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20128/24

8・24【ソーシャル“メディア”を「考える」】稲井英一郎

 

 

【空と雲を眺めて“時間”を知る】

光り輝く東京湾~「海ほたる」より

 前回のポスト「黄金の海」では、重層的な情報メディア空間の中で自分の時間感覚が狂い出したら、太陽の陽射しを見ることが有効策の一つと書きました。
作家、城山三郎さんのエッセイの中に、太陽にまぶされていく相模湾が黄金に光り輝くさまを時おり眺めて一日の終わりを実感していた、ということが書かれてあり、それを紹介したのですが、さて自分にとっての「黄金の海」なるものは何なのか?

本当なら海辺の家に住んで舟遊びをしつつ、城山氏と同じように海原の景観を眺めて時間の経過を感じたいところですが、残念ながら海辺には住んでいません。ところが、どこに住んでいようと手軽に活用できるものがあります。
それは、・・・「空」です。青空と雲が変化していくさま。

雲は、幾つかの高度に分かれて何層にも重なって見えることがあり、また大気の息吹で常に形が変化していくものですから、決して見あきることがありません。
おまけに陽の入りに向けて青空と白い雲が黄金とグランブルーの色相になり、やがて茜色が混じり、茜色の周囲には紫がかった墨色が広がり変化していく。
山の端に沈む太陽はものの5分程度で見えなくなってしまうので、僅かな時間の大気の変化は海に匹敵する時間の刻印をプレゼントしてくれます。

空と雲を見て一日のうつり変りを肌で感じる。体内時計を修正して自分の時間感覚(タイムライン)を管理できる範囲に保つ。そうした上でソーシャル・メディアを適宜、生活に採り入れる。それがなんとなく、自分にピンと来るやり方です。

九州の玄界灘方面の残照


【ソーシャルは“マスメディア”を代替しない】

それにしても、「ソーシャル・メディア」という表現は私も時々使いますが、自分も含めて正しく実態が理解されているのか、少し立止まって考えてみます。

本来はSNS=Social Networking Servicから派生した言葉だと思いますが、今ではブログやポッドキャスト、ネットフォーラムなど広範囲の様式を含みます。
もちろん中心になるのはSNSですから、その語義からいえば、情報(コンテンツ)を生成交換することにより社会的関係を構築できる媒体やネットワーク・サービスのことを言い、通信(コミュニケーション)の範疇に属するもののはずです。

しかしコンテンツのリッチ化(動画作成など)や、技術の進歩でマスメディアからのコンテンツを手軽に流用できるようになった媒体機能が着目され、最近ではマスメディアの代替概念のような扱われ方も増えてきました。

このためか、IOCは今回のロンドン五輪開催にあたりツィッターやフェイスブックなどのSNSのみならず、ブログやインターネットを利用する際には商業目的の利用を全面禁止するなどの制限事項をまとめたガイドラインを発表し、すべての関係者に順守を求めました。
同時に、SNSに投稿した出場選手をIOCのサイトで検索できるプラットフォームを整備し、「出場選手とファンの交流」という目的に限ってソーシャル・メディアを活用する立場を明らかにしています。

“The Olympic Athletes’ Hub was born out of our desire to connect Olympic athletes and their fans more intimately than ever before,” said Alex Huot, Head of Social Media for the IOC.

(五輪出場選手とファンがもっと親しく(ソーシャル・メディアで)交流できるようにという願いから、IOCのファン交流プラットフォーム“アスリート・ハブ”を立ち上げたとIOCソーシャルメディア責任者のアレックス・フォット氏は語った。)※(筆者訳)

 

IOC “The Olympic Athletes’ Hub”での米マイケル・フェルプス選手SNS投稿一覧

IOCは出場選手などに「一人称による日記形式での投稿」のみを認めており、ソーシャル・メディアはあくまでコミュニケーション・ツールであって、マスメディアに代替されるものではないという位置づけです。
IOCのフォット氏は、五輪の巨額運営コストを負担するスポンサーの権利を守るためには選手が商業目的でSNSを使うことを一切認めないと明確に答えており、そこには五輪を資金面で支えるマスメディア(テレビ局)などへの配慮があります。

 

【“社会的手がかり”と“非言語シグナル”】

ところで、パソコンなどを通じて媒介されるコミュニケーションはCMC(Computer-Mediated-Commnication)と呼ばれています。
社会心理学の領域では従来からCMCや、CMCを通じた集団討議が人々のコミュニケーションのあり方にどんな影響を及ぼすかが研究されてきました。

そしてインターネットにおける言論空間の一般的な傾向として、
①    「対面型コミュニケーション」と比べて相手の社会的地位や年齢、顔、声、服装などの「社会的手がかり」が得られにくい。
②    このため社会的属性や年齢も含めた上下関係、性別にあまりとらわれない平等な発言が促進されやすい。
③    他方で相手に配慮を欠いた発言が飛び出しやすい。
④    「対面型」で得られる相手の顔の表情、語調、身ぶり手ぶりなどの非言語シグナルが欠如しているため、言語的暴力が発生した場合に補正しにくい。
⑤    特に匿名の言論空間では社会的規範による抑制がききにくく、感情にまかせた言語的暴力が発生しやすくなる。
などの特徴があることが確認されています。

TBSメディア総研発行の「調査情報」にも執筆されたことがある東大大学院の橋元良明教授が「メディアと日本人」(岩波新書)という著書の中で、以上のようなことを分かりやすく説明されています。
なお実名登録が基本のフェイスブックや完全な匿名性ではないツィッターでは、リアルな人間関係を反映していることが多いため、上記のような言語的暴力が生じることは、そうはありません。

(岩波新書)

しかし一方で、ソーシャルの重層的メディア情報空間では別の問題が内在してきます。
それは「知る」ことが便利になりすぎて、「考える」という面倒くさいことをしなくなるというリスクです。

 

【「考える」のは面倒なことだ】

「暮しの手帖」という優れた雑誌があります。広告収入に頼らずに、基本的に雑誌の購読代金だけで経営している良心的な雑誌ですが、その編集長を勤めている松浦弥太郎氏が58号の編集長日記の中で次のように述べています。

“私の二十代は「考える」よりも「知る」ことに忙しくて夢中であった。昨日よりも今日、ひとつでも新しい何かを「知る」ことによって、自分が一歩、前進したような気になってそれが楽しかった。”

“だからかもしれないけれど、当時「考える」ということが、自分の身につくことはなかった。何かを知れば知るほど、「考える」という気分にならなかったからだ。”

松浦編集長はこの自分の心情を説きあかす答えを外山滋比古氏の著作から得ました。外山氏が「知識と思考は相性が悪く、知識が豊富なら“考える”といった面倒なことをする必要が少ない」という趣旨のことを書いており、これを読んだことで

“若い頃の自分は「考える」という厄介なことから逃げるために、「知る」という多少の苦労でごまかしていたのだなあと反省もできた。”

と納得したそうです。そして「知る」と「考える」の折り合いをつける難しさにふれ、何でも知っている人よりも何でも自由に明るく考える人になりたいと抱負を語っています。

 (暮しの手帖社)

【“知る×考える”という情報リテラシー】

ツィッターやフェイスブックによって、選手の「生言葉」(なお、本当に生言葉かどうかは分からない。スタッフによる代理つぶやきも当然ありうる)に接し、華麗な競技の舞台裏や競技前後の選手の「感情」を知ることが、五輪競技に新たな魅力を添えるのも確かですが、情報として「知る」チャンスが増えれば増えるほど、「考える」ことをつい忘れてしまうことはないでしょうか。

「考える」ことは「想像する」ことでもあります。世界中の人々がソーシャル投稿をすればするほど、デジタルメディア経由で「知り続ける」魅力に憑かれてしまう人々もきっと増えていくのでしょう。
そのときに怖いのは、デジタル情報フラッド(洪水)に知らず知らずのうちに呑みこまれ、本人が気づかぬまま、「思考力」「想像力」が徐々に失われていくことです。

相手の感情や隠されたメッセージを読みとく必要がある「対面型コミュニケーション」に比べて、ソーシャルなどのCMCは社会的手がかりや非言語シグナルが希薄であり、その分、相手への斟酌なくとっさの感情を手軽に表出できる、極めて便利なツールです。
特に「言いっぱなし」「聞きっぱなし」が基本であるツィッターは、元来スポーツ観戦との親和性が高いため、ロンドン五輪で大幅にツィートが増えたのも考えてみれば当然です。

いろいろと神経を使う厄介でリアルな人間関係よりもずっと楽なうえに、人間の「知識欲」と自己表現欲をバーチャルの世界で満たすことができるソーシャル・メディアが、ロンドン五輪を契機に更に普及拡大するのは確実です。

それだけに「知る」とのバランスをとり「考える」力を磨くこと、リアルな人間関係構築にも手を抜かないこと。この二つがソーシャル時代に求められている情報リテラシーとしてますます重要になってきています。

ロダン作「考える人」~ウィキペディアより

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

 

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