● 下北沢のマサコとB&B(稲井英一郎)
店内に入ると、本屋というよりは雑貨店風の大書斎といった趣があり、セレクトしてある本にベストセラーものはあまり見当たらない。まるで読書好きの個人がテーマ別に長年買い求めた蔵書群を見ているようで、なかなか楽しい。もちろん、サーバーから注がれた生ビールを注文し、買いたい本を何冊か眺めつつ呑んだのは言うまでもない。
本に囲まれて飲むビールの味は格別
一方で、このようなユニークな街の店が成り立つには、やはり大手資本の資金と企画力、実行力が必要になるのかと思うと、やはり純粋の個人経営は今の時代には難しいのかなと思わざるを得ない。
しかし、新しい酒は新しい革袋に、と聖書の教えもいっているように、今の時代に合った個人経営のやり方がある のではないか。
そのためにはWebを活用したデジタルコミュニケーションツールを使うのが有効かもしれない。では、マサコのような店をもう一度復活させるうまいやり方はないだろうか。
Web系コミュニケーションツールは、ここ数年この分野の新規事業立ち上げに関わってきた経験でいえば、個人、零細事業者でもうまくいけば低額の予算で一定の資金を集められ、ある程度の宣伝効果も期待できる便利な道具だ。
特に、広く薄く資金を集める効果は使い方によっては絶大で、たとえば米国の大統領選挙などでは候補者がネット上のコミュニケーションを駆使する「ネット選挙」戦術で、有権者の小口献金を広く集めることができた。ネット献金だけではないが、集められた選挙の資金総額は、2012年には推計60億ドル以上(およそ5,800億円)となり、良くも悪くも史上最高額を更新してしまったぐらいだ。
しかし、カネ集めができてもお客さんを集めなくては、経営は成り立たない。
……なんてことを考えていたところに、たまたま読んでいた村上春樹氏の一文が目にとまった。
“……いい意味でも悪い意味でも、日本においては知的階級性というのがほとんど解体してしまっている。戦後しばらくはそういうものもある程度はシステムとしての力を持っていたのだが、コミュニズムやら名曲喫茶やら純文学やらの消滅と呼応するかのように、いつの間にかすっと音もなく消えてしまった。知的階級性が消えてしまえば、階級的スノビズムというようなものの存在意義もなくなってしまう。そこに残っているものと言えば、階級的スノビズムの残存記憶を大衆に向けて「ベルリンの壁のかけら」的に商品として切り売りしている巨大流通・情報資本だけである。”(講談社「やがて哀しき外国語」)
そうなのだろう。マサコが閉店しチェーン店が増え、シモキタの街の雰囲気が変わってしまったのは、家賃相場や運転資金といった経済的要因だけではない。
ジャズの名曲を聴きながら何がしかの思索にふけるという人々、もしくは行為がどんどん少なくなっていったからではないか。
だから良くも悪くも、「知的階級性」と村上春樹氏がいうところの、社会における人間の思考の営みを取り戻す作業から始めなければならないのではないか。
それは情報資本であるメディアにかかわる者の責任でもある。
ちなみに「知的階級性」とは、村上氏の表現から借りれば、
“NYで何が流行っていようが、LAで何が流行っていようが、(中略)そういう流動性、感覚性を黙殺し、淡々と我が道を行くという部分”
ということである。
さて、どうやって、今の時代に「知的階級性」を取り戻せるだろうか。難しい命題である。
もう一杯ビールを呑んで考えてみることにしよう。
稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。
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