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20121/18

「思想としてのテレビジョン」と「批評としての生き方」―河尻さんポストへの返書のための<序>―  前川英樹

河尻さんの長文のポスト「ネットは嘘をつかない」をザザザッと読んで、ちょっと落ち込んだ。
正月の屠蘇気分の雑駁な挨拶に、こんなに真剣に答えて(応えて)くれてまことに申し訳ない、という気分になった。それなら、もう少し丁寧で慎重な設問を考えればよかった。

で、しばらくそのざわついた気分をおさめようと思って、読み返すのに間をおくことにした。10日ほどして、「ヨシ、ちゃんと読もう」と思い返して、プリントアウトしたものに向き合った。河尻さんゴメン、リアクションが遅くなってしまった。この間、河尻さんはFBなどで自分でフォローしている。力が入った仕事の余韻というのはそういうもので、その気分も分かるつもりだ。二ヶ月ほど前に、43,000字の原稿を書いた自分がそうだった。
とはいえ、今回はこちらが石を投げたのだから、このままというわけにはいかない。といって、河尻ポストに向き合う気力が整ったわけではない。体力はこんなものだし、知力は何とかなるとしても、だ。
そこで、今回は返書の予告というか、取りあえず思ったことのメモを書いておくことにする。こういうことも書いておかないと忘れてしまうのだ。

読み返して最初に思ったのは、これで良かったのかもしれない、ということだった。どういうことかといえば、屠蘇気分であれ、雑駁であれ、受け止めた河尻さんがこれだけ踏み込んで書くという、そのきっかけになったのだから、それはそれで意味があったのだろうということだ。もちろん、河尻リアクションには誤解というかすれ違いというか、そういうものがいくつかある。それで良いのだ。誤解も理解の内であり、会話というものはそのように始まり、結局そういうものを含んだまま進行するのである。
第二に、多少の自負を込めて言うならば、これだけのやり取りを二世代以上超えた関係で成立させるのはそう容易なことではない、ということだ。おれもなかなかちゃんと歳を取って来たのではないか、という気分にもなる。もちろん、「やり取り」なのだから、こちらだけで成立するはずもなく、河尻さんだけでなく、「あやブロ」に参加している全員が、僕より若い人たちなのであって、この容易でない「やり取り」の成立は、そうしたみんなに負うものなのである。多謝。

この二つの感想を意識した上で、こうも思うのだ。
もしも、このレベルの会話が10年前にいくつかの場で成立していたら、テレビのポジションは少しは違っていたのではなかっただろうか。先日、「放送レポート」という業界紙のインタビューで、この世界に入ってからのことを大まかに話したのだが(3月号掲載予定)、思えば制作現場を離れてずっと通奏底音のように響いていたのは、「テレビはどう変わりうるか」ということだった。そのことはまた別のところで語ったし、これからも語ることはあるだろう。
そのインタビューでも話したのだが、「地デジやるべし」といったのもその意味だったし、また「通信放送融合論」とともに「規制改革・市場開放論」が盛んだった時も(アッチにはITバブルの追い風もあったし)、「テレビだって変わらなきゃいけないと思ってるんだからサ」という気分は強かった。が、そうは言ってみても「どうせ既得権擁護の方便だろう」と思われていたに違いないし、確かに業界全体としてはそうだった。それでも、そこをそんなふうに乱暴に括られると「湯水とともに赤ん坊を流すことになるよ」という不満もあった。自分は業界では相当に分かっているという思い上がりもあった。こうしたテーマのシンポジゥムやセミナーで壇上に上がると、しばしば「四面楚歌なのに、良く出て来ますね」と向こう(つまり、開放論・融合論)側からもいわれた。結局、物分かりのいいというポーズをとっていると見られたのだろう。確かに、全て彼らのいう通りとは思わなかったし、通信と放送は融合しないと思っていた(今でも)。それに、なんだかんだいったって、放送業界の立場を離れることはありえなかった。
しかし、その頃テレビ業界全体が「放送は公共的で特殊な事業」だとか「地上放送は文化だ」とかの水準ではなく、せめて「入れ子構造論」のレベルで発言していたら、もう少しテレビのポジションも良い位置取りが出来ていたのではないかと思ったりする。多分、大した違いはなかったのだろうけどね。
とはいえ、そういう他流試合みたいなことをこの業界の中で逃げずに経験したことは、今思えば少しは役に立っているらしい。とりあえずは、「あやブロ」に参加している諸兄が書いたり言ったりしていることが、そのころの「融合論」や「開放論」の粗雑でこけおどしの主張よりはるかに高いレベルでかつ現実的にも有効な論理だということくらいは理解できるのも、そうした経験があるからだろう。
それもこれも、「テレビは変わるしかない」「変わるということは“自ら”変わることだ」ということを、些か原理主義的とはいえ、思い続けたからだ。

では、テレビは自ら変わりつつあるのかといえば、そう簡単に“Yes”とは言い難い。現実の乗り越えというのは、やはり容易ではないのである。であるがゆえに、その「乗り越え」のための視点は永続的に必要なのである・・・テレビにおける「永久革命論」!それが、テレビ論であり、またそうしたテレビ論を構築し続けるところに「思想としてのテレビジョン」があるのである。「テレビジョンの可能性」を語りうるのは、そうした立ち位置からだけなのだ。

TBS「調査情報」(No.504 2012.1-2)で、今野勉さんが「思想としてのテレビ」について、<テレビ固有の表現形式を追い求める行為>という切り口で語っている。もちろん「思想としてのテレビ」の原点はそこにある。それは、メディアはメッセージというカッコイイ言い方でもいいし、あるいはハード・ソフト一致の幸せという無愛想な言い方でもいいが、つまりテレビはメディアとコンテンツの不可分性の上に成立しているということである。そうであるとして、「思想としてのテレビ」が踏み込むべきは次の三点ではなかろうか。

(1) テレビが向き合うのは媒体=メディアとしてのインターネットではなく、ソーシャル・ネットワークというコミュニケーション空間であること。このことは、漠然と理解されているとは思うものの、より明確に論点とすることで、テレビは自分が何者であるかを確かめることが可能となるであろう。

(2) ソーシャル・ネットワークにおいても、「思想としてのソーシャル・ネットワーク」というテーマがありうるか(・・・ありうるはずだ)、それをソーシャル「側」(何をもって「側」というかも多義的なのだが)がどう提起するかはいざ知らず、テレビ側からアプローチすること。これは、テレビジョンが現実を乗り越えるために、(テレビジョンの)「思想」として必要だと考えられるからだ。

(3) コミュニケ―ションの場が存在するということは、かならずそこに表現=創造性が成立するのであって、ソーシャル的クリエイティビティーもまた成立する。「ケータイになくてテレビに有るもの」としてのクリエイティビティーではなく、ケータイを含むソーシャル・ネットワークにもクリエイティビティーがあればこそ、テレビジョンのクリエイティビティー、つまり「テレビ固有の表現」が大事なのだ。

ついでに思いつき的に一つ付け加えれば、「これからテレビは何を棄てるべきか」、という問いがありうるかどうか、例えば「非テレビ的なるもの」を。

 

テレビ局の崩壊は起こりうる。その時メディアとしてのテレビも崩壊しないと言い切れるだろうか。それでも、「テレビとは何か」と問い、「テレビ固有の表現とは何か」を語り続けること、思想とはそういうものではあるまいか。
それは、開き直りかと問われれば、そうかもしれないと思う。だが、いいではないか。自分に残されたものがそれしかいないとするならば、ぼくはその残されたものを語っていこうと思うのだ。
河尻さんのいう「この混迷の時代に批評的であるとはどういうこと?」とは、およそ年齢に関係ない、ぼくにとっても避けがたい問いかけなのである。

さて、それでは「本音」でこたえてくれた河尻さんポストに向き合おう。
どうやら気力も少しは回復してきたようだ。

 

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール

1964年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にしている。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。
ホームゲレンデは戸隠。

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