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20138/15

「嘗て東方に国ありき」8月15日はどう記録されたのか(前川英樹)

上海では8月11日が終戦(敗戦)だった。そして、
P23~24
「・・・私と武田氏とは一緒に帰った。帰りについても二人は一時黙然としてゐた。
やがてぽつぽつと話しだしたときに、氏は、日本民族は消滅するかもしれぬ、そして若しも自分が支那にゐて生き残ることがあつたら嘗て東方に国ありき、といふことを中国人に語り聞かせ、自分らがこれを語りつたえなければならぬ、と云ふ。」

 

「嘗(かつ)て東方に国ありき」
3.11の後、僕もこういう感覚にフト襲われることがある。

 

そこからしばらく日記は途絶える。再び書かれるのは2ヶ月以上後だ。8月15日のこともそこで記されている。

 

十月二十八日
P52~53
「事務所のラジオのある部屋(宿直室)にゆくと、姿勢を正して坐ってゐる人、頭をたれて腰かけてゐる人など三四人の人がゐて、ラジオは荘重に勅語を告げてゐた。これが陛下御自らの御放送であるとはその時私は知らなかった。雑音が多くてよく分からない、ただ一句『臣子衷情朕コレヲ知ル』と仰せられたのだけはよくわかった。涙が出た。」

 

その後も上海にとどまっていた堀田善衛は、さらに二月後にこう書いている。
十二月二十二日
P111~112
「頃日僕の頭には再びボオドレエルのあの『世界は終わりに近づいてゐる。もし世界が今後も存続するとならば、それはただ存在しているといふだけの理由にしかもとづかぬ。一体世界にはこれ以上人間のなすべき何が残ってゐるのか・・・・』といふ文章が浮かび上がってきてはなれぬ。」

 

どうも僕は、日本はアテネやスパルタのやうに滅びるのではないかと思ふ。この大東亜戦争が恐らく第一弾のものではないのか。・・・・・・
・・・『かつて東方に国ありき』・・・

 

上海に来て僕が感じたことのうちでも大きいことは、日本人といふものは、余程特異な存在であるといふことだ。その風俗習慣、物の考え方に、国際的に共通、意識的共通なものは殆どないといふこと。しかも、世界の如何なることも理解できないらしいといふこと。これはともあれ余程特異な人間の集まりである。余程余程特異なのだ。」

 

堀田善衛の後の作品にみられる透徹した歴史意識とそこに生きる人々の揺らぎを捉える感性が、既にここに表れているように思える。
堀田善衛の「方丈記私記」は、大空襲下の東京で「方丈記」を読み抜いた記録だ。<3.11>の後に、ぼくが最初に読んだ本は「方丈記私記」だった。

 

 

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