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20138/24

富士からみえる過去・現在・未来②(稲井英一郎)

富士には月見草がよく似合う

 

太宰治もいうように、富士眺望の名所で、甲府から東海道に抜ける鎌倉往還の衝にあたる御坂峠(みさかとうげ)が代表的な観望台であることに異論を唱える人は少ないだろう。
その御坂峠に昔、自転車で登ったことがある。
学生時代のことだが、甲府の手前、石和温泉から御坂山に向かって進み、心臓破りの急勾配、九十九折の旧道を登りきると古いトンネルがあった。

トンネルを抜けると、いきなり山梨側からみた北面富士のほぼ全景が姿をあらわした。手前には河口湖の湖面が少し見え、富士三景の一つといわれる眺望だ。

 

スクリーンショット 2013-08-23 12.53.19

御坂峠からの富士山と河口湖(天下茶屋HPより)

 

峠には「富士には月見草がよく似あふ」の碑文がたっており、つとに有名だ。

昭和13年に作家の太宰治が峠の茶店に長逗留し、代表作の「富嶽百景」を執筆した。さきほどの句は「富嶽百景」の一節である。

 

この句を楽しみに、富士と月見草の風流な姿を期待して登ったのだが、たどり着いたときは夕闇が迫り、余裕もなく悔しく立ち去ってしまった。

 

 

通俗化する富士のイメージ

 

太宰が書いた一文が、実は風流を詠んだものではなく、揺れ動く彼の心境を反映していたことは、のちに「富嶽百景」を読んで知った。
「富嶽百景」の中で太宰は、富士山をほとんど否定的に描いている。めったに誉めていない。

 

たとえば東京にいたときにアパートの窓から見た富士山は“なんのことはない、クリスマスの飾り菓子のようであり、船尾のほうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似ているとにべもない。
御坂峠にやってきたときも、太宰は富士山をひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だとこき下ろす。

 

この時期、太宰は自殺未遂を何回も起こし、薬物依存症になり、過去の自分を断ち切って再起するため、御坂峠にやってきた。
だから富士山の姿は過去の自分であり、彼と対峙する世間一般の象徴であったかも知れない。
そんな折、バスで移動中に、乗り合わせた老婆が富士山に一瞥も与えず、路傍に咲く月見草を指さすのをみて、太宰は感動する。

 

富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、(中略)けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う

 

巨大な富士山に対峙する月見草に、過去に惑わされず世間の声に動じない、自分の進むべき姿を見てとったのではないか。

 

太宰が逗留した茶屋「天下茶屋」は今でも二代目の茶屋がそこにあるが、最初に建てられたのは昭和9年(1934)。その4年前の昭和5年に富士湖畔で初めて別荘がつくられ、10年にはゴルフ場が開発された。
富士周辺ではじまっていた観光開発が、通俗的なリゾート観光地としての富士山のイメージを広めたことは想像にかたくない。
この太宰の心象から、素直に富士を愛でた江戸の人々とちがう近現代人の姿が見える。富士を特別視せず、ときには美しいと誉め、ときには俗な山と反発する。

 

そんな通俗化イメージの一方で富士はナショナリズム、つまり国家主義や国体のシンボルのひとつとなっていく。

 

 

 

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