●捨てる力と伝える力(稲井英一郎)
「見せない」という主体的な選択行為が、いかに表現に価値を吹き込んでいるかは、日本画の思想を考えれば容易にわかると私は思っている。
日本の美術史上には幾人もの天才がいるが、描かない(見せない)ことがいかに優れた作品を生むか、二人の天才絵師の仕事を見ていただきたい。
「松林図屏風」を描いた安土桃山時代の長谷川等伯は、松の木しか描かなかったにもかかわらず、見えるはずのない大気の流れや朝靄の湿り具合までも描き込んだ。
この図屏風によって、等伯は日本独自の水墨画の様式を確立させたと評価されるほどであり、実際に図屏風の前に立つと、絵をみる人の情感までそこに投影されているように思えてくる。
また江戸中期の円山応挙は、墨と金泥と紙の白さだけで「雪松図屏風」の松を描いたが、その作中では幹や山肌に降り積もった雪の重み、太陽光にきらめく様子をみごとに捕えている。
等伯も応挙も、画題と対峙するときに自分に何が描けるか、五感をつかってあらゆる自然の放つメッセージを自分に取り込んだはずだが、筆を走らせるときには、大胆に捨てて作品を完成させている。
主体的に集め、選び、捨てる。
これだけウェブ世界が広がり、すべての人がクリエーターになりうる(か、どうかはよく分からないが)といわれる時代になった。従来型メディアにとっては、その表現力に価値があるのか問われているともいえる。
「見せない」ことで「魅せる」
「捨てる」ことで作り手のメッセージが「伝える」
このエディターシップの本質を忘れない限り、メディアは存在意義があるだろう。
稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で投資家との交渉にあたったほか赤坂サカスの不動産事業やグループ会社のインターネット系新規事業の立ち上げに関わる。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。
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