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20128/23

8・23【国家と風土、個人、メディアの立ち位置 – 前川センパイ、河尻さん、境さんへのあやとり -】志村一隆

 

 

嘘とメイク

ボーイズ・オン・ザ・ラン(テレビ朝日、毎週金曜11時15分放送)を見ていたら、女の子が付き合い始めの男の子にこう言った。
「嘘や隠し事はしないで」
とてもまっとうなセリフだが、こういったやり取りを聞くといつも思ってしまう。女性の「メイク」は嘘ではないの?女の子だってメイクを取った顔を見せたがらないじゃん。
それでも、冒頭のセリフが普通に聞こえるほど、世間(少なくとも東京23区)では、男女関係で隠し事をしないのが、普通の感覚だ。普通ってなに?
いっぽう、大人になれば「嘘も方便」な処世術が身に付き、融通効かせて生きていく。

 

国旗と大自然への畏敬感の違い

前回のポストで、一人の人間のなかにコスモポリタンとナショナリストが両立することを書いた。コスモポリタンの下にはナショナリストの顔があり、その下には、もっと大自然への畏敬を持ったまた別な顔がある。
いっぽう、「国家」という「想像の共同体」は、国旗、国歌、法律、徴兵など、色々なツールを使わないとリアルなものとして意識できない。そして、子供の頃から教育されなければ、これらの人工的なもの(記号)に敬虔な気持ちは湧かないはずだ。
それに、オリンピック選手でも、強化費を国から貰っている人と企業から貰っている人では、国家への距離感が違うだろう。
そんなことを考えると、国家は自分のなかに元々あるものなのか?という疑問が湧いてくる。
「竹島は日本固有の領土」というつぶやきで自分のタイムラインが埋まるのは、とても違和感がある。内容に違和感があるのではなく、同じつぶやきがタイムラインを埋め尽くすことに違和感があるのだ。いや、「そんな違和感を持っちゃいけない」と思う自分もいる。

 

境さんブログとセンパイコメント

そして、そこに前川センパイと境さんのポストで喚起された問題が絡んでくる。
境さんは、自身のブログ、クリエイティブビジネス論の「ソーシャルメディアは、ぼくらとオリンピックの関係を変えようとしている(のかもね)」で、こう言っている。

『そして、オリンピックとは国家の祭典だ。一方、テレビは国家と何らかの関わりを持たざるをえない存在だ。(少なくとも電波の割当は政府が決めるものだ)オリンピックという国家を代表するスポーツ選手たちの競技を、テレビという国家が許認可を出すメディア事業が、その国家に属する人びと(=国民)に伝える、盛り上げる。そういう構造だった。
そこにソーシャルメディアが加わることで、選手・テレビ・国民それぞれに対し国家が(意図せずとも)めぐらせていた鎖のようなものがだらだらと、ずるずると、ほどけていってしまう。』

そして、前川センパイは、それに対しフェイスブックのコメントでこう問題提起する。

『「ソーシャルメディアは、常にあるいは必ず<鎖>をほどくように機能するのでしょうか。ひょっとしたら誰が意図するということではなく、結果として<鎖>になってしまうことはないのでしょうか?」これから私たちが直面するかもしれないのは、そういうことかもしれないと思うのです。』

僕の答えは「イエス、<鎖>は常に現れる」だ。「竹島」や、正しさを「政府発表」に求めた大震災後のツイッター空間のように、「国家」を「お上」として奉る意識の人ばかりではないか。高速道路でのちょっとした減速が渋滞になるように、あるいは少しの気圧の差で渦巻きが形成されるように、リーダーがいなくても集団の意志、方向性は決まって行く。国家が放った鎖が解けても、自縛的な鎖が現れるのではないか。それは、つまり、ソーシャルメディアの仕組みではなく、使う人の意識の問題だと思う。

 

河尻さんのリスペクトすべき仕事

そんなことを考えていたら、昨年9月に「あやぶろ」シンポで、河尻さんが「ソーシャルメディアでなくてソーシャル・ネットワークなんです」と言ったことを思い出した。時間性(=意志)を持たなければ「メディア」と言えないのではないか?というのがああやぶろで議論してきたことだと思うが、ソーシャルメディアが意志のない脊髄反射つぶやきで埋まるなら、それはメディアでなくネットワークと言った方がいいだろう。(河尻さんの言葉、1年間気になっていた)
その河尻さんが自身のダイヤモンド・オンラインの連載「デジタル・クリエイティブ Review」で、あやぶろ記事を紹介してくれた。

『著者が指摘する「(ソーシャル化による)マスメディアと個人メディアの時間の多層性」は、当連載で私がたびたび言及している「ストーリー・テリング」ともシンクロするテーマだと思いますが、それは今多くのクリエイターが直面している課題でもあります。より実践的には「その多層性をいかにデザイン・編集(キュレーション)するか?」「インタラクティブでダイナミックな関係性をいかにメディア的に調停(表現)するか?」ということでしょう。infograficsもそういった機能を持つ表現形態とも解釈できます。』

メディアがメディアたるには、ナショナリストやコスモポリタンといった多様な仮面を、ある種の意志(自律性)で提示(調停)できるかにある、と言っている。
そして、河尻さんのいうクリエイターの課題は、その「調停」技法の磨き方だけでなく、ソーシャルメディアがネットワークとして爆発的な情報量を持っている現実に対し、優れた「表現」センスが、量に埋没してしまう恐れがあり、それが前川センパイのいう「結果としての<鎖>」の出現につながるのではないかという点であろう。

 

今朝のテレビ番組とタイムラインの相似性

ここまで考えてきて、ではテレビはどこにその存在価値を見いだすのかという疑問が湧くが、今朝(8月21日)やっていたロンドン五輪メダリストの銀座パレードの様子は、ある種示唆的だった。
というのも、ある局はパレードの模様を映したあとで、「東京オリンピック招致に大賛成!」と話すインタビューを映していた。その意見がどれくらい多かったのかわからなかったが、その番組を見た視聴者は、東京オリンピック賛成の人って多いんだ!(テレビに流れた意見は、多数派と勝手に思い込んでしまう思考も内在されている)と無条件に思ってしまっただろう。
どの局も同じ時間にパレードの様子の放送するのは、ソーシャルメディアのタイムラインが同じ話題でいっぱいになるのと似ているし、無批判に意見を取り上げる手法も、どこかタイムラインのつぶやきと同じに見える。これでは、まるでテレビがソーシャルメディアの一翼として取り込まれているかのようだ。
今朝のテレビは、河尻論で言うメディアでなくネットワーク的な情報の増幅装置にしか機能していなかった。


バルセロナの地下鉄の案内版
Bon Viatageがカタルーニャ語、Buen Viajeがスペイン語
どちらもGood Trip という意味

風土と国家は別なもの

メディアがもし個人と国家の「調停的」な役割を果たせなかったら、<鎖>はいつの間にか現れるだろう。
日の丸は格好いいと思うが、それを強要されるとなると、ちょっと話が違ってくる。昔、少し住んだことがあるテキサス州は、星条旗よりテキサス州旗のほうが上に掲げられている。だからといって、すぐにテキサスが独立するわけでもなく、役割分担をしながら連邦に留まり共存する。大人な関係だ。
スペインのバルセロナの公共の案内版は、言語が一つだとカタルーニャ語、2つ文字列が並んで初めて、スペイン語が並記されるという。
こうした2面的な仕組みを持って生きている人たちと、日本的な仕組みで生きている人ではどっちが幸せなのか。ソーシャル・ネットワークがメディアとなるには、使う側に「嘘も方便」的な大人な振る舞いが必要なのではないか。
このように考えてくると、国家はお上でなく、個人と国家は契約関係にあり、利害が一致しているときだけ寄り添えばいいのではないかと思えてくる。もちろん、国籍を変えることができる人、移住なんてとても無理、色んな立場があるだろう。
しかし、少なくとも日本という風土と地元のコミュニティ(または家族)と国家は別なものだと敢えて考える思考実験を常にしておく必要があるのではないか。
その思考を提示し続けられるのが、メディアの役割であろう。

 

志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取 締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka

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