テレビは何のためにあるのか?
寄せては返す「伝送」の問題
私の自宅では光回線を敷いており、無線ルーターでタブレットやPCにもデータを簡単に飛ばすことができる。
それでも動画のスタックが無線ではよく起こる。少し容量の重い動画データであれば、30秒待っても再生が始まらないなんてことは、しょっちゅうだ。
これもインターネットの回線構造全体の現時点での技術的必然だ。
専用回線でも敷いていない限り、普通の家庭用光回線では多くの契約者が同じ土管(チューブ)を共用している。だから同時に一定以上の契約者(ユーザー)が動画データを取得しようとした場合に、人口密集している都市部や商業地域ではデータ量の増加によってすぐに輻輳が起こり、動画がスタックまたは断線してしまう。
そんなことが何回も続けば、タブレット視聴が苦にならない人でも、数分以内の動画ならいざ知らず、長い番組や映画を観ようと思う人は正直あまりいなくなるだろう。おまけにタブレットは持ち続けるのにつらい。
しかも、今後のネット映像は4Kに向かうことが国際的な流れとなっていることは以前、映像ビックバンとして書いた(「4Kテレビ放送を考えてみた:その②」)。
ネットのチューブを流れるデータは爆発的に増えていく一方だ。
その点で、空中波を飛ばすテレビ放送の安定した技術的優位性は、しばらくは揺るがない。
(気象条件によるブロックノイズ等発生という弱点はあるが…)
電波の輻輳が基本的には起こらず、同時に1億人に番組を伝送できるテレビ放送は、視聴者(消費者)千人あたりにコンテンツを届けるCPMという指標で測っても、コスト競争力が圧倒的に優位なのは、依然に書いた「どっこいテレビは生きている」の通りだ。
伝送問題がIT技術の進歩で解決するという楽観論もあるだろう。しかし、それはいつのことだろう?教えてほしい。
テレビ放送にしろ、ネット回線にしろ、Wi-Fiにしろ、実際に事業に携わった人なら皆、電波(データ)は流してみないと分からない、ということを身にしみて知っている。
必要とする人々がいる限り
テレビに関心がない人がいてもおかしくないし、皆が皆、テレビにのめり込む必要なんて、まったくない。
実は、というほどのことでもないが、私も大学時代のほとんどはテレビなしで過ごした。当時はネットもなければスマホもなかったがテレビを観たいと思わなかった。専門誌や小説を読み、日本中を自転車で旅していた。バンド活動をやっていたので楽器の練習も大学のキャンパスまで出かけて行い、勉強も多少はした。周囲を見ても、友人たちはそんなにテレビにのめり込んでいなかった。
テレビを部屋に置いたのは就職活動に入ることがきっかけだった。そこで改めてテレビ番組の面白さを知った。
そして昔はテレビ局が放送事業だけでも営業利益が1局あたり数百億円稼げた、左団扇の時代が長く続いた。
そんな時代は遠く去った。東京キー局は株式を公開しているので一定以上の利益を上場会社として株主のために稼ぎ出さないといけない。いきおいコストを削る試行錯誤の過程で番組のクォリティ維持や人材の確保、従業員教育に四苦八苦しているのが現状だ。
いわゆる総世帯視聴率(HUT)に見られる地上波テレビ離れは現在のところ、データの上では録画視聴(タイムシフト視聴)の普及と、BS視聴の拡大した視聴時間によってほぼ説明がつくことはやはり以前に指摘した(「僕のブログが魚だとしたら」)。
しかし、面白くないと視聴者が感じる番組が増えていることが今後、真綿で首を絞めるように効いてくるかも知れない。
インターネット関連の技術進歩が画期的な発明を生み出して創造的破壊をもたらし、ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授が言う「イノベーションのジレンマ」がテレビ産業に起こり、新しい時代に対応できずに古い産業構造が瓦解する可能性もゼロでないかもしれない。
しかし、それでもテレビを必要とする人々が少なからずいる限り、そこに市場は存在し、テレビ放送というメディアも絶対になくならない。
だからわれわれは生き残りをかけ、少しでもましな番組を送り届ける責任を感じている。
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