6刷
表紙に★★ 今の人はしらないだろうな・・・

12/23(日)
終日年賀状プリント。
プリンターが不調で色ずれなどあり、苦戦。

12/24(月)
カーテン洗いなどしようと思ったが、妻の気分が盛り上がらない・・・「じゃ、春、暖かくなったら洗おう」ということにした。
あとは、天気のいい日に玄関周り。

12/26(水)
戸隠行き。
電車に乗った途端にカメラを忘れたことに気がつく。フェースブックなんてやってなきゃなんてことはないのだが・・・。
15:00.「樅の木山荘」着。
オフシーズンの間、スキー置場の棚の上に置いておいた板は降ろしてくれてあった。乾燥室に保管してあった靴を出す。送っておいた荷ほどきなど。
久々に暖炉の前でくつろいで水割りなど。
シーズン直後の宿は、まだ全館が温まっていないので寒い。

12/27(木)
快晴、無風。凄く冷えている。宿の玄関の気温は-10度。ゲレンデはもっと低い。
雪質は上々。
戸隠の売りは“魔法の粉雪”。
上越で思い湿った雪を落として、山を超えた戸隠には乾いたパウダー・スノーが降る。積雪は多くないし、とても軽い雪なので風が強いと降った割には積もらない。シーズン・インで1mというのは最近では珍しい量だ。

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ゲレンデ側から見た光景(戸隠スキー場ホームページより)
第3リフト乗り場の向こう、左側は戸隠連峰。
メインゲレンデのある瑪瑙山は背中側で、朝陽の位置が低いので手前が陰になっている。

リフトを降りて滑り出す時は、それが毎日であっても“今日は上手く滑れるだろうか”と思うものだが、ましてシーズン・インの滑り出しはドキドキする。最初のメイン・リフト(第3クワットリフト)を降りて、滑り出す。足裏で雪面を踏む感じが“あっ、良いかもしれない!”と思って軽い興奮。ドキドキした。昨シーズンの後半の好調だった感じを、イメージで反復していたのだが確証がなかった。体が覚えていてスッと動き、板がついてくる。次のリフト(第6クワット・リフト)まで「ああ、今シーズンも滑れる、良かった!」と思って滑る。リフトに乗って、深呼吸。「凄く幸せだ!」としみじみ思った。
瑪瑙山山頂(標高1760m)に向かう第6リフトは、左右にロングコース(約2Km めのう(瑪瑙)/お仙水)。ここを左右3本づつ滑った後は、第5高速ペアリフトに乗り変化に富んだバーン(しゃくなげ)を楽しむ。斜度、ねじれ具合、雪質など雪面が変化するのを足裏で会話しながらおよそ1.5Km、このスキー場で一番面白いバーンだ。ここを4本。午前の仕上げは、林間の雰囲気のある廊下を抜けて、地元の戸隠ジュニアの小中学生がポール練習などに使う急なバーン。初日から滑り過ぎか。
午後は、同じコースをゆっくり楽しんだ後、これも斜面の変化が面白い第3リフト下のバーン(高妻)で終了。
楽しかった。堪能した。
最高のシーズン・インだ。
帰りに、ゲレンデ傍の「ヒマラヤの詩」(ケーキとネパールカレー&民芸品)でワインなど。ここの手作りパウンドケーキは評判が良いので、知人に送る手配。
宿の先代の主人が来ていたので挨拶。ぼくと同年で、40年余前に、家を継がない村の次男たちと一緒に戸隠にスキー場を開発したパイオニア。だから、戸隠のスキー場はもともと村営としてスタートして大資本を入れず頑張って来た。最近東急系が経営するようになったが、40年の自立の歴史は大きい。独自の雰囲気はそう簡単には壊れない。それが好きでここに来る客が多いからだ。
宿まで滑って5分ほど。風呂、暖炉前で、水割り、ワインで夕食(前菜など5品。今日のメインは鶏)・・やっぱりカメラだった。

12/28(金)
うす曇り。
初日に滑り過ぎたのか、大腿部に疲れがある。
午前中は昨日とほぼ同じバーンを楽しんで、早めの昼を「ヒマラヤの詩」でカレー。
午後早目のバスで帰路に就く。長野の新幹線の上りは空いていた。
仕事納めの日の雑踏の新宿駅を過ぎて、6時過ぎに帰宅。

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(12/29日のゲレンデ<めのうコース>滑り出し口。戸隠スキー場ホームページより)

12/29(土)
流し、外回り、玄関などの掃除。これで大掃除ほぼ終了。
午前中陽射しがあったので布団干しも。

12/30(日)
長女、次女の夫たちと忘年ゴルフで御殿場まで出かけたが、年末としては珍しい本降りの雨。ハーフで終了。残念だが仕方がない。
戻って近くの長女宅で一同集合して忘年会。
レコ大をちらっと見る。

12/31(月)
長女、次女を呼んで、万一の時の数少ない資産の処置など書面にすることを説明。本当に仲の良い姉妹だが、混乱させてはいけない。
昼、正月に欠かせない焼鯛予約してあったのを取りに行く。
机の上の片付け、カレンダーの架け替えなどして、本年終了。
ぼんやりテレビなど見る。オリンピック・プレイバックなど。紅白見ず。

では、みなさん、良いお年をお迎えください。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸 隠。

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