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20122/25

[ソーシャル・テレビジョン実現のための連立方程式の解は? 〜あやぶろバトルロイヤルの俯瞰図〜]  河尻亨一

あやぶろのテレビジョン論が白熱してきましたね。ちょっとしたバトルロイヤル状態です。なので今回は息抜きがてら映画の話でもしてみます(前半)。後半はおせっかいにもこれまでの議論の整理にチャレンジしてみたいと思います。

というのも、2月は映画をかなり観たわけです。いまだ地デジ難民ということもあり。映画は無性にまとめ視聴したくなることがたまにあって、主にこの1年くらいの話題作で見逃していたものをメインに観あさりました。

面白かったものを5本挙げると「けいおん!」「ふたりのヌーヴェルバーグ」「ゴーストライター」「モテキ」「マイ・バックページ」あたりですかね。

それぞれ僕なりにグッとくるスポットがある映像コンテンツですが、映画評の場ではないので説明は各自簡潔に。

まず「けいおん!」は、ご存知の通り若者に人気のアニメです。新宿の映画館で観たんですが、場内に入る前、2人連れの学生風男子が「これ、リア充は観ないっしょーっ」とか豪語してましたね。「やっぱそういうものか…」と思って一瞬引きましたが、観るとかなり楽しめました。
“からだは10代にしてココロはすでに余生”みたいな女子高生バンドの物語。あやブロの“ヲタ担”こと須田さんも早く観て、前の「まど☆マギ論」みたいなのを書いてほしいですね。

「モテキ」は昨年、志村さんがあやブロで書いてたので省略(「悪魔のようなあいつ」と「モテキ」)。TVドラマ版が流行ってた頃に、僕が大根仁監督に行ったインタビュー「ドラマ『モテキ』に学ぶ? ツイッター世代に“モテる”方法」もぜひ。

「ふたりのヌーヴェルバーグ」「マイ・バックページ」は前川さんにおすすめです。前者はゴダールとトリュフォーのドキュメンタリー。二人の同志が革命の挫折を機に自らの表現の方法論を変え、その確執が深まる様を描く、みたいな。

一方、「マイバックページ」は日本の話。「1969年、安田講堂陥落!」にも関わらずなおも革命を夢見る若者と、その行動にシンパシーを覚える新人ジャーナリスト(朝日新聞系)の物語。前川センパイ曰くの「表に出ろ!」的な空気が色濃く残る時代を描きます。「こんなヤツほんとにいたっぽいぞ」のエセ革命家を演じた松山ケンイチが素晴らしい。山下敦弘監督ブラボーな仕上がりです。

「ゴーストライター」(監督ポランスキー)は、僕みたいな仕事をしている者には身につまされる内容ですね。元英国首相(トニー・ブレアがモデル)の自伝ライター(ユアン・マクレガー)が、仕事を進める中で元首相の奥さまとねんごろになってしまうと同時にCIAの陰謀にも気づいてしまい……という“メシうま”な展開ですが、取材対象が偉い人の場合のインタビューってやっぱりこんな感じなんですね! 稲井さんにおすすめです。

で、上記は完全なる私の趣味の世界、かつメンバーの方と今度の「あやぶろ飲み」で盛り上がるための準備ネタでして、ここで話はいきなり飛ぶわけです。

さて、あやブロのメンバーの皆様、および読者の方々にご質問です(この後はみなさん、ご自身の好きな映画なり映像コンテンツ、番組なりを想定してお読みください)。

質問A.:こういった映像コンテンツは、今月あやぶろで皆さんが色んなアングルから提示していた「新しいテレビジョン」の世界ではどうなってしまうんでしょう? リニアなものとソーシャルなものは完全分離される?

質問B.:今月の議論では確か、“テレビは一度死んだことにしましょう”という流れになってました。
では、ソーシャルテレビ(スマートテレビ)における実現ステップを、『「①メディア・思想論 × ②システム・インフラ(著作権等含む)論 × ③ビジネス・マーケティング論」の連立方程式の解として考えると、それを実現させるために、我々はどうすればいいのでしょう?

ご質問は主にこの2点です。聞くだけでは失礼なので、最後に簡単にではありますが僕の提案も述べます。

つまり、あやブロ上においては、なんとなく「ソーシャルテレビ」のビジョンが見えてきたので、このあたりでもう少し“具体的”に、コンテンツの内容とそれを支えるシステムとインフラ、その際のビジネスモデルが何なのか? をそれぞれご専門の方に聞いてみたくなってきたわけです。

どうすれば「①中身が面白く(思想・クリエイティブ面)」「②使い勝手もよく(システム・技術・インフラ面)」「③ウケてお金も入る(ビジネス・マーケティング面)」のか?

そんな都合のいい黄金比がありうるかどうかは別として、もしそれを実現したければ誰がどの順番で何をやればいいのか? ってことですね。この場で自分もそれを考えてみたいと。

今回、なぜこんな“おせっかい編集野郎”を勝手に演じているかと言いますと、このひと月で論者の方も増えて活発な議論続出のため、かなり話が前に進んだ気がするのですが、その一方で皆さんの専門フィールド&ポジション、関心ごとがビミョーに異なるので(主に上記①~③の立場に分かれると思います)、これはバラバラに深堀りしていくのではなく、インテーグレーテッドしていったほうが面白そう、かつ生産的だと思いいたったという次第です(バラバラの深堀りも大事ですが!)。

たとえば、境さんのポスト「テレビのイノベーションの鍵はソーシャルテレビジョンにある」で書かれていたのは主に①のことだと思うのですが、これはおそらく“拡大するお茶の間”の方向性じゃないでしょうか。
生の映像は盛り上がりますから、ソーシャルテレビにおいて「メディアのライブ性」はもちろん重視されるはず。生に限らず番組をツイッターで追う「バルス!」的な楽しさをシステムに組み込んで拡大・常態化する感じでしょうか。

“ソーシャルネットワーキングのライブ性”と、歴史的テレビジョン論である「お前はただの現在にすぎない」が言い表した“テレビジョン的なライブ性”との相違点については、自分は昨年ここでさんざん体験的事例もあげて書いたことでもあり、震災でまさに“そういうもの”として見せつけられてしまいましたから、重要ですが今回はふれません。

「僕らはただの“なう”にすぎない?」「3.11、ソーシャルの側から」etc

最近は僕のほうでも、上記を書いた頃より少し研究が進んでおりまして、ひと言だけ言うなら、それは垂直的表現と水平的表現の作法およびマインドの違いで、答えは両者の交わるゾーンにあると考えます。

それを具現化する場がプラットフォームというものであり、その際のハブ的機能を、いまはたとえばキュレーションと呼んだりします。

そういったことも含めて、テレビはプラットフォームになれるのか? ということですね。
本来このプラットフォームの場において、STOCK性の高いコンテンツ(従来の意味での完璧なクリエイティブ洗練を目指す方向性)は多少不利なのですが、テレビは元来コンテンツのFLOW度が高いので(それこそ映画と比べると)、この両者の相性は悪くなかろうと僕も予想しています。

しかし、かと言え「よっしゃ! ライブでいいんだな」という単純な解釈に基づき、いままでとまったく同じ発想で作ってしまうと、両者(垂直・水平)の性質の違いから摩擦を生じてしまう可能性もあるわけです。TBSさんのセミナーのときにもコメントしたのですが、その際には、カンヌクリエイティブ祭の事例なども番組作りの参考にすることはできます。

「メディアのライブ性」ではなく「記録性」ということで言えば、山脇さんが挙げていたエジプトの「ソーシャル・ドキュメンタリー」が興味深い。

こういった視聴者生成型のコンテンツが、テレビの番組として実装されればすごそうです。ヤスミンさんに、カンヌへの出品をオススメしたいくらいです。この仕組みや企画は、いまの世界の文脈と合致してますから、なんとなく“獲り”そうな予感がします。エジプトは最近、カンヌ出品にも積極的です。

それはさておき。ソーシャルテレビの基本は上記2つの方向であったとして、その際、前川さんが言う「メディア論とビジネス論の交点」はいかに担保されうるのでしょう? ②のシステム・インフラ面ではどうなるのでしょう?

稲井さん、氏家さん間で繰り広げられた「マーケティング・ビジネス面の議論」(「どっこいテレビは生きている」 「テレビは死んだ論を考えてみた」)は主に③の話ですね。

志村さんが言う「伝送路哲学」、西さんの「HTLM5論」「著作権論」などは②の話です。
それらと①がどうかみ合うのか? ということです。

問題がかなり複雑なので聞いてみたのですが、そもそも上記①~③で、最初にココを固めなきゃって部分があるのでしょうか?

もちろん大正解はこの厄介な“連立方程式”を解いた向こうにあるはずですが、手始めにどこから攻めればいいのか? 全体同時に攻める・考えるとして、どういった座組や体制が望ましいのか。それぞれのお立場でご意見は異なるでしょうが、教えていただきたいのですね。

最初に考えるべき本命はやはり③でしょうか。

僕自身は意外と①がダークホースかなという気もしてます。別に前川センパイから“おこづかい”もらおうと思ってるわけでもないですが。

②はいずれにせよ、①か③のどちらかと連れション的な運命にありそうですね。もちろん「3人並んで」が理想的ではありますが、現実にはなかなかそうもいかないと言いますか、「3人揃えば文殊の知恵」の真逆状態も存在しているわけで、「ソーシャルテレビ」を実現させるとすれば、どっかしらで“突破”する必要はありそうです。

で、僕の意見として③から行くと失敗しそうな気もするんですよね。この方面からは、たとえば「けいおん!」は作れないかもしれない(特に最初のテレビ版は)。

アニメに詳しくないのでヘタなこと書きませんが、あれ、ある意味“現代思想的”でさえありますよね? 初音ミクもゾーン的にはそうですね。だからと言って③方面で「これっぽいのがイケてるらしいよ」というのは、まあ難しそうな気がする。

そもそもそういうコンテンツは、 ③発想スタートでは生まれてきにくいもののように思います。生まれたあとはもちろん③へとコマを進めるわけですが、そこにいたる①はバクチ的要素が強いというか、メソッドやノウハウで生まれるものでもない。

たとえば、「マイバックページ」は脚本に3年、「ゴーストライター」にいたっては構想開始から完成まで15年と言いますから、まあ③的発想だけでは無理っぽいですね。

もちろん、だれも借金背負って夜逃げとかはしたくないですから、③的なゾーンは睨みつつ①→②(あるいは②→①)を思い切ってやるってことなんでしょうか?

志村さんが指摘するように、「②が完成されていれば①は考えざるをえない」のですが、とはいえ①のイメージがないまま②を構築した場合、膨大なコストと無駄が発生する可能性があります。

となると③は満足しませんし、社会全体のベクトルも歪みかねません。我々はすでにそういう事例もたくさん見てきました。イケてるシステムを作ったはいいが人は来ない、というやつですね。

つまり、①②はセットで真の思想になる気もします。

余談ですが、「ふたりのヌーヴェルバーグ」を観ると、映画界の“新しい波”が実質的にヒットしたのは仏本国でもたった半年程度らしく、その後しばらくはまるでマネタイズできなかったという悲しいエピソードも紹介されておりました。

まあ、クリエイティブ界の偉大なイノベーションは、えてして古今東西でこんな感じです。ヌーヴェルヴァーグの場合、撮影機材が簡素で低予算、つまり②への負荷が少なくサバイブできたという面はあるでしょう。そして、その“思想”は世界中に影響を与え、広く長い目で見れば「十分モトは取れた」とも言えます。

せっかくなので強引にこじつけておくと、無敵を誇ったテレビの「モテキ」はどうやったら再来するんでしょうか? 「TVヌーヴェルバーグ」あり得るでしょうか。いずれにせよ①~③を絡めて論じていくフェーズな気もします。

論点とエキスパートが出そろった感もありますので、あやブロ発で低予算の実験コンテンツを一発企画してみてもいいかもしれません。ブログ上ではタダでできます。

ヌーヴェルを始めた雑誌「カイエ・ド・シネマ」のメンバーは、ゴダール、トリュフォーはじめ、皆クリティークだったわけで、「最近の映画はつまらん」とか言ってるうちに撮らざるをえなくなったわけでして……。それは合理的な選択だと僕は思いますし、いまは場はブログでよいわけです。

たとえばですが、僕は「ウルルン」をソーシャルからめて復活させたらいいと思うんですよね。

あの番組の“思想”(①)はソーシャルに合う気がします。出演への参加ハードルを多少下げることで「ライブ性」もクリアできそうですし、インフラ(②)もイメージしやすい。③が不安ですが(笑)。

これまでの「番組」通念から開放されるため、かつFLOW度の高いクリエイティブ世界にいっそう社会が流れた場合にそれはそれでマズいこともある(STOCKがなければFLOWが生じない)ため、あえて今回は引いたところで「映画」をソースにして書いてみました。

自分は「①×②×③の方程式」にトライするために必要なものは、マインド面から述べると、意外と「火事場のクソ度胸」かなという気がしています。現状、これを持ち合わせている人材は、テレビ界隈よりウェブ界隈に多い気もします。人材、大事ですね。

もちろんこの浮き世では、「クソ度胸」から「夜逃げ」にいたるケースもままあり、敗者は「オレってまじノマド(無宿)」みたいな悲喜劇もリアルに予想されるわけですが、その初期設定においてはゴダールもジョブズも同じわけですから、まあこういう時代の人材には“クレイジー性”も必要かと思います。

しかし、クレイジーなことを言ったりやったりすると、有象無象にぶったたかれたり無視されて、気の弱い人は発言しなくなるか、開き直ってより凶暴化する昨今のソーシャル界隈ということでもありまして、そういうことではやはりイノベーションなるものはなかなかハードル高いのでは? というふうにも考える次第です。

まあ、“本物”にとってはそういった世間の評判など意外とどうでもよく、そういう人はだれがなんと言おうと勝手に我が道を行ってしまうものなのですが。

 

昨年カンヌでローンチした“deliver hope project”のサイトを立ち上げました。石巻の少年サッカーチームを支援する、広告・クリエイティブ業界有志の活動です。
震災時に手書きの新聞を発行し続けた「石巻日日新聞」への取材映像も見られます。多くの方々のボランタリーなサポートで作られました。
2ドルから寄付できますが、取材映像だけでもご覧いただけるとうれしいです。この活動にご関心を持っていただけそうな方がいらっしゃいましたら、お広めいただけるとさらに有り難いです。何とぞよろしくお願いいたします。http://www.deliverhopeproject.jp/

 

PR:●ダイヤモンドオンラインの連載「マーケティング時評」日経トレンディネットの連載「This Is Hit!」

 

★プロフィール
河尻亨一(元「広告批評」編集長/銀河ライター主宰/東北芸工大客員教授/HAKUHODO DESIGN)

1974 年生まれ、大阪市出身。早稲田大学政治経済学部卒業。雑誌「広告批評」在籍中には、広告を中心にファッションや映画、写真、漫画、ウェブ、デザイン、エコ など多様なカルチャー領域とメディア、社会事象を横断する様々な特集企画を手がけ、約700人に及ぶ世界のクリエイター、タレントにインタビューする。現 在は雑誌・書籍・ウェブサイトの編集執筆から、企業の戦略立案およびコンテンツの企画・制作まで、「編集」「ジャーナリズム」「広告」の垣根を超えた活動 を行う。

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