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20127/15

7・15【テレビが「刻んだ」時間】稲井英一郎

 

自分のお気に入りの朝の番組を視聴習慣にされている人は今でも少なからずいますよね。各局の情報番組や連続ドラマ。あなたはいま、どんな番組を視ていますか?その番組を思い出してください。最初に出てくる映像のイメージは?

 

日常生活風景の記憶

私の場合は、番組(またはコーナー)の放送中テレビ画面の上部片隅に表示される時刻表示の文字フォントが、日常生活サイクルのひとコマとして記憶されています。
時報代わりに利用することが多い朝の情報番組。毎朝、楽しみにしている連続ドラマ。思い出すその映像イメージの隅には、かならず時刻が映り込んでいます。
私が高校生だったころ、TBS系列では朝の連続テレビ小説(朝が再放送枠だった)を放送していたのですが、ドラマの最後まで視ていると始業時間に間に合わないため、時刻表示を気にしながら番組半ばで慌ただしく自宅を飛び出すことがよくありました。
ん!あまり勉強していなかったんだね、って? ・・・・・


 TBSチャンネルで再放映中のテレビ小説「おゆき」~1977年作品

 また小中学生のころは、大好きだった番組などが始まるときは大体において週末でしたが、家族団欒夕食タイムであり、スポンサー名を連呼するオープニング曲とともに番組と生活風景が混然一体となって、その情景が自分の記憶に刻み込まれています。たとえば・・・

「ロート、ロートロート、ロート、ロートロート、ロ~トセイ~ヤ~ク~」
→クイズダービー(土曜19時半)見ながらコロッケを食べている自分。

「タケダタケダタケダ、タケダタケダタケダ、タケダタ~ケ~ダ~・・・」
→ウルトラQ(日曜19時)を見ながら「怖い」と箸をおいている自分。

「光る、光るトウシバ、回る、回るトウシバ、走る、走るトウシバ、歌う、歌うトウシバ」
→東芝日曜劇場(日曜21時)をみる大人の横で漫画を読んでいる自分。

「明るいナショナル、明るいナショナル、みんなうちじゅう、なんでもナショ~ナ~ル~」
→水戸黄門(月曜20時)をお祖母ちゃんと見ている自分。

これが、地上波放送(AMラジオも含める)が戦後の日本人の生活に、大仰に言えば日本人の歴史に刻み続けた「時間性」であり、テレビの開始時間にリアルタイム視聴していた自分がそのときどんなことをしていたのか、日常生活風景のひとコマを記憶させる絶対的尺度であり、タイムスタンプでした。

 

共有された時間

一方、テレビ・ラジオの放送媒体がもつ「時間性」にはもうひとつの機能があり、それはニュース中継やスポーツ中継などを生放送で伝えるリアルタイム性です。いま、その瞬間に遠く離れた場所で起こっている出来事や事象を、臨場感をもって伝達し共有する同時共有性。この機能が最大の効果を与えるのが、あまり喜ぶべきことではないのですが、大災害や大事故の現場からの生中継ということになります。

巨大なリーチ力から言って、もちろんテレビ放送が戦後長らくこの2つの時間性(リアルタイム性)を堅牢に支配していたのは確かでしょう。とくに、ビッグニュースは、自分がテレビを通じてそのニュースに初めて接した時、どこで何をしていたか強烈に脳に記憶され、おそらく生涯忘れることはありません。

御巣鷹山に日航機123便が墜落したとき。
9/11テロの映像がニューヨークから、ワシントンDCから飛び込んできたとき。
3/11の大津波の映像・・・
このテレビのもつリアルタイム性がほとんど劣化せず今も残っているのは、前川センパイの指摘される通り
です。

 

リアルタイム視聴  v.s. シフト視聴

しかし、前者の時間性はどうでしょう。地上波テレビが収益の根幹とするリアルタイム視聴(放送時に在宅でテレビ視聴すること)は、少し揺らいでいるところがあります。それは別の言い方でいうと、タイムシフト視聴、プレイスシフト視聴が少しずつ人々の生活スタイルに入り込んできた、ということでもあります。もちろんテレビ以外のデジタルメディアが次々に登場していることも影響しています。

核家族化が進行し、独居老人の孤独死が日常化する時代に、世代によって個人によって、テレビ視聴習慣はさまざま異なるようになってきました。家族団欒でテレビを視るという機会は失われてはいませんが、以前よりは本当に少なくなってしまいました。

自分の都合のよいときに視たいメディアで視る。在宅時なら録画視聴でタイムシフト、外出時ならプレイスシフト、外出時に持ち運び可能なメディアにダビングして視聴するならタイム&プレイスシフト。
人々のこうした気ままな欲求を満たす全録機やスマホ、携帯メディアなどの登場が、リアルタイム視聴への内発的動機づけを減らしているのは確かです。

話題の人気ドラマでも視聴する時間帯が個人によって違ってくる以上、テレビが人々の生活リズムに刻んできた絶対的尺度であった時間性は「相対化」したともいえるし、多くの人が共有してきた「客観的で均質な時間」というものは希薄化したとも言えます。
このブログでの哲学的に試みられている志村さんと前川センパイの「時間の多層化」議論も、少し卑近な生活レベルの視点からみた場合、以上のような実態があるといえます。


電子画面からの記憶は定着しにくい

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話は一見飛躍しますが、紙の本に印刷された活字から得られた知識に比べて、電子書籍やインターネットで得た知識がなかなか記憶に定着しないと感じられたことはありますか?

「脳を創る読書」(実業之日本社)を著した言語脳科学の専門家、酒井邦嘉東京大学教授によれば、ネットや電子書籍の文字はスクロールすることで位置が変わることが忘れやすくなる一因といいます。
これに対して印字された文字は、紙のなかでその位置が変わらず、本のもつ厚みや装丁などの情報とともに無意識に脳にとりこまれて記憶されていきます。従って紙の活字に比べ、記憶時の手がかり情報が希薄な電子画面の情報は、忘れやすくミスを見つけにくい、と酒井教授は指摘します。

「誤字脱字も、パソコンで推敲している時には気付かなくても、プリントアウトすると気付くものです。紙に印刷されたものには手がかりも、手がかりを探す時間的余裕も豊富にあるのです」(讀賣新聞インタビューより)

 

(2012年6月18日付 讀賣新聞朝刊)

 

これと同じことが映画やテレビのリアルタイム視聴にもある程度は言えるのではないでしょうか。
映画館で観賞する映画は、非日常的空間である劇場の空間が放つ照明、匂い、音、座席のすわり心地、近日公開映画の予告、劇場からの観賞マナーに関する警告CMなどが渾然一体となって、映画作品の内容とともに総合的に記憶されます。


提供広告もテレビ的表現の一部

映画ほどではありませんが、家庭のリビングに置かれているメインテレビをリアルタイム視聴するときにも、放送開始時刻前後の生活サイクルや自宅の居間の空間が放つ照明、ソファや椅子のすわり心地、ストレスから解放されようとしている瞬間の高揚感が、番組冒頭のオープニング映像(昔は提供スポンサー名の連呼だった)などと渾然一体となり、情景として記憶されます。
これはインターネットでスクロールしたり、サーフィンしたりして得た映像情報とは印象度がまるで違うのです。また、録画視聴した番組もリアルタイム視聴時にくらべて印象が希薄化します。

だからテレビに独自の表現形式があるとしたら、提供広告と渾然一体となった番組をリアルタイム視聴するという視聴スタイル、視聴環境を要求している点も間違いなくその一つになると私は考えます。全録機の登場で再生視聴はたしかに便利になっていますが、リアルタイムに値する番組があり続ける限り、全録機の普及は一定程度にとどまるのではないでしょうか。

冒頭に例示した提供スポンサー広告も、自分の人生に、家族の歴史に、タイムスタンプされた記憶であり、懐かしい映像が当時の時代の匂いすら思い起こさせ、脳内を活性化してくれる気がします。そして市販薬や電化製品を買うときは、今でもついつい好意的に思えてそのスポンサー製品を選択肢の一つに入れてしまう自分がいます。
ふたたび時を刻む日

テレビが、この強みを使わない手はありません。提供広告も包括的に番組の一部とみなして視聴者に受け容れられるような「ほど良い構成」でリアルタイム視聴を再び活性化する。
またタイム広告の本当の価値をきちんとテレビ側が認識して広告理論に昇華できれば、視聴者だけでなくスポンサーも再評価するはずです。

CM後に、くどいほどCM前のコーナー映像を繰り返し、結果をもったいぶってなかなか見せない演出手法に視聴者がイライラしているという批判を時に耳にしますが、これでは折角のテレビの強みを自ら台無しにしている、と言われても仕方のないことです。

もちろん、広告の組み合わせだけでリアルタイム視聴への動機づけが増えるはずはありません。マンネリで、野暮で、予定調和ばかりでは境さんのいうように「フロントライン」から遠ざかるだけでしょう。
しかしですよ、「いき」な視点の提示があるか、新たな試みや革新性があるか、品格や多様な面白さを感じさせるか、そのような意欲的な番組に出会うたびに「大丈夫だ、テレビはまだまだ行けるぜ」と私は握りこぶしを作っています。再び「時の鐘」になることも可能ではないかと~

 

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

 

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