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20129/6

9・6【江戸から考える「メディア」の条件】稲井英一郎

 

 

6月のポスト「いきと野暮のメディア論」に続いてふたたびお江戸もので書きます。

タイトルにある「メディア」とは商業メディアの意味ですが、本邦初の商業メディアは江戸時代にうまれたと言っていいでしょう。このブログでは学術的見解を述べるわけではないので大雑把なことはご容赦ください。

 

【江戸メディアの嚆矢】

まず、何といってもこれこそ江戸メディアの代表「かわら版」。
1615年の元和元年、大阪夏の陣について記述された木版刷りの絵「大阪安部之合戦之図」が残っています。初期のころには「かわら版」ではなく「絵草紙」と呼ばれていました。

上段には炎に包まれて落城する大阪城、中断には合戦のようす、下段には家康ら東軍諸将の様子が描かれており、本邦におけるかわら版の嚆矢(こうし)と位置付けられるものです。ということは江戸メディアの、ひいては日本における初の商業メディアともいえるものでしょう。
写真の版はのちの時代に摺られたものと見られますが、夏の陣の当時から発行されていたたことは確かと考えられています。

 
大阪安部之合戦之図~東京大学総合研究博物館HPより

のちにかわら版は、江戸中期以降、大事件や災害などの最新ニュース、街のトピックスなど大衆が興味ひかれるようなストーリーを読みながら売り歩くという販売スタイルだったので「讀賣」とも呼ばれました。
もちろん1874年に創刊された「読売新聞」とは違いますが、現代の新聞「号外」のルーツと言えるものです。

 

【浮世絵は電波のない時代のテレビジョン】

かわら版に対して、ビジュアル効果で大きな影響力をもったのが浮世絵です。
浮世絵の祖は菱川師宣で1671年(寛文11年)のころに初作を出して以降、肉筆画の「見返り美人図」など多くの美人画をものにしました。

この浮世絵に特筆すべきイノベーションがみられたのは1765年(明和2年)のことです。

絵暦(えごよみ)の交換会に鈴木春信がはじめて「錦絵」(にしきえ)という版画を発表しました。「錦絵」が画期的だったのは、それまでの浮世絵版画が単色摺り(墨摺絵)か二色摺りだったところを、春信が鮮やかで美しい多彩色の版画の技法を編み出したことにあります。そのクォリティのよさから、またたく間に流行しました。

そして浮世絵には幅広い購買層を対象にした大衆性が求められたため、さまざまな画題が取り上げられました。
美人画、役者絵、見立絵、武者絵、力士絵、絵暦、名所絵、春画、花鳥画、戯画・・・
ニュースだけはありませんが、これってテレビ番組のジャンルそのものですね。

 

【お江戸のキャンディーズかAKB?】

たとえば「美人画」では、「明和の三美人」や「寛政の三美人」があります。

明和三美人に描かれたのは、笠森おせん、柳屋おふじ、蔦屋およし。いずれも茶見世や楊枝店(楊枝やお歯黒の材料を売っていた)ではたらく一般のワーキングガールでした。

本人たちの美少女ぶりがはじめに話題となったのか、鈴木晴信の筆の巧みさが評判をよんだのか、見物人が大挙してその店に押しかけるほどの社会現象をうみました。

谷中の水茶屋「鍵屋」の看板娘だった笠森おせんも、おせん見たさに鍵屋近くの笠森稲荷の参拝客が急増したといわれます。


ブルックリン美術館蔵「笠森おせん」(鈴木晴信筆)~ウィキペディアより

成城大学で江戸文化を専門とされている小沢詠美子講師は「おそらくこれ(三美人)が、本邦初の美少女アイドルであろう」(「お江戸の経済事情」東京堂出版)と位置づけます。
美人画は今でいえばアイドルものの番組ジャンルで、明和3美人は「お江戸のキャンディーズ」!?16人いれば「お江戸のAKB」だったでしょうか。

「役者絵」はもちろん、当時は人気絶頂を誇った浮世絵役者を描いています。いまでいえば、人気男性アイドルでありイケメン俳優です。この歌舞伎役者に、どれほどの人気があったかは「江島生島事件」が示しています。

1714年(正徳4年)、江戸城大奥の御年寄(最高幹部)であった江島が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことがありました。しかし帰城のさいに門限に遅れたことが騒ぎとなり、関係者が多数処罰された一大スキャンダルに発展しました。背景には幕閣内の権力闘争があったともいわれ、これまで何度もテレビドラマや映画の題材にもなった史上有名な事件です。

 

【日本独自の表現様式~見立て】

さて浮世絵ジャンルの一つ「見立絵」(みたてえ)にも使われている「見立て」とは何でしょう。

「見立」とは故事、古典詩歌、中国から伝わった唐絵の画題などを主題とし、その登場人物や場面を、当世風の人物・場面に「見立てて」描き上げる表現手法で、観賞する人に一定の機知や想像力を求めるものです。

この表現手法は日本独特のもので、たとえば落語の噺家がソバを食べる描写をするときに扇子をうまく箸のように使うのも「見立」です。
そして江戸時代はお上のことを直接描くのはご法度とされていたため、見立絵には、幕政に関する話題を昔の人物になぞらえて表現する手法も採り入れられました。特に人気が高かったのが幕閣をパロディー的に風刺したものです。

幕末の反骨の奇才絵師「歌川国芳」が描いた「源頼光公館土蜘作妖怪図」。

この当時に老中首座だった水野忠邦は綱紀粛正や奢侈禁止を求める「天保の改革」を断行しました。妖怪図は、これに対する大衆の怨嗟や怒りを百鬼夜行というメタファーで表した「判じ絵」として解釈され、当時、大評判となりました。「源頼光公館土蜘作妖怪図」~日本経済新聞社発行“没後150年歌川国芳展”より

 

国芳が幕閣に見立てたのは、平安時代の清和源氏中興の祖である源頼光や、家来であった坂田金時(あの金太郎さん)たちです。なお、ここに描かれた妖怪たちはスタジオジブリのアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」のなかで、狸が化ける妖怪のモデルになりました。

浮世絵では、このほか「力士絵」をスポーツ番組のジャンルに、「名所絵」を旅番組に見立てていくこともできます。
また「絵暦」とは一年の暦(こよみ)を絵で表しているものです。絵の中に暦の数字を隠しているため一種のなぞ解きをしなくてはならないのですから、クイズ番組のジャンルと重なります。

 

【商業メディアの要件とエディターシップ】

ところで、お江戸で浮世絵などが商業メディアとして成りたった基盤は何でしょうか?
個人的な意見ですが
イ)  大衆消費社会の成立
ロ)  多様な文化の存在
ハ)  国民の識字率の高さ
ニ)  大衆の情報ニーズと行動(レジャー)文化の存在
ホ)  手ごろなメディア購入価格
などが挙げられると思います。

見立絵が示すことでも分かるとおり、この基盤の上に、情報(コンテンツ)を吟味したうえで効果的な表現様式をとり、新たな付加価値をつけようとする「エディターシップ」(編纂・編集意図)があることが、商業メディアたる基本要件です。

「浮世絵」や「讀賣」、そのほか「滑稽本」などの江戸メディアも販売することで成立しており、どうやって売上を伸ばすかが事業継続上の関心事になります。少しでも多く売るには、いかに消費者の関心を捕まえるかが大切ですが、浮世絵の成立過程をみていくと、決して「先にマーケティングありき」ではありませんでした。

プロデューサーである版元や才能ある絵師には、新しいジャンルに挑戦して独創的な作品を流通させたいという強いエディターシップがあり、掘師や摺師たち工房の職人が分業体制で技術的工夫やアイデアの熟成を加えていく。
そこには買い手に「どうでぇ!」と作品の出来を自慢する「いき」の心があったはずです。

でなければ、鈴木晴信が技法を凝らした「錦絵」のイノベーションはありませんでした。錦絵の登場によって、浮世絵の表現能力は高い次元へと飛翔し、美人画や名所絵も江戸後期は洗練の極みを見せるようになりました。
特に葛飾北斎は「富嶽三十六景」において風景を活かした造形美を追求し、歌川広重は「東海道五十三次」や「名所江戸百景」に人々の暮しを織りこむことで、それぞれ「アート」に昇華した揃物(作品シリーズ)を世に出すことができたのです。その画道には確かなエディターシップがありました。

それにしても当時の浮世絵の値段は蕎麦一杯の20文程度だったといいますから、これほどクォリティが高く摺られた直後の美しい錦絵の揃物が、飛ぶように売れたのは当然でしょう。人気のたかい浮世絵は一日1,600枚も摺られたといいます。

 

【メディア主導型文化と幕府との緊張関係】

ところで「名所江戸百景」(江戸百)になると絵師のメッセージがこめられていると言われています。

歌川広重筆「浅草金龍山」~アダチ版画研究所の復刻版より

「江戸百」の代表作である「浅草金龍山」は、安政大地震によって浅草寺の五重塔の先端部分である九輪が曲がった翌年の夏に刊行されました。
その修復がなったあとの夏の五重塔のようすを広重は「雪のなかの浅草寺」という情景に見立てました。その意図は、地震からの復興を願う世直しのメッセージを紅白のめでたい構図に託したともみられるのです。(※)

さらに浮世絵などの江戸メディアは、文化・文政期(1804-1829年)に花ひらいていた「行動文化」(レジャー文化)をいっそう触発しました。大山詣、富士講参詣、浅草花やしきの造園開設などがブームとなり、より多くの人々が浮世絵などに描かれた古刹や名所旧跡に足を運びました。
よくもわるくもメディア主導型で流行文化・情報発信をになう現代のマスメディアの姿を彷彿させるものです。

一方で幕府は世論形成にも影響力をもつようになった浮世絵の版元に、たびたび干渉するようになり、時の政府との間で一種の緊張関係が生じるようになりました。これも浮世絵がエディターシップをもっていたからです。

 

【ソーシャルにエディターシップは存在しない】

さて、前回のポスト(ソーシャル“メディア”を「考える」)でも書きましたが、ソーシャル・メディアの本質はコミュニケーションであり、ネットワーキングです。

やりとりされる情報にはマスメディアからの流用が多いため、マスメディアを代替するかのような機能に注目しがちですが、そこにソーシャル・メディアとしての明確な編集意図「エディターシップ」は存在しません。
志村さんや河尻さんが過去のポストでメディアの役割として言及された提示」「調停」「デザイン」「キュレーション」などの言葉は、「エディターシップ」における個別機能にあたるのではないでしょうか。

エディターシップがないソーシャル・メッセージの集合体は、発信される際の集団心理しだいで、ときには「アラブの春」となり、またあるときには「日本ガンバレ!」となります。
しかしごくまれに、境さんの言う「イナゴの大群」や「王蟲の暴走」のように極端な方向に「リスキーシフト」して炎上してしまうことも、私たちはすでに知っています。

(※)参考文献:原信田実著『謎解き広重「江戸百」』(集英社新書)

 

 

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

 

 

 

 

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