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20124/27

4・27【広告の居場所はどこに行くのか。あるいは、広告は広告でなくなるのか】境 治

 

ぼくは去年から、”境塾”という活動をしています。勉強会であり、勉強会を建前にした飲み会です。このところは”Bar境塾”と銘打って、主にソーシャルテレビをテーマにやっています。先日、4月24日のゲストはアスキー総研の遠藤所長SPIDERを開発しているPTPの有吉社長、東芝で録画機開発に携わり”録画神”の異名を持つ片岡部長のお三方。「録画サービスはソーシャルへ向かう」と題して、パネルディスカッションを行いました。

SPIDERはご存知の通り全録機です。でも全録はSPIDERの機能のベースに過ぎず、有吉さんがやりたかったのは録画した番組の評価や感想を共有することでした。片岡さんも、REGZAで録画した番組を、その見どころシーンを共有して楽しむアプリの開発に早くから取り組んでこられました。つまり共通するのは、録画した番組の共有です。ソーシャルメディアが普及するずっと前から、番組のソーシャルな楽しみ方をイメージしてらしたのですね。

遠藤さんはSPIDERを使ってみたそうです。元祖サブカルのような方なのでそれまではBSやCSばかり観ていたのが、地上波を観るようになったと。カレー好きで有名な遠藤さんは、カレーで検索した番組を毎日観ているとか。それによって、これまで知らなかった番組に出会うことができたのだそうです。
似たことは、録画した番組の”共有”つまりソーシャルな仕組みの活用でも起こるようです。人びとの感想に触れることで、知らなかった番組と出会うチャンスが増えるのですね。

このところ、番組を観ながらTwitterでつぶやくことによってテレビのリアルタイム視聴が促進されるらしいと言われています。一方で、録画視聴とソーシャルによっても、番組の見方が広がるというわけですね。これもテレビにとっては良いこと・・・あ、いや少しちがうかな?
リアルタイム視聴はCMもそのまま観ることになる。これは民放のビジネスモデルにはプラス。でも録画視聴の楽しみ方がソーシャルで広がっても、CM視聴につながるとは限らない。だって飛ばされちゃうんだろう、となる。そうすると、放送事業にとってはよろしくない。
でも、SPIDERやREGZAは便利です。録画視聴は進むでしょうし、全録機は時間の問題で普及していくことになりそうです。

ぼくは前に「テレビはライブメディアだ」とここで書きました。でも一方で、テレビ視聴は全録方向へも向かうでしょう。ライブで観るから醍醐味があるスポーツや情報番組はリアルタイムで視聴されると思います。でもそれ以外、ドラマ・アニメや教養・ドキュメント番組、音楽番組などは反対に録画視聴に向かうのかもしれません。だとすれば、テレビの見方は二つに分かれていくことになります。

そうすると、CMの居場所は狭くなる。どうしてもそうなっちゃう。なくなりはしないけど、どんどん狭くなることになります。CMの居場所が狭くなると面白い番組を作るための予算も小さくなりかねません。
あれ?でもこれはよく考えると不思議というか矛盾している気がします。面白い番組をもっと楽しむために録画サービスが進化すると、面白い番組を作るための予算が減るのでしょうか?

そもそも20世紀のメディアは、広告と、記事や番組という、矛盾しがちな要素を併せ持つことでやってきたんですよね。経済誌の編集者である友人に聞いたのですが、ある企業について真っ向から書くと営業セクションと対立したとか。営業の圧力に立ち向かうと編集側では英雄扱いになるそうです。広告出稿は重要な飯のタネなのに、考えてみると不思議ではないでしょうか。

『FREE』の中で、クリス・アンダーソンがWIREDの編集作業中にGoogleの友人がオフィスに遊びに来た時のことを書いています。壁いっぱいに各ページのゲラを貼っていき、ある企業についての記事と、その企業の広告のページが隣り合わせになっていたら構成を変えるんだ、と説明したらGoogleの友人が驚いた。「記事と広告が近い方が読者にとって便利なのに、どうしてそんなことするんだい?」

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メディアにとってずっと、広告は厄介な存在、だけど仕方なく入れていたものだったわけですよね。その矛盾が、テレビ録画が進化してくると露見してしまう。拡大してしまう。

問題なのは、広告と記事や番組が分かれて存在していたことなんじゃないでしょうか。分けない方がいいかもしれないのに、ひたすら分けてきた。
番組の中に広告的な要素が入り込むのを、メディアは拒んできました。広告枠の価値を守るためにはそうしなければならなかった。
それと、番組に広告的な臭いがしたら視聴者は拒否反応を示す、と言う人もいました。確かに“ステマ”的にやっちゃってバレると大ヒンシュクでしょうけど、「これPRですよ」とはっきりしてればいいわけですよね。
とは言え単純に生コマ増やせばいい、ということでもない。具体的にどうすればいいいかはよくわからないです。ただ、番組と広告を分けてきた、そこを考え直した方がいいね、という問題提議をしています。

それはつまり、広告と番組の境目が薄れていく。広告が番組の中に溶け込んでいく、ということなのでしょう。概念的なようですが、そういう番組って増えてる気がします。商品について取り上げる番組とか、工場が出てきたり、開発車が出てきたりする番組って多いですよね、最近。

それとこの話は、前川せんぱいが書いておられた、須田さんの「実現クリエイティブ」と関係しています。これからの広告の、ひとつの答えなんだろうなあと思います。[(実現+PR)×TV]ってのは、テレビの影響力の強さを生かしつつ、“広告枠”にとらわれない考え方ですよね。
この考え方なら、録画サービスの進化も受け止められる気がします。「実現クリエイティブ」そのものが番組になったり、”実現”したことが話題として番組で取り上げられたりすれば、スキップされません。”実現”の中身が面白ければ面白いほど、放送後でも観てもらえるはずです。

ただ、そうなってくると、それはもう“広告”と呼んでいいものなのか、わからなくなってきます。これからの広告は、広告じゃなくなるのかもしれません。なんだかわけのわからない話になってきましたが。
広告枠と番組枠の利益相反。メディア産業はそれを内に孕みながらだましだましやってきたのでしょう。その矛盾を解消するべき時が来ているのだと思います。そこに、次のメディアのあり方が見いだせるのではないでしょうか?

 

境 治 プロフィール

フリーランスのコピーライターとして長年活動したのち、なぜか映像製作会社ロボット経営企画室長となり、いまは広告代理店ビデオプロモーション企画推進部長。2011年7月に『テレビは生き残れるのか』を出版。
ブログ「クリエイティブビジネス論」:www.sakaiosamu.com
ツイッターアカウント:@sakaiosamu
メールアドレス:sakaiosamu62@gmail.com

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