「嘗て東方に国ありき」8月15日はどう記録されたのか(前川英樹)
また8月15日が来た。
これからも何度でも来る。
ふと思い立って、手元の本の中から8月15日について書いてあるものを取り出して見た。はじめは、日記に書かれた<8月15日>と思ったのだが、記憶を頼りに書架を探しているうちに、ついあれもこれもとなってしまい、だんだん拡がってしまった。何を基準に選択したかということは甚だ曖昧だ。その気になってもっと探せば、まだ何かありそうだが、取りあえずこんなところだろう。適当で恣意的な切り抜きだ。
たが、こういうことでも意味がない訳ではなかろう。いま、あの日をどう人々が過ごし、何をその時思ったかはやはり大事なことなのだと思う。
ドナルド・キーン氏に「日本人の戦争 作家の日記を読む」(文藝春秋)という著作があり、日記による作家の戦争観を知るには格好の本である。的確な抜粋と批評だと思う。それを読めば、自分で手のかかる書き写しをしなくて済むのだが、キーボードをたたきつつ、やっぱり書くということは自分の身体的行為であるべきだと思ったのだった。ということは、本当はやはり筆記するべきなのだろう。文字を書くことは大事だ。
山田風太郎『戦中派不戦日記』 番町書房
P195
八月十五日(水) 炎天
〇帝国ツイニ敵ニ屈ス。
山田風太郎(当時は誠也青年)の日記は、「滅失への青春 戦中派虫けら日記」(昭和17年)から「戦中派復興日記」(昭和27年)まで、計6冊刊行されている。そのどれもが同時代者の記録として類を見ないもので感服するし、戦時下でも呆れるほどの読書歴が書かれている。
それなのに、この八月十五日の記事はこれだけだ。
だが、八月十六日になると前日の詳細な記録と周辺の人々反応についての克明な観察、そして友人たちの議論などが、A5版上下2段のP196~P208まで13ページにわたって書き綴られている。
その最後は、「ただ敵に対する報復の念のみ」という一言を踏まえつつ「闘いは終わった。が、この一日の思いを永遠に銘記せよ!」と結ばれている。
そして、その1年後の八月十五日の日記に、山田風太郎は「復讐記念日」と書き記している。
山田風太郎が凄いのは、そこから「負けた日本(と日本人)」を根本から捉え返し、想像力による日本の解体にまで踏み込んだところにある。忍法帖、明治モノを含む全ての膨大な作品群はその証である。
コメント
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