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20128/2

8・2【スーパースターはもう生まれない(そして、それでいいかも)】境 治

 

先日、あやとりブログ参加者の暑気払い飲み会を氏家さんが催してくださり、初めてお会いする方もいらして楽しい宴となりました。最後に前川せんぱいが『テレビは何を伝えてきたか』(ちくま文庫)が余分に一冊あるので欲しい人にあげるとおっしゃり、手を上げた人たちでジャンケンポン!ぼくはこういう時必ず負けるのですが、なぜかこの時は勝ってしまいました。前川せんぱいがすかさず「じゃあ読んだらさっそくあやブロに書くようにね」せんぱいに言われたからには早く書かなきゃ、ってんでこの土日に勢い込んで読破しました。と言っても、鼎談が本になったものなので読みやすいのですが。
この本は、雑誌『月刊民放』に2010年3月から12回に渡り隔月連載された鼎談をまとめたものです。話しておられるのは植村鞆音さん、大山勝美さん、澤田隆治さんのお三方。毎回明確なテーマが設定されていて、この手の企画としては構成がしっかりしており読みごたえがありました。あやブロ読者の皆さんにはオススメ!
内容としては、編成マンだった植村さんが進行役として澤田さん、大山さんという二人の制作マンに話を聞く形式になっています。澤田隆治さんは『てなもんや三度笠』『花王名人劇場』などの制作者で、ぼくは小林信彦の著作を読んだりして喜劇研究(?)をしていた時期があるので、80年代からお名前を知っていました。それから、大山勝美さんが制作した『ふぞろいの林檎たち』はぼくの世代の応援歌でいまだに観ると涙が漏れてしまいます。そんなお二人のお話はぼく自身がたどってきたテレビ史でもありました。お二人ともテレビそのものを創り上げてきて、制作者として名をはせた言わばスーパースターです。
知ってるつもりで知らなかった話がいっぱい出てきます。制作プロダクション誕生の背景、黎明期のテレビの地位の低さ、生放送時代の制作手法など、へー!そうだったのか!というエピソードが盛りだくさん。さらにプロダクションの立場も知っているお二人なので、制作会社の不当な扱われ方も生々しく語られています。昔を美化して懐かしむのではなく、現在への問題定義もしっかり切り込む重厚さもあるのです。
一方で、テレビ黎明期がいかに楽しかったかも伝わってきます。それはつまり、ゼロから何事かを創り上げていく面白さです。多様な世界から来た人びとが、旧来のメディア界から蔑まれながらも、コンプレックスを打ち破るべく日々奮闘していたことがよくわかります。いわゆる野武士の世界ですね。
これだけ大きく成長し世の中に強く影響を及ぼすようなメディアを、右も左もわからぬ段階から一歩一歩進めてきたのですから、さぞかし面白い時代だったでしょう。人生を賭けるに大いに値する仕事だったはずです。
先日の前川せんぱいのテレビ小説の話も大変面白い記事でしたが、黎明期の話を今OBのみなさんからまとまってお聞きするのは重要な作業だと思います。失礼ながら、みなさんまだお元気なうちに憶えてること洗いざらいしゃべってください、と考えてしまいます。
旧来のメディアをいつか見返してやるんだと息巻いて、とにかく新しい領域にトライする醍醐味。50年前のテレビ界の現場のそんな雰囲気は、きっといまのインターネットと似ているのでしょう。
当時の映画とテレビの関係は、いまのテレビとネットの関係に置き換えられるのではないでしょうか。だとすれば、黎明期の楽しさをいまのネットは持っているはずです。
つまり、いつの世もメディアの主役は必要で、時代に合わせて変化していく。いま起こっていることは、50年前に映画とテレビの間で起こったことで、主役が交替しようとしているだけだ。いまネットで七転八倒している若者の中から、21世紀の澤田隆治や大山勝美が誕生するのだ。そうですね、きっとそうかもしれません・・・うーん、いや、ちょっとちがう気がするなあ・・・
昔の映画とテレビの関係と、いまのテレビとネットの関係は、相似形だけど合同ではない。見えている現象としてはすごく似てるけど、本質的にちがうような気がします。
例えば映画とテレビは同じ“映像”ですが、ネットの中で映像は重要だけど表現形態のひとつでしかありません。ネットは、映画とネット、テレビとネット、新聞とネット、雑誌とネット、ラジオとネット、といった感じで、すべてのメディアを呑み込んで相対化してしまうわけです。
ネットを主な舞台として活発に表現する人は、表現分野が限定されておらず、何でもこなす傾向があります。旧来型のメディアでは、歴史が新しいテレビでさえ、職能が細かく分化されていました。先の本の中で大山さんのお話として「映画はでっかい35mmカメラでスタッフや関係者が50人ぐらいいる。われわれは16mmで総勢7〜8人だから。」同じ場所で映画のスタッフに出くわすとこそこそ逃げていたという部分があります。ネットメディアだとおそらく一人です。一人で企画立てて撮影して記事書いてレイアウトしてアップロードする。撮影はiPhoneで動画撮ってもびっくりするようなキレイな映像が撮れる。編集も特別な機材いらないですしね。
そうすると、表現者としての“肩書き”が無意味になってくるのだと思います。“映像ディレクター”とか“カメラマン”とか分類できなくなる。
それから、“澤田隆治”とか“大山勝美”とか言われると「自分にはできないことができる人だなあ」とリスペクトしたくなるわけですが、ネットの時代になるとそういうリスペクトではないのでしょう。「わかります!」「共感します!」「私も同じです!」表現者がそんな存在になる。リスペクトじゃなくてシンパシー、ですかね?
ある分野で何か表現にたけているかどうかではなく、人間そのものが問われるというか。「彼は音楽が中心分野なんだけどブログも書いてるし写真も撮ってて映像もやるしね、とにかく彼の中からわき出てくるものにぼくは共感するんだ。あ、ぼくも写真のブログを続けてるんだけどね」表現する人とそれを受けとめる人との関係が、それくらい緩く、フラットで、双方向的になるんじゃないでしょうか。
21世紀にはだから、“澤田隆治”や“大山勝美”のようなビッグな存在、スーパースターは登場しないのだと思います。もっと、“中くらいの存在”がたくさん、登場ではなくいつの間にか浮かび上がる、みたいなことではないかと。澤田さんたちは嘆かわしく思われるかもしれませんが、視点を変えればそれはそれで楽しそうな気がします。
ふん、じゃあテレビはいらなくなるんだな。いえ、そういう状況になったら逆に“放送”はすごく重要な存在になると思います。スーパースターの表現の場、ではないテレビがあるはずです、必ず!

 

境 治 プロフィール
フリーランスのコピーライターとして長年活動したのち、なぜか映像製作会社ロボット経営企画室長となり、いまは広告代理店ビデオプロモーション企画推進部長。2011年7月に『テレビは生き残れるのか』を出版。
ブログ「クリエイティブビジネス論」:www.sakaiosamu.com
ツイッターアカウント:@sakaiosamu
メールアドレス:sakaiosamu62@gmail.com

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