風立ちぬ(志村一隆)
みどり色の映画
「風立ちぬ」見ました。先日あやぶろ飲み会で河尻さんが薦めてた。
場所は、東京の日比谷スカラ座。朝10時30分の回。入口の宝塚前には、既にスタアを待つ人たちが整列している。
汗だくになりながら、地下の映画館に入る。約40%の入り。年齢層は高め。
河尻さんを含め見た人は、「後半泣ける」と言っていたので、ちょっと期待してる。
2時間後。
「うーむ。とりあえず、のめりこまなかった」
神楽坂に移動して、「龍朋」でチャーハンとラーメンを食べ、「加賀」でかき氷を食べる。
その間、ずっと嫁は「あれで1,800円払う価値あるの」と立腹してる。
観客の多くは「1,800円」×「2時間」=「風立ちぬ」が成立したかで、その映画の良し悪しを判断する。とても、即物的で具体的な判断だ。でも、それが商売ってもんだろう。
「風立ちぬ」のウェブページに宮崎駿監督の企画書が載ってる。「観客の混乱を最小限にとどめつつ、大胆な時間のカットはやむを得ない」とある。
「最小限」だったかなぁ?
もうひとつ「大正から昭和前期にかけて、みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたい」
こっちはよくわかった。
津波、煙、雲、廃墟、草原、ぬかるむ泥道などなど、見終わったいま、印象に残っているシーンは、風景。細かく描き込まれていた。
見終わって全体に画面が「みどり色」だった気がする。
そういえば、作家半藤一利さんと対談していたNHKのSWITCHという番組で、
「外来種の植物を抜き続けていたら、ある日突然一輪草の花が咲いたんですよ」と言っていた。「日本の豊かな自然は自慢できる」とも言っている。
しかし、「もう、東京近郊には、スケッチできる場所が無い」という。それは、外来種がはびこって、スケッチしても昭和前期(90年前!)の姿を再現できないから。
宮崎監督は、日経のインタビューで「戦前は灰色じゃなかったことに気づいた」「昭和30年代が懐かしいなんてちゃんちゃらおかしい」と言っている。
つまり、我々が残すべきは、「三丁目の夕日」の都市風景でなく、そこから40年程遡ったみどり豊かな田園風景なんだということであろう。
考えてみれば、90年前の「みどり」は白黒写真か文章表現でしか残っていない。小説「風立ちぬ」に描かれる自然描写をいま読んで、作者が書いたまま再現できてるかは、わからない。文章から得られるイメージは、その人の過去の経験によるだろう。
結局、90年前に豊かだった日本の「みどり」を残すには、人間が描き残すしかないのだ。
監督は、職業的使命感でその作業をしてるんだろうか。
「風立ちぬ」を構成するもう一つの要素。飛行機、技術、反戦、国家の問題。
こっちは、結局「風立ちぬ」を見ても、伝わらない。スタジオジブリが発行する「熱風」7月号「憲法改正」を読んだほうが、よっぽど面白い。(8月20日までDLできる)
映画では、シーンごとのセリフ一つ一つに、「反戦、国家より風土、といったメッセージはわかる。けれど、それぞれのつながりが見えてこなくて、物語的にはのめりこめない。
「なにを言いたいのかをわからせるのを拒否するような」作品だった。
それって、仮想検閲、特高を想定してワザとやってるのか。どうなんだろう。
コメント
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