● 下北沢のマサコとB&B(稲井英一郎)
東京世田谷の下北沢駅前
まちかどのサインポール
私が放送局に入った1980年代の前半は、後にバブルとなる世相の芽が今から思えばあちこちに出ていた。しかし一方で、まだまだ昭和の雰囲気がいたるところに残っていた時代でもあった。
理髪店の前にはあたりまえのように、赤・白・青の帯模様がクルクル回るサインがあった。「サインポール」と呼ばれるもので昭和世代にとっては懐かしい風物のひとつだ。
ちなみにヨーロッパで理容師はもともと外科医を兼ねた「理容外科医」だったが、18世紀半ばのイギリスで理容師と外科医のユニオンが分裂した際に、外科医は赤白の模様に、理容師はこれに青を加えることが定められて今日の3色になったそうだ。赤は血の色、白は包帯の色らしい。
喫茶店は、クラッシックの名曲やモダンジャズ、そしてサイフォンで濃厚に淹れたコーヒーを恭しく提供する場所だった。カネのない学生にとっては数百円で何時間も居すわり、読書や勉強ができる憩いの場所でもあった。
商店街には必ず単身者向けの定食屋があちこちあった。豚肉しょうが焼き定食やアジフライ定食、メンチカツ定食は、どの定食屋でも人気メニュー。
マックやケンタッキーなどのファストフード店はまだまだ少なく、スタバなどの新しいスタイルのカフェはいまだ存在せず、コンビニ店舗などもあまりなかった。
下北沢、「シモキタ」が演劇の街と言われ始めたのも80年代に入ってからのことだ。
1982年、下北沢駅前に本多劇場が建設され、当時ぺいぺいのテレビディレクターだった私は本多劇場のこけら落とし公演を企画して取材した。女優の吉田日出子さんにインタビューして、彼女の存在感に圧倒されたことを記憶している。
そして本多劇場を軸に、演劇の街として、また若者のポップカルチャーが集いだした下北沢の様子を特集した企画を、東京ローカルの「テレポート6」という当時のニュース情報番組で放送した。
事前取材では街ネタを集めるために路地裏もふくめて下北沢駅周辺を歩き回ったが、面白かったのは街を知れば知るほど新旧両者の顔が見えてくることだ。
北口には戦後の闇市から続くといわれる駅前食品市場があり(間もなく再開発計画で取り壊される予定)、そこから1、2分歩くだけで小洒落た雑貨屋やアンティークショップが点在する街。南口には良心的な定食屋が何軒かあり、学生や若いサラリーマンで繁盛していた。私も常連の一人だった。
理髪店の前には赤・白・青のサインポールがクルクル回っており、下北沢や経堂のそうした店でたまに髪を切ってもらい肩のマッサージをしてもらうのが、なかなかの楽しみだった。
コメント
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