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20113/19

「3・11」、ソーシャルの側から ② ― 河尻亨一

—————–<後半>———————

週明けから

週明け。TLを見ていて、「Pray for Japan」という海外発のムーブメントを日本でも広めようとする動きがあることを知る。「日本のために祈ってください」の英文メッセージとともに日の丸をデザインしたロゴを自分のアイコンに貼るという。Twitterはもちろん、Facebookを見ても、その意思表示をしている人がいる。ちょっとワールドカップっぽい。ホワイトバンドなども思い出した。

ほかにも節電を呼びかけるものなど、色々な運動が起こっているようだった。何か役に立ちたいという思いがTL上に炸裂している。こういった運動は散発的一時的なものでなく、比較的束にした上で一定期間持続する必要があると考え、とりあえずは一人節電に徹することにする。活動内容をしばらくウオッチして内容を見極めてからでも遅くはないかと。社会が平静を取り戻し、協力へのモチベーションが落ちてきたときこそ呼びかけることが必要なのだろうなどなど、会社へ向かう電車内で考えた。

土曜あたりから、募金を呼びかける声や募金情報がまとめられているサイトを案内する情報も目立ってきた。ものすごい種類の募金があるようだ。個人で物資が送れる状態になってない以上、募金は有効に思える。しかし、「RTするたびに○円募金」的な内容を謳い、マックス○万円までと定めているものに関しては、「最初からそのお金を全額寄付したほうがいいのでは?」と書いている人がいて、確かにそうだと思った。TL上に流れる「この募金は怪しいのでは?」という情報は、その情報自体の真偽を確認するのが難しいが、注意を喚起する上で役に立ったと思う。

平常時もそうだが、こういった非常時にもユーティリティは強いとの印象も受けた。週明けには様々なインフラ系の情報を集約提供するツールや避難者の安否確認の助けになるウェブサービスが、自発的にもオフィシャルにも続々と立ち上がった。ときがたつにつれて、一層使い勝手の良いユーティリティがあらわれている様子で、優れたものは内容を吟味した上でテレビでも紹介すればよいのに、と思う(紹介されたものもあるかもしれない)。

そういった動きと同時に、原発事故への恐怖も加わってか、TLがいよいよ物騒な感じになってきた。その前からパニック気味ではあったが、民放局の報道姿勢やTwitter上でのだれかの発言を「不謹慎」として批判するものも目立ち始める。「不安をあおる津波映像をリフレインするな」「現地ドキュメンタリー的なものはどうなのか?」といった批判が大半だったが、打ち合わせ(現場?)においてテレビ局クルーが、より派手な画を狙いたいという趣旨の不謹慎発言をしていた、という真偽不明のツイートも出回った。東電記者会見における記者の態度が悪いと批判するツイートも度々見かけた。

テレビだけでなく、ソーシャルメディア上にも原発関連情報は溢れかえっていた。原子力関連の専門家による論文的ブログ紹介から、スリーマイル、チェルノブイリ、福島の三大原発事故を「うんことおなら」にたとえて説明するものまで、語り口はさまざま。最初は、僕のような素人から見ても、明らかに信憑性に「?」がつくもの、恐怖を煽るだけのものもあったが、徐々に深い理解に基づいて執筆されたものが紹介されはじめ、ついにはMIT原子力理工学部による専門性の高い解説(より正確な内容の改訂版も出てる)が和訳付きで出てきたのは驚いた。

一週間経過

月曜夜から水曜にかけて揺り戻しがくる。Twitter上では、殺伐とした空気を紛らわそうとしてか、自衛隊による活動の成果(約一万名救助)を強調したり、復旧活動にあたる現地スタッフやその家族を激励したり、都心でのちょっといいエピソードを紹介する公式RTが目立ってくる。「『電車を動かしてくれてありがとう』と子どもが駅員にお礼を言うシーンを目撃し、発信者が号泣」といったホットな小咄がウケるようである。「他人を批判してもしようがないだろ」系のツイートや笑いを誘おうとするネタ系のツイートも増加。あちらかと思えばこちらへ。熱くなりすぎれば冷却、もしくは退避。そういった群衆心理を直に反映するソーシャルメディアのメカニズムの一端をかいま見た気がした。「ラジオのよさを見直そう」といった内容のツイートも多く見かけた。

悲観的、悲劇的要素がフィーチャーされる報道への反動として、「お笑い芸人は必要悪」「もっとエンタテインメントを」などとするコメントも目にしたが、確かにこういうときこそ笑いは重要だろう。しかし、やり方が難しい。動揺のせいか明らかにすべっているものも多い中、突如現れた「#edano_nero」は秀逸だった。だれが考えたのか知らないが、これは確実につかんでいた。みんなの疲れの象徴が“枝野官房長官”だったのだろう。いきなり広告批評的な物言いで恐縮だが、こういうものが優れてソーシャルな“表現”なのだと思う。川柳ぽいツイートの中にも風刺のきいたものがあった(コワいのは「地震・雷・火事・オヤジ」ではなく「地震・原発・デマ・津波」の類いのもの)。こういった市井の名言をまとめているユーザ竏窒烽「るのかもしれない。

一方、火曜あたりからは、地震による日本経済への影響を懸念してか、一部識者を巻き込んで「消費」を呼びかける系の発言も目立ってくる。「Pray for Japan」から「Play for Japan」へ。すごいバイタリティというか、ちょっとヤケクソ気味というか。Twitterに多少何か書き込んだくらいで、日本経済が活力を取り戻すとも思えないのだが……。これも揺り戻しの一環かもしれないが、あまりの変わり身の早さに驚く。「祈り」はどこに行ってしまったのだろう? 人はショックな出来事があったり、悲しみに沈んでいるときは、あまり積極的に消費する気になれないだろうから、もう少し時間をあけたほうがいいのでは? と思う。「不謹慎ですが」みたいな前置きがしてあって、いったい何事かと思えば「これから飲みに行きます」という宣言もいくつか目にした。なにもそこまでという印象である。ソーシャルメディアには人がにじみ出る。

金曜日。原発は依然予断を許さず、計画停電も続くだろう。壊滅的ダメージを受けた地域においては、正確な行方不明者の数が把握できていない状況だ。被災された方々に心よりお見舞い申し上げたい。買い占めの一方で、被災地には十分な物資が届いていないと報道されている。被災地が本当に大変なのはこれからかもしれない。一方で、東京と僕のTLは徐々に日常に戻り始めた。一週間を振り返るとあの日、首都圏では、マス×ソーシャル(情報の連携)がある程度ワークしたようにも思う。しかし、非日常と日常がせめぎあう時間の中で、両者は乖離していった印象もある。テレビもTwitterもやめてラジオ派になった人もいると聞く。

「3・11」はメディアの断層をも明らかにしたのか? あるいは入れ子的メディア機能への可能性が見えたのか? いずれにせよこれを機に社会が新しいフェーズに入って行く予感がしており、ライフに対する価値観の変化を見据えてメディアもいまこそ変わったほうがいいと考えている。ロスジェネ世代の実感として、「空白の10年」の再来はごめん蒙りたい。これほどの未曾有の事態に処するためには、難しいこととは思うが、実りなき足の引っ張り合いや無視はやめにして、ニヒリズムも気取らず、問題を前向きに捉え、知恵をシェアするしかないだろう。僕たちは引き続きこの国で生きて行かねばならないのだから。

河尻亨一(かわじり・こういち)
編集者・キュレーター。1974年生まれ。元「広告批評」編集長。現在は様々な媒体での企画・執筆・編集に携わる一方で、小山薫堂氏が学長を務める「東京企画構想学舎」などの教育プロジェクト、コミュニケーションプロジェクトにも取り組む。2010年、エディターズブティック「銀河ライター(Ginga Lighter LLC)」を立ち上げた。東北芸工大客員教授。

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