あやぶろ/OLD

テレビの中の人による唯一のテレビ論、メディア論ブログ

© あやぶろ/OLD All rights reserved.

20125/21

5・18せんぱい日記【フロー/ストックの憲法、「かざり」「あそび」「アニミズム」、鶴見俊輔、沖縄=誰が誰に何を返還したのか】前川英樹

5/1(火)
憲法記念日週だ。今朝の朝日新聞は、憲法・人権・ネット関連の特集記事が多い。

13面 オピニオン 耕論「いま、ここにある憲法」
弁護士福田健治さん “放射性物質の健康被害は科学的にも評価が定まっておらず、政府が言っていることが正しいかどうか検証するためにも、国民は様々な情報に触れる必要があります。危機的状況下では国に強い権限を与えて迅速な対応をさせるべきだ、という主張も聞かれますが、むしろ私たちは情報の公開と自由な言に基づく民主主義という、憲法が目指した体制を改めて見つめ直すべきです。”(危機下の行政権限どこまで)
ニワンゴ社長杉本誠司さん “「憲法で表現の自由が保障されているから規制するな」ではなくて、みんなが議論して出した列論が、結果的に今の憲法の掲げる表現の自由の理念に近いということになれば、それってすごく民主主義的じゃないですか”(ネットの掟 ユーザー同士で)

同ページ下段 「憲法改正試案をつくった哲学者・作家 東浩紀さん」
“憲法を日本というコンピューターを使うためのOS(基本ソフト)のように捉えている。”
“(コンセプトは)『ストックの国家』と『フロー』の国家の両立・・・ストックとは、1500年前までさかのぼるひとつの精神的な共同体としての日本・・・天皇は元首。(他方、フローな国家として)日本国は・・・さまざまな国民住民との間の相互の尊敬と不断の協力によって更新される精神的な共同体” “ストックを守りながら、流動的な社会に対応する。二重の戦略が求められる、歴史的な段階に入っている。・・・日本国や日本人とは何かということを人工的にきちんと再定義しておかないと、この国は100年先まで持っているかわからない。”
“憲法を考えることは国の形を考えることです。”“日本人がいま理念やビジョンを必要としているのは自明です。左翼はそれを持っていたのに、いつの間にか単なる『突っ込み役』になってしまっている。それじゃあ負けますよ。保守的なナショナリストたちの理念そのものは理解できないところも多いですが、理念を出している。これが大事です。だから僕も、憲法改正試案という形で新しい国家像を提示するのです。”
“原発再稼働の問題にしても、原子力の専門家でもなんでもない人がツィッタ―で意見を一杯書いているじゃないですか。あれが政治的空間のあるべき姿です。・・・3.11をきっかけに、日本という国についてもっと根本的に議論しようという空気がせっかく生まれているのだから、いろんな人が自分なりの憲法をつくってみたらいい。”
*    フロー/ストックという視点は有効だろう。
*    このままでは、この国は100年どころか、もっと以前に破綻するだろう。
*    理念やビジョン以前に、国家の存在理由にまで考察の視線を届かせるべき。
*    ツィッタ―の政治空間と専門家の機能の関係は?

文化面では、“「ニコ動」のイベント大盛況―ネット動画と現実リンク―”で「ニコニコ超会議」(4/28,29・幕張メッセ)を取材紹介している。ここでも、ニワンゴ杉本社長のコメント「いったんリアルな実体験で盛り上がると、改めて日常としてのネット内サービスに回帰してもらえる」。(参考:5.14.「あやとりブログ」“遅ればせながら「ニコニコ超会議に行って来た」を書いてみた

30面 朝日新聞「報道と人権委員会」
“記者ツィッタ― あり方は”で、「つぶやく記者」(会社が認めた記者が、朝日の記者として発信)について、編集部門ツィッタ―・ガイドラインを策定したが、これについて同委員会委員の議論を掲載している(元最高裁判事宮川光治、東大教授長谷部恭男、元共同通信論説副委員長藤田博司)。
NHKスタッフのブログが閉鎖されたニュースはこの日だっだろうか。

 

TBS「調査情報」(2012.5-6)が面白い。特集「いいじゃないの 幸せならば?~当世『若者』論の虚実」、(第二特集)「テレビに。何が起きているのか?」。どちらも、テーマの斬新性ではなく、切り口や掘り下げ方が良い。書き手の選考が企画を優れたものにしている。

5/2(水)
今日の朝日のオピニオン面。
「戦時世代が語る憲法といま」、憲法学者 樋口陽一さんのインタビュー特集。オーソドックスな憲法論だろう。
“近代国家における憲法とは、国民が権力の側を縛るもの”という一点に、例えば東浩紀憲法試案はどう向き合っているのだろうか。そこは結構大事だ。権力とは善悪の問題ではなく、政治において権力は権力として存在するものなのである。
政治/国家/権力の相互関係と、それをさらに“人々”との関係でどう考えるのか・・・。
午後「放送人の会」事務局で、新ブログ操作チェック。おおむね良好。
途中赤坂で書店立ち寄り。書棚に吉本隆明棚!ともいうべき数段があり、さもありなんとは思いつつ、やはりウームと唸る。
大澤真幸「夢よりも深い覚醒へ-3.11後の哲学」(岩波新書)、同「近代日本思想の肖像」(講談社学術文庫)、柄谷行人「政治と思想・1960-2011」(平凡社ライブラリー)を購入。

5/3(木)
長女・次女の夫たちと恒例の軽井沢でゴルフ3日間。
早朝4時出発時から豪雨。
軽井沢に入って漸く小降り。スタートの時は霧雨で何とかプレー。結構寒かった。

5/4(金)
今朝も気温は低め。
はじめは青空が覗いていたが、途中から雷雨で二度避難小屋に退避。
近くに落雷あり。

5/5(土)
漸く気持の良い天気になった。
昼過ぎ帰路に着く。事故渋滞があったが、何とか19時ころ帰宅。
それにしても、ゴルフで距離が出なくなった。歳だ!

5/6(日)
ラジオドラマ「鉄になる日」(MBS)を聴く。
企画意欲は評価するが、出来栄えに不満。原作の「日本アパッチ族」に圧倒されたあの感じがない。それにしても、小松左京という作家は大した人だった。ユーモア、切なさ、スケール、どれも超一流だ。そして、日本国に対する虚無的な突き放しと日本人への哀惜と。

5/7(月)
午後、「放送人の会」事務局。帰路、TBSメディア総研立ち寄り。

5/8(水)
「日本人は状況から何を学ぶか」(鶴見俊輔・編集グループSURE)

倫理について、幸田露伴-幸田文-青木玉の三代の系譜に触れつつこう書いている。「(この系譜の中に)明治以前から今日につたわるしぐさとそのしぐさを律する倫理があらわれている。このような記録を、私たちは今日の日本語にもっている。」・・・「明治国家をつくったもとの形、現在の法をつくった法を問う仕事が、私たちの倫理にふくまれる」。
鶴見俊輔という人は、どこかに生理的な違和感を覚えつつ、しかし、こうしたいわゆる日本人の物差しとは違う目盛でものを見続けていることに、やはり敬意を表するほかはない。人類は滅亡することをたじろがずに認めたうえで、そこに至るまでに人はどのような幸福感が持てるかということを考えているのだ。そして、国家への不信用、例えば「明治国家の決めた枠組みの見直しを求めたい・・・」というような。所収の「国民のかたまりに埋め込まれて」で「共同研究 転向」について書いていて、それについては色々思うこともあるが、それはそれとして、思想の科学研究会(思想と科学ではない!)が編集した上中下三巻のその本を買った時は、ちょっと興奮したものだった。その三巻は合せると2.5キロあるということが書いてあって感慨深かった。書架から下ろして計ってみようかな。

5/7(月)
午後、放送人の会事務局

5/9(火)
元気堂で体のメンテ。
昼は、三河屋の三段重ね弁当。懐かしかった。

5/10(木)
午前中、診療所。
その後、青山の根津美術館で“Korin(光琳)展”。
根津美術館蔵の燕子花図屏風とメトロポリタン美術館蔵の「八橋図屏風」が並べて鑑賞できる(どちらも、六曲一双)。美術について何の専門的知識も、深い鑑賞力もないのだが、カキツバタだけを描いた前者の方がずっと好ましく感じた。図鑑などでなんとなく感じていた繊細さより、遥かに力強さがあって、ちょっと圧倒された。もっとも、「紅白梅図屏風」などは、みるからにパワフルだ、確かに。

 

 絵葉書(右隻全体)

(同 部分)

それにしても、掛け軸・屏風・絵巻という様式は、日本美術(東洋美術?)にとって大きな意味を持つ。額に入れる絵というのは西洋のものなのか?そして、それはどういうことなのだろうか?
で、帰ってから「日本美術の歴史」(辻惟雄・東大出版会)をぱらぱらとめくっていたら、「時代や分野を超えてある日本美術の特質」は、「かざり」「あそび」「アニミズム」だと書かれていた。なるほど・・・しかし、これは美術だけでなくこの国の全ての基底にあるように思えるのだが、どんなものだろう。クールジャパンって、あるいはガラ系だって、それではなかろうか。

南青山から赤坂まで、裏道を選んで歩いた。日差しが強かった。
突然、ある思いがわきあがった。
「<喪失感=空虚>を埋める/埋らない、自分にとって“切実なもの”は、いつもそれだけだった。率直に認めよう、“自分にとって生きているということはそういうことだった”と。だから、国などというものは自分とってどれほどの意味があるのか(ましてや、例えばデジタルもソーシャルも、そしてテレビも、何もかも、何ほどのこともない)」
自分が生きていることの自覚が生れてどのくらい経つのだろうか、およそ60年と思えばいいか?その間、ずっとどこかでそう思っていたのだが、間歇的にその思いが吹きあがることがある。「今」がそれなのだった。

5/12(土)
民放連研究所の出版企画に書いた原稿が大幅に長いという。何処で計算違いがあったのか定かでないが、2割ほど削除しなければならない。こうなると、ただ切るというわけにいかず、切った分と残した分の整合のため、一部かき足したりすることになる。面倒だが仕方がない。また当分は「あやブロ」などでまとまったことを書く余裕がなくなった。

5/14(月)
TBSのIDの写真撮影。
以前に、顔写真撮影についてのメール連絡があった時には、社員向けの連絡だと思って放っておいた。OBも更新するということなので、追加撮影日の今日になった。
その後、親類の会合についての打合せ(霞山会館)。
終わって放送人の会事務局で総会関係打ち合わせ。今野、北村両氏。

5/15(火)
沖縄復帰40年。
復帰?返還ともいうが、では「誰が誰に何を返還したのか」。
私たちにとっての沖縄、そしてフクシマ。


 

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。
「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸隠。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点⑤

停滞する民主主義が進化する途 ワールドカップの中継番組の瞬間最大視聴率が50.8%だったそうです。このニュースを見…

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点④

ストレンジなリアリティー:ガンダムUC ep7を見て考えたこと 『機動戦士ガンダム』は30年以上前に、フォーマット…

20146/17

情報“系”の中のテレビジョン

6月は、いろんなことがある。 会社社会では6月は大半の会社の株主総会の季節だから、4月の年度初め、12月の年末とともに一つの区切りの季節だ…

20146/16

テレビというコミュニティ。あやブロというコミュニティ。

あやとりブログに文章を書くようになってかれこれ二年以上経ちました。2011年に出した『テレビは生き残れるのか』を読んでくださった氏家編集長か…

20146/13

ワンセグ全番組タイムシフト視聴は視聴率を下げるのか検証してみた〜ガラポンTV視聴ログより

リアルタイムの放送をテレビで視聴する人が増えることは良いことです。 言うまでもなくこれは「視聴率が上がる」ことを意味します。 &nb…

ページ上部へ戻る