●せんぱい日記【番外編】大阪水上バスで思った「日本アパッチ族」の凄さ、面白さ(前川英樹)
もう一ヶ所引用しよう。
(アパッチ化しつつある記者浦上と既にアパッチ化してしまっている私=木田の会話)
「おれの失ったものが、どんなに大きいか、きみにわかるか?――記者としての仕事、巷で飲む酒、友人、―― 恋人・・・・・・アパッチに何があるんだ?要するに汚らしい“鉄食い”じゃないか?」
「今、アパッチである連中は、たとえ人間であっても、そんなものは味わえなかったか、ほんのちょっとしか味わえない連中やで。―― 一生人間として生き延びても、死ぬまでに結局わずかしか人間的喜びを得られなかったということを悟った連中や――きみらは、中途半端に貧しいだけで徹底的に貧しゅうないから、そんな連中のこと考えへんかったやろ」私は冷たく言い放った。
・・・・・・
「だけど、――アパッチになることは、結局人間としての多くのたのしみや可能性を失う不幸だ」
「不幸?」私は思わず声が高くなった。「きみにとっての不幸は、おれにとっては普遍的状態や。おれたちには、きみがこれからなろうとしている状態が基本であり、出発点なんやで」
・・・! まるでマルクスの「ユダヤ人問題によせて」を読んでいるみたいだ。
そして、小松左京がさらに凄いのは、エピローグでアパッチの指導者二毛次郎(ジェロ・ニモ)が後に独裁者として批判されることになると書いていることだ。これは言うまでもなくスターリン批判の反映であり、89年のソ連崩壊とそれに続く東欧圏解体の先取りである。
だから、「日本アパッチ族」は戦後文学の特筆されるべき作品といったが、ここで小松左京は世界史の地平に立っている・・・言い過ぎかなぁ…いや、そのくらいの価値はある、と思っている。
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