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20131/21

1・21【<一人称・個人目線>の意味を考える】前川英樹

志村さんポスト[「メディア=現実×編集×表現」と「デジタル+ソーシャル」]は去年の11月だ。
もう二ヶ月も経ってしまった。
折角「ネット・モバイル時代の放送」(学文社)に、「<3.11.>はメディアの現在をCTスキャン[断層撮影]した―マスとソーシャルを考える―」という一章を書いて、志村さんはそれについてきちんとコメントしてくれているのに申し訳ない。
以前にも、「リアクションが遅くなった」とブツブツ言ったものだったか、ホントに書くことについてガス欠を起こすようになってしまった。言い訳すれば、結構この数カ月雑事に追われているという事情もあるのだが、それはやっぱり言い訳でしかない。志村さん、ゴメン。

で、その志村さんポストを読みながら、<3.11.>後8ヶ月経った東北を視察してから、さらに1年以上が経ってしまったのだ、とあらためて思ったのだった。いま、このコメントを書いている時点では1年と2ヶ月だ。あと2ヶ月もしないうちにあの<3.11>から2年になってしまう。

本当に、東北視察以後、私たちは<何を見>、<何を考えた>のだろう。
田老の崩壊した防潮堤、大槌の荒涼とした夕景 大船渡の海水の溢れる道路、陸前高田の電柱だけが新しい空間、気仙沼の海に帰れない大型船、仙台郊外どこまでも続く荒れ果てた平地・・・などなど。
僕たちがあの<場>に立ったのは、“あれ”から8ヶ月後のことだった。そのときの光景を思うこと=イメージの再現は写真を見れば可能だが、ぼくたちの思考は既にそこにはない。
あってはならない。
それなのに、ぼくたちの日常はそれらを忘れる(取りあえず、そこから退く)ことで成立している。
僕たちは“あれ”を、さらに深く考えただろうか?

つまり、こういうことだ。
1年2ヶ月前(一昨年11月・・・もう一昨年なのだ!)、何故<僕>は<ここ>(例えば、田老の防潮堤の上)にいるのだろうか、と考えること、それが「一人称目線」の原点であり、ドキュメンタリーの始まりである。そして、それを職業としている自分は何者なのか、と問うことから、テレビを選び返すことが成立する。

志村さんはこう書く。
前川センパイの論文タイトル『<3.11>はメディアをCTスキャンした』を見たとき、主語と目的語が逆?「『メディア』が<3.11>を『CTスキャンした』」ではないか?と思った。しかし、今回あやぶろを読み返して、センパイの意味するところは、「大震災は、我々個人に『私はそのとき何をしていたのか?』」という共通の意識を抱かせ続ける」、それを『<3.11>が○○をCTスキャンした』と言っているのではないかと気付いた。
では何故○○の部分に「我々」や「社会」でなく「メディア」という言葉が入るのだろう。」と。

もちろん、これについて、志村さんは自分の答えを書いている。それはそれで良い。志村さんの答えだから。
僕の答え、というより何故そう書いたかということは、もっと単純だ。
○○が「我々」「社会」であってももちろん良い。だが、今私たちが問うているのは他でもない<メディアの現在>なのだ。メディアに関わってしまった以上、今どのような生き方をしていようとも、その問いから逃れるわけにはいかない。「今のテレビはダメだなぁ」と慨嘆したり、経営批判をしていればいいというわけにはいかないのだ。

そう思うこととから、あらゆる問題はメディアの現在をスキャンしている、と考えることが出来るのだ。というより、そう考えるしかないのだ。例えば、「<政権の再交代>はメディアの現在をスキャンしている」のであって、そこに「社会の多様性と国家の一元制」という関係が反映されているということでもある。この認識は大事だ。
社会と国家は不一致(不等号)の関係にあり、社会は国家以前に成立している、あるいは国家の下部構造として社会は機能している、ということなのだ。
ここから、つまり国家より社会=個々人の関係、あるいは共同性が優先すると考えるところから、アナーキズムの思想が生れる。東洋的にいえば、老子が、というほど老子のことは知らないが、「民をもって貴しとなす。社稷これに次ぎ、きみをもってもっとも軽しとす」とはそのような謂いではなかろうか(【釜山と東京で考えた-「日韓中テレビ制作者フォーラム」補遺
それで上手くいくかと言われれば、そんなわけにはいかないということくらい承知だが、物事を根源的に考えてみようというためには、やはりそこは外せない。そして今、物事を根源から考える、考えなければならない時代に入ってしまったと思うのだ。いや、いつの時代だって“根源”から考えようとすることは大事だけどね。で、だから、何故国家は存在するのだろうか。

と同時に、社会と市場の不一致を考えてはどうだろう。
社会に経済行為は欠かせない。だが、それは市場が常に合理的“解”を見出すと考えることと同義なのだろうか。
ここでも、「市場は制作行為の現在をスキャンする」と仮においてみると、そこから「表現」というものの根源性が見えるのではないか、つまり市場を超えた表現がありうると。メディアが企業であるとすれば、それが市場と無縁であり得ないことは言うまでもない。しかし、メディアに関わるということが、表現や伝達に関わることであるのだから、そこ(=市場を超えた表現)を外して表現者あるいはジャーナリストというものは成立しえないのである。
このように、メディアにおける様々なテーマを多様な関係で捉えるということは、それを平面的な関係として幾何的に見るだけでなく、立体的な関係として、さらには時間関係も重ねて捉えることであろう。

ところで、「<3.11.>はメディアの現在をCTスキャン[断層撮影]した―マスとソーシャルを考える―」の入り口として取り上げたのは「3.11大震災 記者たちの眼差し」(Ⅰ,Ⅱ. TBS)であり、その理由は<一人称・個人目線>を方法論としたことの意味を考えるためだった。この問題を志村さんポストはこう受ける。
『センパイが問い続ける「職業」=「システム」としてのメディアが成立し続けるには、マスとソーシャルという関係性だけでなく、「一人称の視線」とデジタル技術(機械化)の関係性も重要な視点である。』

では、<一人称・個人目線>は、マスよりもネット型orソーシャルメディアとの方が、相性が良のだろうか?
この問題設定にはいくつかの論点がある。
①    仮にそうだとしても、というよりは“であるが故に”、マスにおける<一人称・個人目線>という方法論に意味がある。
②    その上で、ではソーシャルメディアは、そこに「メディアの責任論」とは別に、さらに根本の問題として「対自的」=自律/自立のメディア論を構築し提示できるだろうか?

この論点にマスメディアであるテレビが向きあうために、というより向き合わざるを得ないが故に、志村さん切り取ったフレーズ、「センパイは繰り返し問い続ける「なぜマスメディアは、情報を切り取ったり、切り捨てたりすることが<できる>のだろうか(P216)」が提起されるのだ。
本当に、ここのところを自らに問い続けることが、ジャーナリズム、即ち<伝達と表現>の原点だと思うのだ。
では、志村さんが言う『「一人称の視線」とデジタル技術(機械化)の関係性も重要な視点』についてどう考えたらいいのだろう。
今あらゆるメディアに起こっているデジタルによる<変化>は根源的なものではないのか?
もちろん、それは根源的と言っていい。ただし、それはメディア機能の条件として根源的なのであって、人が人に何かを伝えることの意味においては、デジタルとは、その先あるいはその外延にあるの・・・ではないだろうか。
というようなことを思っていたところへ、稲井君から弾が飛んできた。
(以下、次回ポスト)

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸 隠。

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