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20123/22

●フラット化する世界とテレビの品格(稲井英一郎)

ドラマのセリフから学ぶ

最近のテレビドラマでNHK朝ドラの「カーネーション」は大変味わいある作品に仕上がっています。スタジオ内に作られた「オハラ洋装店」を舞台に登場人物が岸和田弁でテンポよく会話していく古典的なスタイルのホームドラマですが、渡辺あや氏の脚本で人物造形を丁寧に行っているためか、登場人物の一人一人が魅力的に映ります。それを際立たせているのが練りこんだ粋な「セリフ」の良さです。

そのセリフで思わず首肯するものが先日ありました。東京に事業進出しないかという誘いがかかって悩む主人公の小原糸子が、著名デザイナーに成長した娘たちの事業拡大に追われる多忙さを見るにつけ、老いた自分と時代遅れの洋装店の現状を嘆く。
近所でパーマ店を営む友人の八重子がそんな糸子を叱咤激励する場面。

糸子

「うちに洋裁を教えてくれた根岸ちゅう先生がな、こないいうたんや。ほんまにええ服は人に品格と誇りを与えてくれる。人は品格と誇りをもって初めて希望が持てる。
(中略)・・・あかん、年や、年やな。」
(弱音を吐く糸子に怒った八重子は、自宅にあった風呂敷包みを抱えて戻り、
糸子に見せる。風呂敷の中身は昔、糸子が八重子のために縫ったパーマ店
開業当事の仕事着だった。)

八重子
「うちの宝物や!ボロボロやったうちに、うちとおかあさんと奈っちゃんに、希望と誇りをくれた、大事な大事な宝物や!」

 このセリフのやりとりで視聴者の気持ちを鷲づかみする脚本家や演出力に敬服しつつ、私はすぐさま脳の中で「服」を「番組」に置き換えました。前川さんが問いかけている「思想としてのテレビ論」、作り手が立脚すべき「旗印」に成りえると思ったからです。


多様性がうみだす番組の品格

いい番組もまた“品格” と“誇り”そして“希望”を人々に与えてくれる。
その番組を視ることで、自分が住む、あるいは生まれた社会郷土の風俗慣習、民俗芸能、美術と文学、歴史に叙事詩、母語などへの理解が深まり親しみを覚える。理解が深まれば愛情や誇りを持てる。凛とした品格がにじみ出る。それは明日への希望につながる。
もちろん番組を「小説」「雑誌」「映画」「曲」などに置き換えても成立すると思います。

この品格や誇りが今の「放送文化」にどの程度あるのか。品格を涵養できる番組のあり方は何か。ドラマを視て考えさせられました。で、結論めいたことを先に言えば「文化の多様性」を尊重することではないかと思えてきたのです。
品格は、他者の誇りも尊重しなければ、下品に、傲慢になるだけでにじみ出てこない。つまり、多様なるものを認めていかなければならない。

文化といっても範囲が広いのですが、文化は言い換えると「人間が営む生活の表現様態」です。表現である以上、他人に理解してもらわなければいけない。劇作家の井上ひさし氏は「森羅万象を表現し,人間の喜怒哀楽のすべてを互いに伝えあうのが言葉」と書いていますので、その定義を借りれば文化は言葉とほぼ重なりあうといえます。


「蝸牛考」と方言

さて、言葉について井上ひさし氏は、民俗学者の柳田国男氏が著した「蝸牛考」(かぎゅうこう)を「日本語教室」(新潮選書)という著作の中で紹介しています。
蝸牛とはカタツムリのことで、近畿で「デデムシ」と呼ぶことに始まり、近畿から遠ざかるにつれ「マイマイ」「カタツムリ」「ツブリ」「ナメクジ」と呼称が変化していきます。

つまり、言葉というのは勢力の盛んな文化の中心から絶えず生産され、カタツムリの渦巻きのように同心円状に周辺に広がっていく。そうすると文化の中心から最も遠いところに一番古い言葉が残るという仮説で、「方言周圏論」とも言われているのですが、この蝸牛考を説明するときによく取り上げられるのが、松本清張氏作品の「砂の器」です。

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ズーズー弁を喋っていた被害者の身元特定に苦労する刑事が、東北訛りによく似た発音が出雲(島根県)に残っていることを知り、事件の核心に迫っていくのですが、同種のプロットはフジテレビの映画「踊る大捜査線」にも使われたのでご存知の方もいるでしょう。

単一の言語と思われがちな日本語も、各地に多様な方言が時間軸に沿って伝わり、いまも残っているのです。


テレビで知る日本語の多様性

冒頭とりあげた「カーネーション」は岸和田弁のほかに日本語の多様性が楽しめます。日本語は「やまとことば」に仏教系の漢語が法体系の思想として組み込まれ、さらに多くの渡来語も入り込んで独自に発達形成されていきました。それが明治維新になって輸入された西洋思想が漢語に翻訳され、戦時中は軍隊用語が日常を支配し、終戦後は進駐軍とともに「英語」などが怒涛のように流れ込んでくる変遷がドラマから透けてみえます。

「パッチ屋で働くやて!ふざけるのも大概にせえ!」
「パッチ」は朝鮮語からきた朝鮮式股引(ももひき)。歌舞伎にも登場する古い言葉。

「モンペみたいな辛気くさいもんこそ、上等な生地でこさえなあかんのや。」
「モンペ」も股引から来たなど諸説あり。おもに東北地方で用いられた労働用山袴の一種。戦時中に婦人服として着用が義務づけられ戦時体制を想起させる言葉に。
江戸時代に上方の人形浄瑠璃や歌舞伎に使われた「辛気」や「辛気くさい」(=気が滅入る)は関西弁として扱われがち。しかし江戸の滑稽本にも登場する。

 「どんだけええ生地で丁寧に(洋服を)こさえたかて、モードが台風みたいにぜーんぶ、なぎ倒していってまいよんねん。」
「モード」はフランス語から来た婦人服の流行やスタイルの意味で英語にもある。ここでの「モード」は流行を駆り立てるアパレル産業のこと?

言葉の多様性でいえば、TBS開局60周年記念で制作されたドラマの「JIN-仁-」も傑作中の傑作です。村上もとか氏の原作漫画を映像化したこのドラマは、現代の脳外科医がタイムスリップした幕末の江戸が舞台でした。
下町の町人や商家、下級武士、幕閣、大奥にいたる江戸の因習、価値観、生活様式が丹念に描きこまれ、世界中から評価された作品になりました。
JIN--」を見ているだけで江戸文化を育んだ日本人としての品格と誇りをもてる気がしたものです。

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JIN--」プロデューサーのTBS石丸彰彦氏は、いつだったか、「テレビはおもちゃ箱のようなもの」というような持論を語ったことがありました。
このドラマでは山手弁に下町弁、武家言葉に公家言葉、長州弁と薩摩弁と土佐弁、京言葉(町ことば)に大阪弁、廓詞(くるわことば)に英語、そして現代の日本語が登場するので、まさしく「方言のおもちゃ箱」として日本語の多様性を再現したドラマです。


消えゆく言語とテレビの役割

ところが、その多様性にカラータイマーが「ピコン、ピコン」と鳴り始めています。世界に残る約6,000の言語のうち、日本も含めておよそ2,500言語が消滅の危機に瀕しているとユネスコ(国連教育科学文化機関)が2009年2月に発表しています。

当時の新聞報道によると、アイヌ語は話し手が15人しかおらず「極めて深刻」と警告を受けています。ほかに日本では琉球語系の八重山語・与那国語が「重大な危険」に、同じく沖縄語・国頭(くにがみ)語・宮古語・奄美語、それに東京都八丈島近辺の八丈語が「危険」と分類されました。
八丈語などの「島ことば」は方言という説もありますが、いずれにしても危機的な状況を知るにつけ、テレビもその強烈なメディアの力で文化や言葉を「標準化」、「同質化」させてきた功罪を思わずにはいられません。

もちろん個々の番組制作者は文化の多様性を表現しようともがいてきた歴史があります。またお笑いは関西弁を、歴史ドラマは土佐弁や薩摩弁を、テレビ小説などが東北弁を、全国区にしてきました。
江戸時代は武家言葉や「謡」が実質共通言語として機能したようですが、いまは秋田と鹿児島、高知、大阪の4人が集まって方言で話をしても立派に会話が成立します。
テレビは曲がり形にも「同質化」と「多様化」を均衡させる重要な「役割」を演じてきたのです。


フラット化する世界に抗う

しかし猛烈な勢いで進行するグローバリゼーションとデジタルIT革命を目の当たりにすると、便利さが増える分だけ漠とした不安もついて回ります。
人々がPCやタブレットの小さな画面で自分が関心あるものだけ選んで見るようになれば、「モード台風論」を糸子が心配したように、志村さんが指摘したように、多様性はどんどん失われていく。個人的には英語とデジタル思考に収斂していく気がしてなりません。

世界の構造がさらにフラット化して同質性と多様性との均衡が著しく崩れるようであれば、映像・音声メディアであるテレビは、これに抗い、従来の無意識的な「役割」から「使命」に歩みを進めるべきです。
同質化の良い面を認めつつ、言葉をはじめとする有形無形の文化に意識的に多様な光を当てていく。それは新しい時代の均衡点と品格を求めることになるはずです。

なんといってもテレビには多様性を生かせる力と場があり、その働き次第で品格も生まれるからです。

 

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

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コメント

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  • コメント (2)

    • Natsuhiko Ujiie
    • 2012年 3月 22日

    コメント欄が二種類表示されるようになってしまいました。Facebook AWBの仕様が変更になったためのようです。こちらに書くとどうなるのか、ちょっとやってみます。

    • Tabuchi
    • 2012年 3月 22日

    こちらは「あやとりブログ」アカウントでログインしないと使用できないので、Facebookアカウントでログインされるユーザーは、Facebookコメントの方を使うことになるかと思います。

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