あやぶろ/OLD

テレビの中の人による唯一のテレビ論、メディア論ブログ

© あやぶろ/OLD All rights reserved.

20123/21

<3.11>が巡って来た。吉本隆明が逝って、また一つの時代が終わった。―せんぱい日記― 前川英樹

 

 

3/1(木)
晴。今シーズン初めて積雪、天候ともに恵まれた。
食堂の窓からは、白樺林の向こうに朝の戸隠連峰が見える。
少し春が近付いたかな。10時過ぎまでは雪面も締まっていて、自在に滑った。堪能した。

「伝説のCM作家杉山登志―30秒に燃え尽きた生涯―」(川村欄太・河出書房新社)読了。
テレビコマーシャルの創生期を、狂ったように走り抜けていった人がいた。

3/2(金)
雨。午後、「放送人の会」一年間の番組総ざらい合評座談会。
みんな良くテレビを見てるなァ・・・。それに、コメントがそれぞれに説得力がある。自分の言語能力を反省。
夜、「あやブロ」飲み会。新橋。

3/3(土)
雛祭り。
我が家は双子の女の子だったのに、お雛様を買ってあげなかった。今になって申し訳ないことをした、としみじみ思う。いくら余裕がなかったといっても、それくらいしてあげれば良かった。

3/5(月)
あやブロ「個人技を磨け」UP(http://ayablog.com/old/?p=18586)。

(写真は1958~9年頃 小石川高校グラウンド OB戦 GK前川)

 3/6(火)
<あさま505>で戸隠行き。この新幹線の停車駅は、大宮-上田-長野なので楽で早い。
曇天、気温高く悪雪。今シーズンはほんとに恵まれない、悪雪をこなすのは上手くなったけど。
そうこうするうちに携帯に電話。
演出部時代の先輩、高橋一郎さんの訃報。嘘だろう、あんなに丈夫な人が・・・と思ったけどほんとだという。明後日通夜、明後々日葬儀。一日早く切り上げて葬儀に出るか・・・。
戸隠ではいろんなことに出遇う。
何代か前の社長が現役のまま死んだという知らせも、昭和天皇の崩御のニュースもここで聞いた。数年前には従兄弟の訃報が届いた。寒い季節だ、そういう知らせも多いのだろう。
去年は<3.11>だった・・・日本列島の訃報みたいだった。

あやブロ「せんぱい日記」UP(http://ayablog.com/old/?p=18598)。

 

3/9(金)
氷雨。10:30.高橋一郎さん告別式。
喪主の夫人が「みなさまに鉄人と呼ばれた夫でしたが・・・」という。ほんとだ、疲れを知らない人だった。3年前から膵臓がんだったという。が、一切誰にも知らせるなと、家族にはきつく言い渡していたそうだ。そういえば、去年の11月の演出部OB会では、痩せたなァ、と思ったのだった。
ぼくがロケをしていると「ちょっとワンカット撮らせてくれる」という。「どうぞ」と言うと、これが延々と続いて終わらない。スケジュールも予算も、「一郎さん、オーバーですよ」というと「前川君、かかるものは、かかるんです」と言う。
それが退職後にフリーで仕事をするようになると予算もスケジュールもきちんとこなしているという話で、ばったり会ったときに「ホントですか」と聞いたら「もちろん」という。じゃあ、TBS時代しどうして?だって、今は仕事なんだから、エッ!TBSの頃は仕事じゃなかったの?TBSは好きなことを自由に出来たからね・・・ウーン、そういわれると、いや、それって違うでしょとは言えなかったな。
普段は一郎さんと呼んでたけと、仕事!の時は「高橋さん」とちゃんと向き合うのが自然だった、そんな背筋の伸びをもっている人だった。

3/10(土)
「放送人の世界―佐藤幹夫 人と作品―」第一日。NHK放送博物館。
佐藤さんというディレクターのことは、不覚にも知らなかった。「破獄」の印象は強く残っていたけど、今日「約束の旅」(脚本池端俊策1987 芸術選奨新人賞 プラハ国際テレビ脚本賞)を見て、そのシュールな感覚に感心した。
終了後、今野氏とドイツビールの店アイヒェンプラッツ(赤坂)。代々木上原まで来て、傘を忘れたことに気がついて、店に電話。

3/11(日)
「放送人の世界―佐藤幹夫 人と作品―」第二日目。
「私が愛したウルトラマン」(1993 脚本市川森一 放送文化基金賞)は良い作品だ。
大河や朝ドラ、藤沢修平もの、そして「坂の上の雲」なども演出しているが、そういうオーソドックスなものより、少しアバンなものが良い。
それにしても、司馬遼太郎作品をどうみるか、ポスト<3.11>という近代そのものの破綻との関係で難しい、と改めて思った。

そう、今日は<3.11>だ。

3/13(火)
「放送人の会」の入会関係や法人化について打ち合わせ。今野氏、中山氏。於、テレビマンユニオン。終了後、今野さんが「アイヒェンプラッツに行こう」と今日も言う。「ああいう明るい店は良いね、暗い店だと酒飲んでても陰々滅滅になりそうなことがある」という。この店が気に入ったらしい。

3.14(水)

JCOM関係ケーブル局の番組審議委員会。町田、調布、世田谷などの合同番審。

3.15(木)
11:00.元総務省幹部で、地デジの政策化の担当課長だったS氏に面談。
当時の郵政省内でのデジタル化政策の力学と論理と人間関係のことなど。役人のメンタリティーって面白いと思いつつ、もちろんチャンとした官僚は必要だとも思った。当たり前だ。
16:00.民放連「客員研究員研究会」最終回、オブザーバー参加だが1年度目終了。

3/16(金)
吉本隆明氏死去。
良く分からないままに、「異端と正系」「擬制の終焉」「芸術的抵抗と挫折」「抒情の論理」などに鉛筆や万年筆で線を引きつつ読んだものだった。何故か「マチウ書試論」に衝撃を受けた。重たい切ない時代だった。
・・・「ほくが倒れたら、一つの直接性が倒れる」、という吉本の詩の一節に支えられたこともある。思想というレベルではなく、もっと俗な事象だったけど。

大学4年の時だった。日本読書新聞の編集者に、どういういきさつかは忘れたけど、吉本氏宅に連れて行かれたことがある。質素な玄関の上がり框に座り込んでの話だったと思う。編集のことか何かの用事が済んだときだった。突然吉本さんは僕に向かって「君、資本論読んでる?」という、「エッ、ええ、まあ・・・」「そう、それじゃあ、さあ・・・」と言って立ち上がって奥に行ったかと思うと、資本論を手に戻ってきて「ぼくはいま読んでるんだけど、ここが分からないんだ。君どう思う」とページを開く。線が引いてある。その率直さに圧倒された。
唯一、吉本さんと直接会話した場面だ。
吉本隆明、谷川雁、埴谷雄高、この人たち抜きにぼくの60年代は語れない。
この人たちと同時代を生きたこと、それはホントに良かった、幸運だった、とぼくは思う。
また、一つの時代が終わってしまった。

「マチウ書試論」(藝術的抵抗と挫折)のページ

 

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール

1964年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。
「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸隠。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点⑤

停滞する民主主義が進化する途 ワールドカップの中継番組の瞬間最大視聴率が50.8%だったそうです。このニュースを見…

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点④

ストレンジなリアリティー:ガンダムUC ep7を見て考えたこと 『機動戦士ガンダム』は30年以上前に、フォーマット…

20146/17

情報“系”の中のテレビジョン

6月は、いろんなことがある。 会社社会では6月は大半の会社の株主総会の季節だから、4月の年度初め、12月の年末とともに一つの区切りの季節だ…

20146/16

テレビというコミュニティ。あやブロというコミュニティ。

あやとりブログに文章を書くようになってかれこれ二年以上経ちました。2011年に出した『テレビは生き残れるのか』を読んでくださった氏家編集長か…

20146/13

ワンセグ全番組タイムシフト視聴は視聴率を下げるのか検証してみた〜ガラポンTV視聴ログより

リアルタイムの放送をテレビで視聴する人が増えることは良いことです。 言うまでもなくこれは「視聴率が上がる」ことを意味します。 &nb…

ページ上部へ戻る