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20121/25

「ワン・ソング・グローリー」~Thank you Jonathan Larson~ - 稲井英一郎

【52万5600分】

この数字を聴いて、いった何のことか分かる人は、どれだけいるでしょうか。数字のトリビアに強い人なら分かるかもしれません。

【52万5600分】 それは52万5600回、分を刻む時の長さ、つまり1年という時間です。ではこの時間の長さを、あなたはどうやって感じるとることができますか?
そう、これはブロードウェイのミュージカル好きな人なら多分知っているかも知れない比喩。日本でも公演され、映画化されDVDにもなった “RENT” (レント)の第2幕の冒頭に歌われる「シーズンズ・オブ・ラブ」の一節です。

「52万5600分という1年の長さを、どうやって測りますか? 夜明けの数? 夕陽の数? 真夜中の数? 飲んだコーヒーの数?」

そして、この歌詞を書いたジョナサン・ラーソンは、こう観客に呼びかけます。
「愛で測ってみてはどうですか? 友と暮らす日々を愛にあふれた季節として記憶しませんか?」

この“RENT”を十数年前にアメリカで初めて観たときは、その音楽演奏のグルーブ感、ロックやR&B、ゴスペルと息つく間もなく繰り出される歌と踊りの融合、場面展開の計算された舞台、韻を踏む歌詞の見事さ、ストーリー展開の速さに圧倒され、スラングが大量に入り混じるセリフや歌の大半がよく聞き取れなかったにもかかわらず本当に衝撃を受けたことを今でも思い出します。

19世紀末に初演されたプッチーニの名作オペラ「ラ・ボエーム」を下敷きに、時と場所を150年後の1989年、ニューヨーク・イーストビレッジに置き換えて、ロック・バラード・タンゴ・ディスコミュージック・ゴスペル・R&Bなど、アメリカで使われる音楽様式のほとんどを採り入れたレント。のべ42曲が怒涛のように演奏されるこのミュージカルは、レントヘッズと呼ばれる熱狂的なファンを世界中に生み出し、トニー賞10部門やピューリッツア賞最優秀戯曲などを総なめにしました。
そして初演の舞台からいまだに一貫して続く決まり事として、レントの公演の最後には必ず「ありがとう、ジョナサン・ラーソン」の文字がステージに投影される異色の作品でもあります。

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~2009年に赤坂ACTシアターで公演された際※の宣伝スティール(イープラスのHPより)
※“LION presents RENT The Broadway Tour”(RENT in JAPAN 2009)

そのレントのすべての曲を作詞・作曲・編曲し脚本も書いたジョナサン・ラーソンは、実はもうこの世にはいません。亡くなったのは今から16年前の1996年1月25日未明。
そう、今日なのです。そしてその日は7年かけて練り上げたレントが初めて批評家にお披露目できるというプレビュー公演の、まさに当日でした。死因は胸部大動脈瘤破裂。ラーソンが36歳になる10日前のことで、彼はレントのその後の大成功を見ることなく、あまりにも早すぎた天才の旅立ちでした。

このラーソンが作った曲の中でもっとも有名な「シーズンズ・オブ・ラブ」について、意外な人から意外な評価を聴いたのは昨年のことでした。たまたま聴講していた、あるカトリック神父さんの講演の折のこと。正確には覚えていませんが、大体、神父さんは次のようなことを話してくれました。

「皆さんは、ミュージカルのレントをご存知ですか?あの中で歌われる曲の中に、1年間を52分5600分に置き換えて歌うシーズンズ・オブ・ラブという歌があります。この歌は1年間という時間を愛の深さではかりなさい、という内容なんですが、僕は本当に大好きな、大好きな歌なんです。それはキリストの教えに通じるものがあるからです。」

 

この聖職者が提示した感想は、レントを5回以上観賞したことがある私にとっては、ちょっと驚きでした。なぜなら物語はニューヨークに住む、食うや食わずの若い芸術家の卵たちがHIVウィルスの病魔に苦しみ、レズやゲイ、バイセクシャルに走り、ドラッグで気を紛らわし、友人や恋人の裏切りにあう生き様を、これでもかというぐらいに描いているからです。一般に保守的な立場をとるカトリックとは相容れない価値観に彩られた物語に神父さんが共感を覚えている!
そのときにようやくラーソンの描きたかった世界と主題が分かったような気がしました。

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【You Tube動画】(RENT in JAPAN 2009が日本公演でYou Tubeにアップした Seasons of Love)

ラーソンが生まれたのは1960年。日本公演に際して書かれた資料などによると、ニューヨーク郊外で演劇やミュージカル好きの両親に育てられたユダヤ系米国人の青年のひとりでした。若いころから一部の人に才能は注目されていたようですが、なかなか芽が出なかったラーソンはレントを書き上げるため29歳のときからカフェでウェイターのバイトをしながらチップで食いつなぎ、7年間の歳月をかけおよそ300曲をレントのために作ったと言われます。

その彼がレントを書く前に、チャレンジしたミュージカルに「スーパービア」というものがあります。スーパービアは、キリスト教において7つの大罪といわれる罪の中で最初に出てくる罪源で、ラテン語で「虚栄心」や「傲慢」を意味し、英語ではプライドという言葉と重なります。

このスーパービアは、ジョージ・オーウェルの名作「1984年」を下敷きに、ラーソンが近未来SFの世界を描こうとした意欲的な作品のようでしたが(ただし興行には至らなかった)、キリスト教にとって極めて重要な大罪の一つを題名に掲げたミュージカルに取り組んだラーソンは、のちのレントにおいても、現代アメリカ社会で明日をも知れぬ生活、“No day but Today”を送る人々から発せられる言葉を通して、同じキリスト教的テーマを物語の中に織り込んでいったのではないか、と神父さんの指摘を聞いて確信したのです。

もちろん本稿でのテーマはキリスト教の真理について語ることではありません。

ラーソンが彼の人生観や宗教観、哲学の中に一本筋の通った主題である「(人間)愛」と、そこに対置されるべき人間の「欲望」や「虚栄心」に対する並々ならぬ洞察を持っていたからこそ、プッチーニ・オペラの原作があったとはいえ、糸をつむぐように7年間かけて人々の物語を歌と脚本に織り込んでいくことで天賦の才が開花し、おそらくミュージカル史上で類をみないステージを作り上げることが出来たのではないか。そのことを言いたかったのです。

真に人々を惹きつけ感動させるものはどんなジャンルであれ、社会への深い洞察とそこから導き出される主題から来るものであり、それは最終的に人間に対する揺るぎない信頼を持たないと生まれません。
そこに思い至ったときに、日本のテレビや映画、演劇などの作品をプロデュースする産業の現状を振り返ってみれば、「テレビ崩壊」するのかどうかを論じる大前提として心に留めるべきことをラーソンの生き様が示してくれている。彼の祥月命日(もちろん彼は仏教徒や儒家ではありませんが)を前にして、そんな風に考えたわけです。

ラーソンは経済的には全く恵まれず、レントの主人公のひとりである映像作家の「マーク」が物語で経験する大半の出来事は、実生活でもラーソンが経験したことでもありました。長年の友人をHIVウィルスに奪われ、恋人を同性愛者に奪われ、月々の家賃の工面に苦労しながら書きあげた曲の数々。

そのひとつに「ワン・ソング・グローリー」があります。

“One Song Glory / One Song / Before I Go / Glory / One Song To Leave Behind・・”

マークと一緒に住むミュージシャンのロジャーが「僕が死ぬ前に1曲でいいから栄光に輝く歌を、自分が生きた証に残したい」と切々と歌う曲ですが、その後のラーソンの運命を偶然にも暗示する歌詞は、テレビも含めたすべての作品プロデュースの仕事に何らかの形で携わる者が、心に留めるべき「心の軸」を示唆してくれていると思うのです。

 

稲井英一郎(いない えいいちろう)
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

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