6・18せんぱい日記【高校クラス会、ヘルニア手術、テレビと原発、“ぼくのテレビジョン”そして<615>】前川英樹
6/1(金)
「電波の日」。今年は地デジ移行完了の年ということもあるので、パーティーに出席(帝国ホテル)。久しぶりに会う人たちに挨拶。
午後、四谷メディカルキューブ。鼠徑ヘルニアの手術の事前説明に家族の立ち合いが必要とのこと。長女に休みを取らせて付き合ってもらう。6/11オペ、一泊二日。
6/2(土)
都立小石川高校クラス会。17人出席。
緑内障でほぼ全盲のA、癌で片足切断のSが出席。丁度二人に挟まれる席だった。懐石風コースをAが楽しめるように食事の世話をすることになる。酒(八海山)が美味いという。介護タクシーで帰って行った。それにしても、二人とも何故そんなに明るくしていられるのかと感嘆。いや、散会後彼らは重い沈黙の時を過ごすのかもしれない。
母校は、この春中高一貫になって最初に入学した生徒が卒業。中高一貫にも色々あって、小石川の場合は下に新たに中学が併設されるのではなく、生徒の総数は変わらないため、一学年の生徒数が半分になる。「ラグビー部は成り立たない。サッカー部は小さい時からやってる子が多いから良いなァ」とOBの友人が嘆いていた。
6/3(日)
次女の夫とゴルフ。前半小雨。
濡れたせいか、帰宅後風邪の症状。
6/4(月)
風邪だ。来週手術だというのにまずい!四谷の病院の看護師に相談。ともかく様子を見ることにする。午後、近くの診療所で薬をもらう。熱は36℃前後。
6/5(火)
かぜの症状続く。
今週は、民放連研究所の出版企画の原稿やしばら書いてない「あやとりブログ」を書こうと思っていたが、とてもそんな気分になれない。ひたすら寝ることにする。
夜、熱発か。
6/6(水)
やや恢復。
6/7(木)
常時服用している薬を処方してもらうためTBS診療所へ。
「よっぽどの高熱でない限り、手術は大丈夫」といわれ、ホッとする。
「テレビは原発事故をどう伝えたか」(伊藤守 平凡社新書)を読む。しっかり書かれている良書だ。原発報道の最初の一週間についての評価はほぼこの通りなのだろう。自分がいかに原発について知らなかったかということも含め、思うことは沢山あった。その後、テレビドキュメンタリーとして幾つもの優れた番組が放送されたと思うが、“その時”知りたかったこと=伝えるべきことの原点がここには記されている。それでもテレビはテレビとして続くのだから、ここをきちんととらえ返さなければなるまい。
東電女性社員殺人事件の再審決定。ホッとする。それにしてもひどい裁判だったとも思う。
佐野眞一の「東電OL殺人事件」を読んで、どうして有罪だったのかが不可解だった。書棚から引っ張り出して思うのは、それにしてもノンフィクションライターの仕事というのは凄い、ということだ。
6/8(金)
床屋に行きたいと思うのだが、風邪が抜けないので思いとどまる。
四谷の病院へ症状とTBS診療所の医師の所見を伝える。高熱が出たら、土日でも連絡するようにとのこと。
サッカーWC最終予選、快勝。
6/9(土)
やっと風邪が抜けてきた。
民放研の原稿に少し手をつける。
6/10(日)
日常生活のペースに大分戻って来た。
明日の入院の支度。
6/11(月)
朝食抜き。
10:00.病院着。
10:30.手術準備。11:00.手術開始。全身麻酔。
「ハイ、終わりましたよ」といわれて眼がさめる。
12:00.過ぎに病室に移動。点滴。うつらうつらしたまま。1時間おきに看護師が体温や血圧を測りに来る。空腹を強く感じる。
15:00.意識がはっきりしてきたところで、「はい、起きてみてください」というので、半身を起こす。「元気ですねぇ、さつきの人は全然起きられませんでしたよ」というので、「まあ、身体能力には自信があるから」などと普通に会話。そのまま、椅子に移ってみる。ちょっとしたことで、手術した個所(臍のやや左下)が釣れるように痛い。普段は全く筋肉など意識しない場所だが、結構使ってるんだ。個室で静か。取りあえず家にメール。看護師は、病室外に自動販売機があるので先生の許可が出るでしょうからなんでもどうぞ、という。見に行ってみると、飲み物だけてなく、スナックからカップラーメンまである。外科の病院というのはそうなんだ。部屋に戻っても何もすることがないので、読みかけの「近代日本思想の肖像」(大澤真幸 講談社学術文庫)をぱらぱら。丸山眞男、竹内好の章など結構ふんふんと思いながら読んでしまった。17:30.診察。
18:00.夕食。ぼんやりテレビを見る。21:00.寝るかな・・・と思っていたら「個室ですからご自由に」というが、といって他にすることもなく寝る。寝酒はもちろんないので眠れるだろうか。
6/12(火)
ほぼ2時間おきに眼がさめる。水分を大目にというので、そのたびにペットボトルのお茶を飲むので、毎度トイレに。力が入らない。咳や鼻をかむときに痛い。
6:00.起床。今日は気温が上がらず寒いくらいという予報。帰りが気になる。
8:00.朝食。8:30.診察。9:30.退院。
歩いてみると、多少の痛みと頼りなさがあるが、ま大丈夫という感じ。ロキソニン(痛み止め)が効いているのだろうか。
四谷駅まで5~6分。何故か、珍しくコーヒーが飲みたいという気になって、駅前でコーヒーショップに入ってみたが特に美味かったという感じもしなかった。
四谷から新宿へ。小田急は一電車待って座って帰る。昼前帰宅。ホッ・・・。
午後はぼんやり過ごす。何気なくBSに切り替えたら、サム・ペキンパーの第一作というのを放送するところだった。やっぱり、フツウーじゃないけど、まだ才能が仄の見えるといった感じ。それにしても「荒野のガンマン」という邦題はひどい。
夜、風呂はダメなのでシャワー。
WCサッカーのオーストラリア戦を観る。レフェリングが試合を台無しにした・・・有利不利ではなくて。
6/13(水)
終日在宅。
「あやとりブログ」原稿書き。その関係で村木さんの「ぼくのテレビジョン」を手にして、ぱらぱらとページを繰る。皮膚に突き刺さる感じ。
午後、「評決」(監督シドニー・ルメット 主演ポール・ニューマン)。
夜、寝酒が欲しい。
6/14(木)
梅雨の合間の晴。
夕方、妻と近所をぶらぶら。
6/15(金)
<6.15>
1960年6月15日から52年。半世紀以上経った。
国会南通用門。
あの日、18歳最後の一日だった。
前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。
「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸隠。
コメント
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