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20143/31

カウンターカルチャーが定番になった30年が終わる

『笑っていいとも!』がこの3月31日で終了しました。

 

昨年の10月に終了が発表された時、感慨を持って自分のブログに「「笑っていいとも」の終わりは、新しいテレビのはじまりになるのだろうか」と題した記事を書きました。密室芸人だったタモリさんが昼の番組の司会に抜擢されたことの当時の衝撃を思い返した文章です。

 

その『笑っていいとも』がこの春で終わることの意味は大きいと思います。やはり80年代以降のテレビを象徴する番組ですから。

 

80年代のフジテレビは、存在そのものがカウンターカルチャー的だったと思います。裏にあったものを表に強引に持ってきたような。

 

それは、一度完成された“テレビ“を解体させる作業でした。80年代は、解体して再構築したのではなく、ひたすら解体していただけだった。そこがすごかったと思います。

 

皆さんご存知のように、フジテレビは70年代に制作を外に出してしまった。体制が変わって社内で制作をやるんだとなり、制作会社に散っていた人びとが戻ってきた。抱えていたルサンチマンを自分たち主体で制作することにぶちまけたんじゃないでしょうか。横澤さんもそのひとりだったわけで。

 

『笑っていいとも!』もそうですが、その前の『笑ってる場合ですよ』にしても『おれたちひょうきん族』も『オールナイトフジ』も、思い返せばめちゃくちゃな番組でした。あるいは『月曜ドラマランド』というドラマ枠があって、なんだこれ?みたいなドラマばっか放送してました。

 

「楽しくなければテレビじゃない」ってのもいま思えば、それでいいのかよ?と言いたくなるスローガンです。楽しい方がいいにしても、テレビ局が自分で言っていいの?

 

90年代に入ると、『笑っていいとも!』は当初の常軌を逸した感じから、昼の番組の定番となっていきました。テレフォンショッキングは「次は誰なんだろう」というワクワクが薄れ、”プロモーションの事情”が反映されたと誰でも読めるような形でバトンが渡されるようになりました。

 

80年代はめちゃくちゃで正直クオリティとして高かったわけでもないバラエティやドラマが、洗練されていった。気がつくと、テレビが達しうるクオリティの最高のものではないかという番組が90年代にはどんどん登場しました。それに他局も引っ張られる形で進化していく。この当時の最前線の現場にいた誰もが、フジテレビの影響や対抗心を口にします。

 

日本のテレビは、独特のコンテキストの中ではあるけれども、ひとつのカテゴリーの中で最上級のレベルに達したのだと思います。そしてそれは、80年代にフジテレビがテレビを一度ぶっ壊したことからはじまっている。カウンターカルチャーがメインカルチャーに育ったのです。

 

『笑っていいとも!』の終了は、そういうテレビの進化の帰結点なのだと思います。

 

さてこれから、テレビには何が求められるのか。テレビは本来もっとやんちゃだったのに、という言い方があって、確かにそうだとも思うのですが、それがともすると懐古的になりがちです。80年代のあの無軌道ぶりよ、もう一度。テレビ界にそういう意志も感じます。

 

そうなんでしょうか。

 

あんな奇跡的なむちゃくちゃさはもう一度引き起こせるものでしょうか。

 

みんなわかってますよね。無理ですよ、そんなの。時代と人材が偶然あの時代に結びついてできあがったことですから。『笑っていいとも!』を超える番組なんて『笑っていいとも!』を超えようと思ってつくる限り無理です。

 

『おれたちひょうきん族』は『8時だよ!全員集合!』と正反対のことをやろうと考えてああなったのだそうです。超えようと思わなかったから超えられた。

 

だから次のテレビの潮流は80年代への回帰から起こるんじゃなくて、ええー?!そんなところにそんな奇妙なことが起こってるの?というところから起こるんじゃないでしょうか。

 

うちの息子は今度大学生になるのですが、「笑っていいとも!終了についてどう感じてる?」と聞いたら「・・・べつに・・・」だそうです。もちろん見たことはあるし、ネットでもたびたび「いいとも!で○○○が×××と暴露!」などと話題になる。それは知っているそうです。影響力が大きい番組なのだなあとは思っている。でも、興味の対象に入っていない。彼の生活や文化の中に入っていないのです。

 

いまの10代のメディア接触はその上とまるでちがう、という話があってそれはまた別の機会に書くとして、『笑っていいとも!』という国民的番組の終了は、いまの10代には「・・・べつに・・・」という程度のものなのです。

 

国民的番組の“国民”の中に10代は入っていない。でもその存在や影響力は知っている。

 

そこに何か重要なことが埋まっている気がします。もし”次のテレビ“があるとしたら、そこにヒントがあるんじゃないかと。

 

 

 

境 治 プロフィール
フリーランスのコピーライターとして長年活動したのち、映像製作会社ロボット経営企画室長・広告代理店ビデオプロモーション企画推進部長を経て再びフリーランスに。2011年7月に『テレビは生き残れるのか』を出版。
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