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20129/11

9・11【テレビ×ソーシャルの互恵関係】稲井英一郎

 

 

【鎖の正体】

ここ最近、あやとりブログで交わされる議論のなかで、ソーシャル・メディアが新たな「鎖」をうむのか、という争点が盛り上っています。

志村さんは、「少しの気圧の差で渦巻きが形成されるように、リーダーがいなくても集団の意志、方向性は決まっていく」とのべて(8/23ポスト)「自縛的な鎖が現れる」可能性を指摘されました。
境さんは「すでに<鎖>を感じて」おり、「Twitterでは、うかつなことを書かないように気をつけています」と心境を語ってくれました(8/31ポスト)。ソーシャル・ネットワーク上ではひとたび感情的になるとイナゴの大群や王蟲(オウム)のように人々が暴走する、という懸念も示されています。

台風の目~内閣府防災情報のページより

この「鎖」の正体がなにであるか、少し違うアプローチで考えてみます。社会心理学の知見に頼るのが分かりやすく、集団討議におけるコミュニケーションの研究から応用できます。やはり前々回のポストで言及した東大大学院の橋本良明教授著「メディアと日本人」が参考になります。

 

【リスキーシフト】

集団討議においては意見が極端に傾くことがあり「意見の極化」と呼びます。とくに危険な方向に議論が流れていくことを「リスキーシフト」と呼びます。

「リスキーシフト」が生じる理由は簡単です。
・集団のなかに置かれると、より目だとうとする心理が働きやすい。
・その心理が勇ましい意見を誘発する。
・勇ましい意見に対しては、反対意見を示すことに躊躇する状況が生じる。
・リーダーがいない集団討議は責任が分散され、討議結果に責任を負わなくてすむ。

こうした議論の傾向は、たとえば原発、生活保護、ベビーカー、ノマド等々をめぐるネットでの論争を想像すればお分かりいただけると思います。
ソーシャル上で意見をぶつけあう人々がロジック上の正誤よりも、感情的だ、人格に問題がある、知識もないくせに議論するな、等々、相手を非難することで極論化していき最終的には声が小さい方が黙り込む。将来像に向けての客観的考察や発展的議論が行われることは残念ながら多くありません。

 

【集団規範圧力】

このリスキーシフトを支え、むしろ強化するものが「集団規範圧力」です。
その場の空気を気にし、集団における価値観や議論の流れに即した発言を心理的に強いられる雰囲気、それが「集団規範圧力」。大勢をしめそうな意見に同調することで集団における自己の安泰をはかろうとする動機づけ。いわば保身の心理です。

「KY」~空気読めよ、という表現が容易に理解される日本という国は、昔からこの集団規範圧力が働きやすい社会といっても差し支えありません。周囲の眼や評価を気にし「空気」が場を支配するこの国の意思決定システムの分析は、過去、多数の研究がなされています。
戦後の有名なものでも「菊と刀」「甘えの構造」「空気の研究」などが多数あり、また「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」では、ちょっと違った角度ですが集団主義の問題に触れており、私も含めて日本人が特に自覚しておくべき性癖です。

 

(講談社学術文庫)

集団規範圧力がリスキーシフトの中で作用しだすと、その場に迎合するような意見が多くなり個人が集団のなかに埋没していくため、議論は行事役が不在のまま、さらに極端な方向にシフトしていく。
これが、志村さんのいう「気圧差で形成される渦巻き」であり、境さんのいう「イナゴの大群や王蟲の暴走」になったりするのではないかと私は考えます。

 

【予防火消しはできるのか?】

ここからは個人的な考察となりますが、「リスキーシフト」が発生する可能性は完全には排除できないため対応策が必要になります。
なるべく発生させない工夫をする予防措置か、もしくは発生した場合の火消し策。

現状のソーシャル・メディア(ネットワーキング)において、第一の予防策として考えられるのが匿名性の排除です。
リスキーシフトとなる要因の一つが責任の分散であり、個人の集団への埋没であることから、ソーシャル・メッセージが実在の人間に紐づいていれば意見の極化はある程度、起こりにくくなります。これは、実名登録が基本のfacebookが実証しているといえるでしょうか。

第二の予防策は、集団規範圧力を受けても不用意に迎合しない個々人の自立心や情報リテラシーがあれば、多少の抑止効果が期待できるかもしれません。他者からのメッセージや膨大な情報を受け取っても、そこで一旦立ち止まって「考える」「想像する」、そして「表現する」(9/4志村さんポスト)習慣が根づいていれば、ある種の抵抗力にはなるでしょう。

しかし、発生したあとの火消し策は難問です。
ソーシャルネットワーキングには前回(9/6稲井ポスト)言及したように、情報発信の際にそれを吟味して、並べ方や全体の構成を考えて新たな付加価値をうむ「エディターシップ」が実装されていません。このためリーダーや責任者不在のまま、あるいは誰かが故意に扇動的な目的でリスキーシフトを発生させた場合、もうあとは炎上(フレーミング)するしかなくなります。

では、ソーシャルに、眼に見えない「鎖」はつきものと割り切るしかないのでしょうか?
現状ではそう言わざるをえないのでしょうが、せっかく便利で新たなコミュニケーションのあり方を提示してくれるものだけに残念な気がします。

ただし・・・ソーシャル・メディアに、エディターシップが機能できるような新しい仕組みやアイデアがビルトインできるならば、どうでしょうか?
それは新たなコミュニケーションのルールなのか、哲学なのか。プラットフォームなのか、インターフェイスなのか?

 

【テレビ×ソーシャルの互恵関係】

もうひとつ方法がないわけではありません。ごくありふれたアイデアですが、既存のマスメディア情報と紐づけ、インターフェイスを共存、連携させた場合です。

特にテレビ番組がソーシャルとリアルタイム同期技術で連動して、テレビを第一次メディアとし、それに紐づいたソーシャルが第二派生メディアとなった場合、テレビがもつエディターシップがソーシャルにポジティブな影響を与える可能性が期待できます。
逆に視聴からの本音にちかいメッセージの内容が、テレビ番組のエディターシップに新たな指標や建設的な変化を可逆的に与える可能性も期待できます。
うまくいけば、そこで新たな価値が生まれるでしょうか。以前、私はそれを「触媒的創造」と呼んだことがあります。

9月2日深夜、NHKが放送した「おやすみ日本 眠いいね!」という番組は既存の地上デジのリモコン技術とSNSを組み合わせたユニークな企画でした。(※1)

ゆったりしたトークを視聴しているうちに眠くなったらリモコンの青ボタンを押す。手元にスマホがあれば、MCのスタジオ生トークを視ながらツィッターで感想や意見をつぶやく。そのうち自分のつぶやきがデータ放送画面にユーザー名とともに表示されるという仕組み。

                        (NHK番組ホームページより)

番組のコンセプト自体は40年前のラジオの深夜放送を再現したような懐かしい感じでしたが、視聴者からの反応が一定数たまるとスタジオ照明が暗くなり、視聴者参加によって番組構成が変化し可視化される仕組みは、デジタル的不思議面白体験でした。

 

ツィッターの投稿を募集してデータ放送に表示させる試みは4月にゴールデン帯で放送されたTBSドラマ「SPEC~翔~」でも採用されたことがあり、ありがたいことに今年7月、日経デジタルマーケティングと日経エンタテインメント主催の「ソーシャルテレビアワード2012」の大賞を受賞しました。受賞理由は、ゴールデンタイムでの先進的な試みと、番組中の1分間の平均ツイート数が231と非常に多かったことなどが評価されました。

ソーシャルテレビアワード2012大賞を受賞したSPECの今井プロデューサー
(SPECの公式ツィッター画面より)

このブログの書き手である山脇さんも近く、新たなソーシャル連動番組も企画中です。(9/1ポスト)~番組タイトルがちょっと気になりますが・・・

在阪局中心に加わって取り組んでいるマルチスクリーン型放送研究会(※2)も、このテレビの番組とスマホのソーシャル・メッセージなどを同期させることで、新しい付加価値の創造をめざしています。(5/2今谷さんポスト)

マルチスクリーン型放送研究会のHPより

 

【プロのエディターであり続けるために】

同時に、肝心のテレビ局など既存マスメディアに対しては、きちんとした「エディターシップ」が備わっているかどうかが当然問われるでしょう。もともと雑誌編集の世界で確立された「編纂」という機能である「エディターシップ」のことを、英文学者で評論家だった外山滋比古氏は次のように性格づけています。(※3)

“独立していた表現が、より大きな全体の一部となると、性格が変わる。見え方も違ってくる。前後にどういうものが並んでいるかによっても感じが大きく変わる。”

“上手に編集すれば、部分の総和よりはるかにおもしろい全体の効果が出るし、各部分もそれぞれ単独の表現だったときに比べて数等見栄えがする。”

“自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となる ”

テレビニュースや新聞紙面の編集機能も、このエディターシップの一環をなすものであり、情報・コンテンツの選択から始まり、個々のニュースや記事、番組の並べ方、価値づけ、視点の提示、全体構成が新たな付加価値を生んでこそ、マスメディア本来の機能が発揮されます。

ところが残念なことにテレビ視聴も新聞雑誌の販売購読も若い世代は漸減傾向にあります。
昨年3月11日以降の原発報道や、オスプレイ配備問題などでは、深く、客観的で説得力のある分析がなされることは少なく、様々な立場からマスメディア不信が飛び出してきています。
ネットの見出し程度ですむ表層的なニュース、立ち読み程度ですむ記事しかマスメディアにないのであれば、PCやスマホがあれば事足り、わざわざニュース時間にテレビのチャンネルを合わせ、新聞雑誌を購読する必然性は薄れます。

マスメディアで働く人々の中には優れた思考力、洞察力があって健闘している関係者もいますが、マスのエディターシップが放つ「磁場」全体の力は弱っていると感じとる人が増えています。
そこで禄を食む人々すべてが自分たちは「プロのエディター」であるという矜持をもう一度思い起こして実践していかないと、マスメディアはソーシャルにうまれる「鎖」や「リスキーシフト」のことを笑っている場合ではないのでしょう。

(※1)この番組では㈱東通がSNSを番組に連動させる技術を提供した。
(※2)TBSや東通もメンバー。
(※3)外山滋比古著「思考の整理学」(ちくま文庫)

 

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

 

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