のめりこませる技術
クリエイティブとドーパミン
人間をうまく動機付けられたら。。。なんでも買わせて大金持ちになっちゃう。商売にはウマくハマりそうだ。
だが、このドーパミン研究、モノ作りに携わる人にはちょっと刺激的な結果じゃないだろうか。
というのも、サルにとって「ジュース」より「ピーという音」のほうが効果あるってことになってる。
それって、サルを食いつかせるためには、もっといい「ジュース」をチラつかせてもダメってこと?クリエイティブな人だったら、サルの気を惹くために「ジュース」そのものをよりよく努力するだろう。
でも、ドーパミン研究は、「そこじゃない。改善すべきはそこじゃない」と言ってる。
いいコンテンツだから売れるのか、そうでなくとも売れるのか、売れたのがいいコンテンツなのか。。。そもそも、いいコンテンツの「いい」ってなに?
我々はいつも悩んでいる。
身体的心地良い不確実性
じゃあ、このドーパミン研究をクリエイティブ活動にどのように生かせばいいんだろう。
「ひきこまれる技術」から、もう一節引用してみよう。
「物語世界にあなたを招きいれるような物語は、必ずあなたの探餌本能をくすぐる。人間は無限に捜し求めるものだ」 (372頁)
「物語世界にあなたを招きいれるような『物語』」とは、「仕掛け」とでも言い換えられるだろうか。
ドーパミンがコンテンツ自体には反応しないのならば、コンテンツのなかになにか、不確実性、ギャンブル性を入れていけばいいのか。
このコンテンツの良さを追求する指向性と仕掛けを考えるうえで、思い浮かべたのが、村上春樹氏のこの言葉。ウェブから引用してみる。
小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう「倍音」みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞きとれないんだけど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです。
(白水社のウェブから 村上春樹・柴田元幸『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を語る)
「大事なのは、意味性そのものよりも、意味性と意味性がどのように呼応し合うか」という指摘は、よりよいモノを作るというより、あるいはよりよいモノを作るには、モノ自体のバリューを2倍にするんではなくて、バリューとバリューがどうつなげるかの関係性にあることを言ってるんだろう。
その関係性は、ドーパミン研究からいえば、「不確実性」か?
「何か」いいことを言おうとするんではなくて、驚きのあるつながりをモノに込めるってこと?「へぇ〜」っていう驚きを盛り込みゃいいの?
それが、「のめりこませる」技術ってことか。
コメント
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