「嘗て東方に国ありき」8月15日はどう記録されたのか(前川英樹)
『戦争のグラフィズム FRONTを創った人びと』 多川精一
P292
「敗戦が確定して『FRONT』などの焼却は急がねばならいので、出てきている全員は汗だらけになって、地価のボイラー室に『陸軍号』や『海軍号』を運ぶ。ところがボイラーなどいじったことのない者ばかりだから、あわててくると、やたらに本を放り込んで、送風機を目いっぱいに上げてしまう。そのうち外から帰った社員が飛び込んできて、 『おいおい大変だぞ、焼け跡は軍艦や飛行機だらけだ』」
「FRONT」は対外宣伝用グラフ雑誌で、当時の写真界の最高水準の技法が駆使されていた。柏木博「肖像の中の権力 近代日本のグラフィズムを読む」(講談社学術文庫)を併せ読むと興味深い。「どれほど実質を変えようと形式が同一なら、その表現の意味は変わらないのではないか」。ロシア・アバンギャルドとハリウッド映画のポスターとの関係を<人々の視線の集約>として語るこの一文をどう読むか。それは、テレビとどう関わるか。テレビはまさに<人々の視線の集約>を生業(ナリワイ)としている。
「戦争と広告」もそうだが、已むに已まれぬ表現への欲求あるいは表現というものの魔力を政治は間違いなく取り込んでいく。
その日、4歳だった僕には特別の記憶はない。ただ、暑い晴れた日のことを微かに覚えている。あれが「その日」だったのだろうか。探照燈に照らされた夜の空中戦、疎開先の家の前を通って行った戦車の列、庭に掘られた防空壕などは覚えているのだが。
こうして記録された8月15日を切り取りつつ思ったのは、その人の数だけ歴史があるのであって、それを一色に染め直すということは、人の生き方に対する不遜と云うものではないだろうかということだ。
そして、書き写すことによって書いた人の思いのいく分かを、読むことに加えて、感じられた様に思ったのだった。
次は12月8日か・・・。
前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸 隠。
コメント
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