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20111/11

「箱根駅伝から『極私的メディア論』まで」“せんぱい”日記⑦ ― 前川英樹

1/1(土)
家にいる限り静かな正月。

1/2(日)
箱根駅伝の中継を見る。小学校の頃、昭和20年代のNHKラジオ中継以来ほとんど欠かさず毎年恒例。日テレがテレビ中継を始めた時に、山中の伝送はどうするのだろうと思ったし、それが実現した時の日テレ技術陣の執念に感心した。まさに、テレビ的コンテンツの代表的なるものだ。この局には「テレビはNHKではなくウチが始めた」というプライドを時々感じる。

1/3(月)
当然、今日は復路。

1/5(水)
メディア総研に寄って挨拶後、戸隠。流石に新幹線も混んでいる。
夜から雪。冷えている。

1/6(木)
朝、宿の温度は-8℃。30Cm程積もった。小雪時々薄日。
ゲレンデは暮れとは比較にならないほど良い状態。人も少なくて結構。納得して滑る。
夕刻、村上さん来る。

1/7(金)
今日も冷えて好条件。新雪さらに10Cm。

1/9(土)
晴。朝の気温-10℃。ゲレンデはさらに冷えている。スキー場の一番上のリフトを降りると、戸隠山の向こうに北アルプス連峰が一望されて絶景。
三連休に入ったので人が多く、団体からシーズン初めてのスキーヤーまでいて危ない。昼で切上げ。

                        □

この休みの間に「極私的メディア論」(森達也・)読了。月刊「創」に2005年7月から2010年4・5月号まで連載された記事を単行本化したものだ。
この人の、愚直なほどにメディアに正対しようとする姿勢に感心する。それは、例えばテレビが登場してからほんの暫くの間、およそ10年程だろうか、テレビがメディアとして手にしていて、その後あっという間に失ってしまったものかもしれない。読みながら共感することも多いが、しかしメディアに身を置いてきた者として忸怩たる思いに陥ることもある。とても大事な指摘が数多くあるのだけど、その中からいくつかだけ抜き出してみよう。()内はサブタイトル。
これらについて思うことは日記の外になる。改めて書くことになるだろうか。

「いずれにせよ、メディアは常に利用される客体だ。メディアが情報を操作しているなどと口にする人は多いが、実のところ恣意的に操作することはほとんどない。無自覚なのだ。だから利用されやすい。その意味でメディアは、歴史を通じて権力争いや戦争に利用されてきた天皇制に似ているのかもしれない。」(メディアと天皇制は相似形)
「日本でも、そして世界においても、メディアの問題は深刻だ。でもだからこそ、最後の希望を人はメディアに託す。メディアがその気になれば、確かにこの世界は今より良くなる。絶対に変わることができる。メディアにはそのポテンシャルがある。でも、メディアをその気にさせることが難しい。」(一年前の騒動)
「もしも被写体になった人の了解を得なければ作品が成立しないのなら、マイケル・ムーアも原一男も(そして森達也も)、二度とドキュメンタリーなどは撮れなくなる。社会派の作品に限らない。街の風景が取れなくなる。大相撲や野球の中継もできなくなる。」(自主ではなく他律規制)
「ところが、メディアが一つの視点しか提示しないのならば、多様な世界は単面に矮小化される。陰影が消えて平面になる。」「最後にもう一度書く。さまざまな被害者がいる。さまざまな加害者がいる。それが世界の実相だ。ライオンにはライオンの論理と事情があり、トムソンガゼルにはトムソンガゼルの論理と事情がある。この二つは決して重複しない。むしろ相反する。離反する。時には衝突する。複雑だ。視点によっていかようにも変わる。だから世界は豊かなのだ。」(視点が違えば世界は違う)
「確かに個人は無力だ。でも組織の暴走や停止が無自覚なメカニズムで駆動しているとき、個人のちょっとした発言や行動が、時として巨大な組織を停めたり動かしたりすることがある。試しに企画を進めてみれば、障壁など実はどこにもなかったのだと多くの人は気づくことになる。」(小人プロレスとテレビ)
「ところが日本の場合は、船が左舷に傾けば大勢の人は右舷に集まり、右舷に傾けば左舷に集まる。ほとんどの人が多数派になりたがる。その帰結として、船はいつまでも揺れ続ける。復元しない。揺れ続けるから不安になる。不安になるから群れの論理がより強く発動する。そんな市場の国で、ウェッブが融合したメディアが及ぼす影響力について、どうしてもポジティブになれない。」(あとがき)

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 < アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは”蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいからNHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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