あやぶろ/OLD

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20131/21

1・21【続・<一人称・個人目線>の意味を考える。-方法は表現を規定する。だが、表現は方法から自由であろうとする-】前川英樹

[承前]
FBで稲井君はこう書いている。
「12/16総選挙の投票率は60%を割って戦後最低を更新した。ソーシャル元年といわれた年であるのに、少なくとも今回、これだけ普及したといわれるSNSは『動員の革命』 を日本では起こさなかった。Webが政治を変える、というが理念が先走っているのか、ソーシャルバブルなのか?ソーシャルは巣ごもりを助長しただけなのか?前川センパイの意見をききたい。」

こちらのコメント。
『でも、官邸前には人々はやっぱり集まっている。それもソーシャル系の反応ではないだろうか。(その反面)今朝の朝日新聞によれば、ツィッタ―は自民に傾斜したという。投票率や選挙結果とは違う地層の変化があるのかどうか。同じく朝日の小熊英二のインタビューは一読に値する。・・・で、「ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日」(K.マルクス)を再読しようと思いついた。良いかもしれない。
個人的には「時代は混沌と錯乱に入ろうとしている(1930年代の再来という人もいるが?)」と思う。では、何が起こりつつあるのか、見抜く知力、考える体力が必要だ。『関心』とはそういうことだろう。知力と体力を大事にしよう。
言語の歴史に比べれば、ソーシャルなんて(もちろんテレビも)赤子の様なものかもしれない。自分の言葉もないのに、バブルも巣籠りもないのではないだろうか。
稲井君のリクエストに対して、チョッとシニカルになっているかもね。ごめん!』

ホントにシニカルになっているのかもしれない。
「言語の歴史に比べれば、ソーシャルなんて(もちろんテレビも)赤子の様なものかもしれない。自分の言葉もないのに、バブルも巣籠りもないのではないだろうか。」・・・なんてね。

ただね、デジタルは方法に過ぎないという単純な理解も、デジタルはメッセージ=表現そのものの革命だという楽観論も取りたくないのだ。

<方法は表現を規定する。だが、その上で表現は方法から自由であろうとする。>

「『一人称の視線』とデジタル技術(機械化)の関係性も重要な視点」(志村さんポスト)という指摘の意味は、ここまで引き尻を目一杯取って(カメラポジションを出来るだけ下げて、精一杯ヒキの映像を撮ろうとする)見ないと、一般論のままに拡散した議論に解消されてしまうだろう。

やや唐突だが、というより牽強付会といっていいだろうが、河尻さんがNHK-Eテレの「日本人は何を考えてきたのか」についてFBに投稿し、結構いろんな人たち(に思えた)がコメントしている、ということに関係する。(“せんぱい日記”参照)

多分、こういうことだと思うのだ。
「一人称・個人目線」で語るということは(「語る」とはそもそもそういうことだろうが)、そしてそれをマスメディアで試みるということは、パーソナルをソーシャルに晒すということであり、自分と世界の関係を差し出すということである。それを行うことこそパブリック=公共的な関係構築ということであり、それが行為としての公共性の構造なのだ。個を晒すことで形成される社会性。マスメディアで仕事をする意味はここにある。それは、ソーシャル・メディアにおいて誰もが個人目線・一人称で参加するという関係と重複しつつ、やはりそれとは異なる構造であり、したがってそこには違う表現・伝達機能があるであって、それ故にまた違う責任とモラルが問われるのだ。
「日本人は何を考えてきたのか」という番組が提示しているのは、おそらく制作者の意図を超えて、一人称・個人目線と<そうでない人称=第三者ないしは人称の不特定性・“大衆目線・曖昧目線”>との相克ではなかろうか。一人称・個人目線のメッセージを人称の不特定性・“曖昧目線”で非難してはならない。

そこからさらに連想(ここまで来ると乱反射かもしれない?)するのはこういうことだ。
あやとりブログで戯曲「明治の棺」(宮本研)に触れつつ、併せて以下の文章を引用した。(【釜山と東京で考えた-「日韓中テレビ制作者フォーラム」補遺
「・・・竜馬の土佐の後輩で、少年の日に長崎で竜馬に『中江の兄さん、これで煙草を買ふてきてヲーセ』と言われたことを生涯の思い出にしていたのが、中江兆民。その伝記『兆民先生・兆民先生行状記』(岩波文庫)の編著者幸徳秋水は少年期に兆民の学僕として、その薫陶を受けた人である。
ということは、海舟、竜馬、兆民、秋水、と続く幕末から明治末年までの四世代は『魂の師弟関係』で結ばれていたということである。この荒々しく感情豊かな反骨の系譜はその後田中正造、堺利彦、荒畑寒村らを経由して日本の左翼思想の『王道』となるはずだった。(そうならなかったところに日本の左翼思想の不幸がある)。」(内田樹の「日本の社会と心理を知るための古典二〇冊」(初出「中央公論」2007.4. 「昭和のエートス」バジリコ(株)2008 所収)。

今や、絶滅種と言われているらしい日本の左翼が失ったのは、西欧型社会民主主義理論とそれに基づく政策提言などではなく(それこそ、かつての自民党が一定程度代替してしまった)、「荒々しく感情豊かな反骨の系譜」であり、この“喪失”について、ぼくは内田樹に同意する。
だが、「荒々しく感情豊かな反骨の系譜」は彼らが失っただけでなく、いまやこの国のどこにも存在しない。ついでに言うならば、「日本人は何を考えてきたのか」(再放送)の北一輝と大川周明というエース級が登場した回がいま一つ刺戟的でなかったのは、ここの押さえ方が甘かったからだと思う。
話を戻せば、「荒々しく感情豊かな反骨の系譜」とは<一人称・個人目線>によって社会と、あるいは時代と向き合う系譜のこととである。それが政治の場で成立しないのならば、人はそれを表現の場に求めることになるであろう。そのような地下水脈は涸れることはない。何故ならば、そこに近代という時代における<人>の存在理由があるからだ。メディアと権力の関係は、理論的には多くのことが語られているが、メディア論的原点はここにある。文化・表現の自立の、それこそ「根源的」理由がそこにある、と僕は思う。

「言語の歴史に比べれば、ソーシャルなんて(もちろんテレビも)赤子の様なものかもしれない。自分の言葉もないのに、バブルも巣籠りもないのではないだろうか。」
・・・と、思わず書いてしまったが、何でそんな風に思ったのかを自分の中で探っていけば、こういう問題にぶつかるのだ。
テレビでもラジオでも、新聞でも雑誌でも、広告でもデザインでも、映画でも演劇でも、写真でも音楽でも、もちろん文学でも、・・・だから全ての表現行為ということだが、それらは「荒々しく感情豊かな反骨の系譜」との関係から逃れられない。何故ならば、いま<表現>もまた、それを失っているのではないかと疑ってみるべきだからだ。

<方法は表現を規定する。だが、その上で表現は方法から自由であろうとする。>

「<3.11.>はメディアの現在をCTスキャン[断層撮影]した―マスとソーシャルを考える―」という一章について、思ったこと、というより思い浮かんだことを二回にわたって書いてしまった。
だんだん、あや取りも趣味的領域に入って来たようだ。
「酒とスキーと<あやブロ>は等価である」・・・なんてね。

 

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸 隠。

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