●メディアはコミュニティになる。コンテンツはコミュニティになる(境治)
先日、あやとりブログの重鎮、前川せんぱいとお会いする機会があり、ブログの文章同様“生の”前川せんぱいも温かい方で初対面のぼくに対し気を遣ってくださいました。その前川せんぱいから「次々書かなきゃ忘れられちゃうよ」とお尻を叩いていただいたので、また書いてみます。(でもそれから二週間も経っちゃいましたが)
前川せんぱいはぼくが書いた「ソーシャルテレビに鍵がある」という論のあやとりとして、その先にメディア論とビジネス論をどう上手く取り結ぶかを考えねば、というようなことを書かれていました。これをぼくへの問いかけと受けとめて、論を進めてみたいと思います。とは言え、はい!これが新しいメディアビジネスの答えで来年からこんなに稼げます!という結論からはほど遠いですが。その前の前の、やっぱりビジネスに弱いメディア論者です、みたいな内容になる予定。
ソーシャルテレビの必然性を別の角度から考えると、実はそもそも、テレビとはソーシャルな存在だったのではないでしょうか。ソーシャルとは、社会的とか社交的という意味ですよね。テレビが普及した原動力は、皇太子陛下の結婚や、東京オリンピックだった。子供の頃、浅間山荘事件を日本中がテレビを通して見つめたことを記憶していますし、去年のなでしこジャパンの優勝は夜中でも多くの人が見ていた。日本にとっての大きな出来事を共有、つまりシェアするのに、テレビというメディアは大いに役立ったわけです。
テレビには日本という大きな社会を、ひとつにむすぶ役割があった。今でもあるのだと思います。先日の3.11の追悼式典をテレビ各局が中継しました。あの時、みんなで黙とうしたのは、テレビを通じてでした。被災者を想ってみんなで黙とうしようぜ、という気持ちをみんなで”シェア”したのは、Facebookではなくテレビだったのです。そしてテレビを直接見てない人にもTwitterを通じて伝わった。タイムラインに並ぶ”黙とう”のつぶやきを見て、あ、みんな黙とうしている、ぼくも私もそうしよう、となった。
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