「笑っていいとも!」終了に、テレビの可能性を考えた(氏家夏彦)
「笑っていいとも!」があと5ヶ月あまりで終了する。
1982年から始まった番組だが、その3年前にTBSに入社し報道局に配属された自分は、NHKの昼ニュースのあとで、ちらっとしか見たことがない。
しかしこの番組は、1970年代、低迷を続けていたフジテレビが一気に民放トップに躍り出た象徴ともいえる番組だ。もはやフジテレビというよりテレビ界にとって大切な存在と言ってもよい番組が、フジテレビも含めてテレビ全体に陰りがでてきた今、終了する。いろいろ考えさせられることが多い。
1970年代のテレビ局の力関係は1強4弱と言われていた。ちなみに1強はフジテレビではなくTBSなのだが、当時を知らない40代以下の人たちには想像もつかないだろう。報道もドラマもバラエティもTBSが圧倒的に強かったのだ。
そのTBSの完成度の高い本格派豪速球のドラマ、バラエティに対して、フジテレビは、1981年に突如「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズを打ち出し、当時の産業構造が「重厚長大から軽薄短小へ」移行していった時代の風にも乗って、一気に民放トップに躍り出た。
その頃のフジテレビは実に身軽だった。
当時のバラエティ番組で化け物と言われていたTBSの「8時だヨ!全員集合」の裏に編成された「オレたちひょうきん族」では、「全員集合」の完成度が極めて高いプロが提供する笑いに対し、ハプニング性を重視し予定調和を嫌った新たな笑いを生み出した。当初は「素人が作った番組のようだ、すぐつぶれるさ」と見られていたが、視聴者はこの新たな笑いを支持した。そして1985年に16年続いた「全員集合」は打切りとなった。
フジテレビは強力な攻めの編成をした。破格の制作費を投じた「北の国から」がスタートしたのが1981年、「オールナイトフジ」は1983年に始まり、ニュースのタイトルから「ニュース」をはずして「スーパータイム」と名付けた夕方のメインニュースは1984年のスタート、80年代後半にはトレンディドラマがヒットを続けた。
真偽は不明だが、Wikipediaの「オレたちひょうきん族」の項には、『当時は製作局のフジテレビが視聴率ノルマを廃し、制作者が作りたいものを作る路線に転じ、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにしていた頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人の漫才ブームによる勢いとが相まったバラエティ番組である。』と書かれている。
この『視聴率ノルマを廃し、制作者が作りたいものを作る路線に転じ』というあたりは、歴史的ヒットとなったドラマ「半沢直樹」の誕生にも通じるものがあるが、これについてはまた別のポストで書く。
フジテレビは、1強4弱時代にTBSが築いた「テレビとはこういうものだ」という物差しを、肩に力を入れず、肩肘張らず、実に軽やかに次々打ち砕き、新たなテレビの物差しを大胆に視聴者に提示した。それが支持されてさらにレベルアップしたのが、今のテレビ文化だ。
このフジテレビによる下克上というか文化革命が起きた1980年代と同じことが今、起きている。
改めて言うが、当時のフジテレビは実に身軽だった。面白いと思ったらとりあえず試してみてダメならすぐ引っ込めて次の新しい冒険をする。このサイクルを実に軽々と続けていた。
今、これを実践しているのはインターネットの数々のサイトであり、その代表がニコニコ動画だ。
コメント
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