あやぶろ/OLD

テレビの中の人による唯一のテレビ論、メディア論ブログ

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201212/31

テレビの今と未来は?何をするべきか?…今年を振り返って考える②

①からの続き。

【テレビを考える】

 

TBSメディア総合研究所では「あやとりブログ」という、テレビやソーシャルメディアなどに関する多様なメディア論を展開するプラットフォーム・ブログを主催している。「あやとりブログ」は通常のブログと違い、テレビ業界だけでなく、広告、出版、新聞、シンクタンク、IT、デザインなど様々な業界の一流の書き手が議論を繰り広げる、言わば、異業種メディア論プラットフォームだ。もちろんメインはテレビメディアだが、異なる業種からの視点が加わる事で、思いもよらないユニークな発想が提示され、今後のテレビのあり方やメディアの将来を考える上で、参考になる議論が数多く提示されている。

これらのポスト(記事)をベースに、「今、テレビに何が起きているのか」、「これから何が起きようとしているのか」「テレビはどうすればいいのか?」を以下の8つのテーマで考えてみる。

 

  1. 「テレビはなぜ遠い存在になってしまったのか?」
  2. 「面白さの基準が変わってしまったことに気づいているか?」
  3. 「ソーシャルテレビに新しいテレビビジネスの可能性を見る」
  4. 「全録機の登場で一気に進むタイムシフト視聴と、メタデータ活用による悲願のテレビ局主導プラットフォーム誕生」
  5. 「近未来・スマートフォンの衝撃」
  6. 「日本テレビのソーシャルテレビ戦略」
  7. 「メディアイノベーション時代のテレビ局経営について」
  8. 「テレビとは・・・最も本質的な問題を考える時が来た」

ブログから引用した文章は、太字で表記した。また、途中省略した部分があるので、読みやすくするため文章に若干手を加えている。

テーマ①
「テレビはなぜ遠い存在になってしまったのか?」
…テレビは「私」にとって全くの「他人」だ…

 今のテレビはかつてと比べると明らかに視聴者から遠い存在になってしまっている。ネットではマスコミのことを「マスゴミ」と呼んで、蔑む表現がよく見られるが、かつては匿名掲示板の2ちゃんねるなどを除いては、見られなかった現象だ。しかしTwitterやFacebookなどソーシャルメディアが登場してから、急に目にする機会が増えた。お茶の間で視聴者の身近な存在だったテレビは、なぜ嫌われるようになってしまったのか。

テレビに関わるものとして心が痛むようなこの現象は、これからのテレビのあり方、番組の作り方、ひいてはテレビの存在理由にまで及ぶ重要なテーマであり、あえて正面から捉えて考えてみる。

まずは境治さんのポストから。

境治さんは、フリーランスのコピーライターとして長年活動したのち、映像製作会社ロボット経営企画室長、現在は広告代理店ビデオプロモーション企画推進部長。2011年7月に『テレビは生き残れるのか』を出版。ブログ「クリエイティブビジネス論」を執筆中、という方だ。

境さんは、ソーシャルメディアはテレビと対立する存在と捉えられがちだが、元々をたどるとテレビこそ大規模なソーシャルメディアとしている。

実はそもそも、テレビとはソーシャルな存在だったのではないでしょうか。テレビが普及した原動力は、皇太子陛下の結婚や、東京オリンピックだった。子供の頃、浅間山荘事件を日本中がテレビを通して見つめたことを記憶していますし、去年のなでしこジャパンの優勝は夜中でも多くの人が見ていた。日本にとっての大きな出来事を共有、つまりシェアするのに、テレビというメディアは大いに役立ったわけです。

メディアとはコミュニティなんだ、と最近多くの人たちが言っています。そしてテレビは日本という名の大きなコミュニティのためのメディアなのです。日本という大きな共同体を形成したのがテレビなのです。

ところがもはや、日本というくくり方だけではすべてが済まなくなった。そこへネットが登場し、ソーシャルメディアの波がやって来て、マスメディアでは対応できなかったコミュニティ形成がはじまっている、ということだと思います。

テレビは日本中の茶の間と結ばれたが、しかしそれは1:nの一方通行的なものだった。そこに新たなソーシャルメディアによってn:nの双方向コミュニケーションがもたらされ、それが小規模のソーシャル(コミュニティ)を形成したという論点だ。
分散した小規模コミュニティは個々の思いを反映させられるので、テレビとは比較にならない強さで共感、仲間意識が生まれる。その反作用としてテレビとの距離が開いてしまい、テレビは急速に、遠い存在になってしまった。

このテーマについては、山脇伸介さんのポストでも鋭い分析がなされている。
山脇伸介さんは1991年TBS入社。朝昼の生情報番組やニュース番組のプロデューサーを経て、2007年8月から1年間、ニューヨーク大学院(NYU)で「テレビとインターネットのこれから」について学ぶ。帰国後、他局に先駆けてTwitterやFacebookの導入に尽力。著書「Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム」(ソフトバンク新書)を出している。

「なぜスマホには親近感を感じるのに、テレビや新聞や雑誌には感じないのか?」。
テレビも新聞も雑誌もなくても困らないと思わせるのは、「私」にとってまったくの「他人」だからだ。「他人」とは「私」が存在していようがいまいが、関係ない存在。「私」の存在によってもなにも変わらない「他人」メディアに親近感なんか感じるはずもない。
そして、スマホユーザーの8割が利用しているというソーシャルメディアのコミュニケーションは良くも悪くも「私」に存在する場を与えてくれる。あるいは「存在する場がある」と錯覚させてくれるものだ。

山脇さんはこのように、視聴者=ユーザーが、テレビを含めたマスメディアに親近感を感じられなくなっている構造について説明し、さらにテレビが嫌われる理由に踏み込んでいる。

インターネットで一番嫌われるのが「上から目線」だが、テレビが勝手に「面白い」と思ったり、「重要だ」と言ってくることがそれだ。「私」の存在を無視して、自らの価値観を押し付けてくる巨大メディアに、嫌悪感や反発を覚えるのはごくごく自然なことだ。
私には、テレビはすでにインターネットに飲み込まれているように見える。それが見えていないのは、もしかするとテレビ関係者だけではないかとさえ感じる。

今、テレビ局によるテレビ×ソーシャルメディア連動の試みが始まっている。特に日本テレビとNHKが先行している。これらの局の人たちと話をすると、連動によって視聴率を上げようとか、新たな副収入を得ようとしているのではないことがわかる。連動の目的は、視聴者と一緒に、テレビを見る時間を盛り上げることだ。この数年の間にテレビから離れてしまった人たちを、ソーシャルメディアの持つ共感を喚起するパワーを使って、再びテレビの近くに引き寄せようとしているのだ。その背景には、「テレビはユーザーから嫌われるようになってしまっている」という強い危機感がある。

全てのテレビ局がこの危機感を抱き、ソーシャルメディアとどう向き合うのか、今、行動を起こさないとテレビはますます遠い存在になってしまう。

 

 テーマ②
「面白さの基準が変わってしまったことに気づいているか?」
…彼らにとってテレビは最前線のメディアではないのです…

まず、山脇さんのポストから。

 インターネットはテレビより「こっち側」にあるサービスなのだ。
21世紀のテレビは「私」を無視して成り立つものではないことはわかっている。
「私」を無視しない「こっち側」のテレビをつくることはできるのか?少しでもヒントが残せるといいのですが・・・

「21世紀のテレビは「私」を無視して成り立つものではない」と喝破した山脇さんは、このような思いから「大炎上生テレビ」という番組を制作した(放送2012年10月28日深夜)。TBSとしては初めてのソーシャルメディア連動番組だ。

それについての彼のポストに興味深い事が書かれていた。

この番組を、録画で見たテレビ関係者の評判があまりよろしくない。「賛成&反対の視聴者アンケートは面白かったが、テレゴングとどう違うのか?」という感想もあった。確かに視聴者へのアンケート調査ということだけなら、テレゴングの方が勝っている部分も多い。しかし今回の試みは、セカンドスクリーンから投票ができ、自分のツイッター・アカウント名もテレビ表示することができる(かもしれない)こと。しかもテレビ番組の進行に従って、セカンドスクリーンに映し出される「番組ホームページ」のスタンプやアンケートなどが順次更新されていくことが売りだったのだ。
セカンドスクリーンからテレビ画面に“あしあと”を残すという「リアルタイムでしか味わえない体験」を、「録画」視聴から想像することは難しい。

この番組は、テレビとソーシャルメディアを本格に連動するために、新たなアプリケーションソフトを開発して行った重要な実験だった。テレビを見ながらソーシャルメディアを利用してセカンドスクリーンから番組にアクセスするという連動である以上、生放送でなければ視聴する意味がない。

この番組の価値は、放送した「番組」だけにあるのではなく、ユーザーの番組に対する働きかけを画面に反映させる事で、放送している時間をユーザーと共有し、盛り上げ楽しむことにある。だから「番組」というよりリアルタイムの「イベント」と考えた方がいい。

それにもかかわらず録画視聴での感想を元に評価し、テレゴングとどう違うのか?などという今回の番組実験の要であるソーシャル連動の意義すら把握できていない質問が出るのは、ソーシャル連動に対する知識のなさ、世の中の変化に対する感覚の鈍さ、今のテレビへの危機感のなさの現れであり、非常に懸念される。

この感覚の落差は、テレビ関係者とネット関係者の感想の違いに顕著に現れている。

山脇さんのポスト。

 

肝心の番組そのものの評価については、以下の真逆の感想が象徴的だ。
テレビ関係者・・・
「あたまのカンニング竹山、西野翔の主張までは番組として成立していたが、あとはグタグタ・・・。もっときちんと仕込むべきだったのでは?」
ネット関係者・・・
「後半、視聴者に聞く辺りから、面白くなった。もっと自由に政治ネタ等に触れてもよかったのではないか?」

私が聞いた限りでも、世間の感想は、この「ネット関係者」の感想に近かった。そして今後は、このような感想を感じる人たちがどんどん広がる一方、「テレビ関係者」のような感想を感じる人たちは少なくなっていくことを認識しなければならない。テレビ関係者は自分たちの感覚が、世の中とズレてきていることに気づくべきだ。

かつて「8時だよ!全員集合」が「オレたちひょうきん族」に世代交代された時と同じように、今、「面白さ」の基準が急激に変わりつつある。すたれゆく面白さの物差しで番組を作っても、視聴者やユーザーに共感してもらえるコンテンツはできない。

境治さんは、「フロントライン」というソフトな表現で今のテレビのポジションについてポストに書いている。

その時代、その時代で“フロントライン”があるのだと思います。テレビがテレビらしく、ライブなマスメディアの本領を発揮する場が、70年代はTBSにあり、80年代にはフジテレビに移っていったのでしょう。その後それは日本テレビに移り、そしていまテレビ朝日がフロントラインになっているということかもしれません。

このフロントラインは、あくまでテレビの中でのものだ。境さんは自分の子供たち(中高生)を観察しながら、メディア全体のフロントラインは今、どこにあるのか考察している。

彼らは朝から晩までスマートフォンを手にしています。LINEで友達とチャットしたり、YouTubeの動画を見たりしています。娘がピアノで懸命に練習しているのは、ニコニコ動画で誰かが作った曲で、誰かが作った動画とともに人気なコンテンツになっています。
彼らはテレビも見ますが、ほんとうにテレビ“も”といった感じです。週に数本、見ると決めている番組があって、終わるとさっさと自分の部屋に戻ります。続けてついつい他の番組も見る、なんてことはありません
どのメディアが彼らにとってのフロントラインなのか?それは一口には言えそうにありません。ただはっきりしているのは、彼らにとってテレビは最前線のメディアではないのです。

フロントラインは、計算してできるものではない気もします。気がつくと、そこがホットになっていた。だったら要するに、面白そうな場所を見つけて面白いことを追求する、それに尽きるのかもしれません。テレビかネットか、なんてことさえ飛び越えた場所に、21世紀のフロントラインがあるということかな?

「テレビは今やメディアのフロントラインではない」という見解は、テレビ業界人からは「いやいや、まだテレビの影響力は圧倒的に大きい…」と反発されるだろう。それはもちろん正しい。仮に視聴率1%が100万人とするなら、生の配信で10万人が視聴したら凄い人気というネット動画など比較にならない。「ビジネスとしてのテレビ」が、そう易々と廃れることはない…と思われている。

しかし「メディアとしてのテレビ」はどうか?その辺にいる中高生に「テレビの“中の人”と、ニコニコ動画の“中の人”、どっちに会いたい?」と聞いてみると答えは一方的だ。Youtubeやニコニコ動画、LINE、Twitterの方が、彼らにとってははるかにクール!なのだ。今の時代のフロントラインは、既にテレビではなくなっており、面白さの基準も変わってしまっている。

「テレビはどうすればいいのか?」を考える際、まず、この危機感を共有できるかが重要なカギになる。

 

 テーマ③
「ソーシャルテレビに新しいテレビビジネスの可能性を見る」
…コンテンツビジネスは、コミュニティ運営なのだ…

ソーシャルメディアはともかくソーシャルテレビという言葉は目新しいし、知らない人も多いかもしれない。Wikipediaにさえまだ出ていない概念だ。これについては今谷秀和さんがわかりやすく書いている
今谷秀和さんは、建築士、インテリアデザイナーとして活躍した後、1990年電通入社。プロモーション、イベント、空間開発の後、デジタルビジネス系で13年間。現在電通関西支社テレビ局 局次長。

米国では昨年あたりからテレビ番組に連動して楽しませるスマートデバイスのアプリが急速に普及しています。テレビの音声をデバイスに聴かせて観ている番組を判定し、番組の進行に同期するコンテンツをネット経由で表示するというアプリが続々と登場しています。目の前の家族だけではなく、離れた場所にいる友人とも一緒に盛り上がる訳です。こういった視聴方法を「ソーシャルビューイング」と呼ぶのですが、テレビ業界にとってはこのソーシャルビューイングがテレビ視聴を促進する一つの強力な武器として注目されている。
TBSが3月に放送したソニー1社提供番組「Make TV」ではソニーのアプリで生番組にリアルタイムで参加できるというもの。自分の操作が番組自体に影響を与え変化するというのは初めての事例ではないでしょうか。

このようにソーシャルメディアと繋がりながらテレビ視聴をすることをソーシャルテレビだと考えていいだろう。(録画視聴やVODでも可能な場合がある)
また、境治さんは、テレビの将来の可能性を握るといわれているソーシャルテレビの効用は大小2種類のコミュニティの形成にあるとしている

ソーシャルテレビ”の効用はふたつあります。ひとつは、大きなコミュニティ形成です。大きなスポーツイベントや誰もが見る価値がありそうなエンタテイメントを、リアルタイムで視聴する高揚感を増幅させるために、ソーシャルテレビは有効となるでしょう。これは実際にワールドカップの予選などですでに見られる現象です。

もうひとつは、小さなコミュニティを形成するための装置としてのソーシャルテレビです。視聴率はさほどでもない番組でも、ソーシャルメディアの力を借りることでしっかりとファンを育成し、その番組を息の長いものにしていけるかもしれないのです。これはアニメ番組で顕著に見られる現象です。

そして番組コンテンツが小さなコミュニティを形成する実例として、テレビ朝日の「相棒」を紹介している。

テレビ朝日の『相棒』は視聴率も高いけれど、Twitterもものすごく盛り上がっています。コア視聴者層の年齢からすると不思議ですが、『相棒』のプロデューサーはネットに強い方で、ずいぶん前からブログなどを使って熱心に情報発信をしてきたのだそうです。これは画期的なことだと思います。テレビ局のプロデューサーが何年もかけて自らソーシャルを駆使してファンを育ててきた。その成果がTwitterに反映されてきた。そんなことが起こるのも驚きですし、そんな地道な努力をテレビ局の人がするのもびっくりです。コンテンツの力があればコミュニティは育成できるのです。

境さんは、このように番組がコミュニティを作れるなら、新しいビジネスモデルも可能になるとし、以下のようなアイデアを提示している。長い引用になるが示唆に富んでいる。

コンテンツビジネスを言葉通り受けとると、一回見せて何百円取れるか、にしかならないけれど、コンテンツビジネスとはコミュニティ運営なのだ、ととらえることで話が変わってくるでしょうし、見せることそのものは無料でもいいのかもしれないわけです。
入場料を払ってくれれば何を何回見てもいいよ、とか、何をどれだけ見てもすべて無料だよ、ところでこのグッズいらない?とか、いろんなやり方を考えるわけです。
そうするとコミュニティですから、広場がないといけない。もちろん、その広場の中心にはコンテンツがあるわけですが、その周りにちゃんと場所を用意する。つまり、WEBサイトがあって何らかファンが参加できるコーナーがあったり、Facebookページを作ってファンに何か書き込んでもらったり。
そういう広場の中に、ちょっとしたアトラクションがあって料金をとったり、関連グッズがあって購入させたり、そんなことでコンテンツ本体のマネタイズとは別個の収入源をつくりあげていく。あるいは、来た人に風船を配るのだけど、そこにはスポンサー企業のロゴが刷り込んである。配布した風船の数によってスポンサーから、番組提供とは別の広告費をいただくのです。

 すると、制作者の役割がずいぶん変わってきますよね。まず、番組制作のことだけ考える人ではなくなってくる。上に書いたようなコミュニティをどう形成してどう育てるかも、番組作りと同じくらい頑張らないといけない。
テレビプロデューサーの仕事は今後、番組をいかに多様なコンテンツとして展開して収益を出せるか、になってくるかもしれません。

今の番組は、地上波放送をターゲットに、より高い視聴率を獲る事を目標に作られている。しかしこれからは、番組をコアに様々なマネタイズ方法を取り込んだマルチ展開が大前提となり、それに最適化させた設計を、番組の基本計画段階から考えることが非常に重要になってくる。単に視聴率が獲れるというだけではダメなのだ。Web展開や商品化、スマホのアプリ化などをしやすいような仕掛けを、番組の企画自体の中に仕込んでおくことが、必須になる。とくにソーシャルメディアとの関係は重要だ。この時、境さんの「コンテンツビジネスはコミュニティ運営なのだ」という考え方をすると、とてもイメージしやすい。

すでにアニメはこれに近いビジネス展開となっており、視聴率のみを重視するというビジネスではなくなっている。特に深夜アニメで成功しているTBSは、このノウハウを活用し、ソーシャルメディアの力で視聴者と共感の連鎖を形成できれば、新たなビジネス分野を生み出す事ができるはずだ。

 

テーマ④
「全録機で急拡大するタイムシフト視聴と、メタデータ活用による悲願のテレビ局主導プラットフォーム誕生へ」
…テレビの圧倒的な集客力を外部にも利用させるという新たな発想…

全録機の登場で、テレビ局はタイム・スポットというテレビCMに依存したビジネスモデル以外の広告モデルを考えなければならなくなっている。
全録機とは、1週間分の全ての地上波局の番組を録画するだけではない。同時に様々な方法で番組内容をタグ付けして、全テレビ番組をデータベース化し、ソーシャルメディアと連動させ、お薦めの番組や話題の番組、シーンなどを自由に見られるようにしてしまおうというものだ。

具体的にはSPIDERや、東芝のREGZAがあるが、境治さんがポストでアスキー総研の遠藤所長がSPIDERを使用した例を紹介している

遠藤さんはそれまではBSやCSばかり観ていたのが、地上波を観るようになったと。カレー好きで有名な遠藤さんは、カレーで検索した番組を毎日観ているとか。それによって、これまで知らなかった番組に出会うことができたのだそうです。
似たことは、録画した番組の”共有”つまりソーシャルな仕組みの活用でも起こるようです。人びとの感想に触れることで、知らなかった番組と出会うチャンスが増えるのです。

つまり全録機によってテレビ番組の視聴が広がるのだ。それぞれの地域で見られる全ての地上波テレビ局の全番組がデータベース化し、ソーシャルメディアと繋がることで、今まで見逃していた番組、気付かなかった番組、全く知らなかった番組が、見られるようになる。「ソーシャル録画視聴」ともいうべき、新たな録画スタイルが誕生する。減る一方だったテレビの視聴時間(録画視聴を含む)が増加するのだ。

これを可能にしたのがメタデータだ。メタデータには「前付け」と「後付け」がある。「後付けメタデータ」はMデータ社という企業が、生のテレビ放送を何人もの人間でチェックし、番組内容、出演者、紹介した店、場所などすべてのデータを、手作業でインプットしていったもので、今や非常に精度の高いメタデータ作成システムに成長し、大手代理店、テレビ局、ナショナルクライアント企業などが利用するまでになっている。

東芝の「REGZA Z7」、「REGZA J7」シリーズに搭載された機能のひとつに、「みどころシーン再生」がある。録画番組に、内容に伴ったシーンのインデックスをつけ、好きなところから呼び出して見るための機能だ。ヤフーの「検索急上昇ワード」とも連携し、そこに現れたキーワードが含まれる番組を呼び出すことができる。このインデックスやキーワードが、録画した番組に付けられた後付けメタデータなのだ。この機能によって、ユーザーはソーシャルメディアで話題になった番組やシーンを探し出してみる事ができるし、話題になったタレントの出ている全ての番組が一発で検索できる。

現在、どんどん増加している「生活の中にスマホやPCはないと困るけれど、テレビはなくても困らない人々」をテレビに引き戻すにはどうするかという問題に、メーカーとしての立場から出した解答だ。全録機によって番組価値が高くなるのは重要なポイントだ。録画視聴が急増するのも予想できる。

しかしテレビCMにとってはCM飛ばしという問題が残るが、境さんはプロダクト・プレイスメントの本格的な研究が必要なのではとしている。

面白い番組をもっと楽しむために録画サービスが進化すると、面白い番組を作るための予算が減るというおかしな現象が起きる。なぜこんな現象が起きるかというと、広告と記事や番組が分かれて存在していたことなんじゃないでしょうか。番組に広告的な臭いがしたら視聴者は拒否反応を示す、と言う人もいました。確かに“ステマ”的にやっちゃってバレると大ヒンシュクでしょうけど、「これPRですよ」とはっきりしてればいい。

全録機はまだ価格が高いが、数年で一般家庭でも容易に買える価格まで値下がりするだろう。そのとき、録画視聴が一気に広まる“恐れ”がある。そうなると、テレビCMの視聴機会は減少し、テレビ広告市場はますます縮小していくだろう。そのような環境下では、マネタイズの新たな手法を開発していかないと、テレビ局も広告代理店も苦しくなるばかりだ。

実は、全録機と番組メタデータの組み合わせの先には、新たなビジネスフィールドが広がっている。スマートテレビにとって必要不可欠なメタデータだが、視聴者が知りたがる「このタレントの服はどこのブランド?」などというデータは、テレビ局以外は知り得ない。これらを「前付けメタデータ」と呼ぶ。これと「後付けメタデータ」とをドッキングさせるという方法で、完璧なメタデータ・データベースを構築するアイデアがある。

これは一つの放送局だけでやっても意味がない。全局がまとまって運用することで、テレビ局主導の巨大な番組メタデータ・プラットフォームが完成する。プラットフォーム・ビジネスはうまくいけば理想的なビジネススタイルといえる。多くの企業とユーザーを集める事で、企業単独で実現する利益をはるかに越えた規模になるのがプラットフォームだ。これが生み出す付加価値は非常に大きい。
これまでは、番組で紹介した商品をネットですぐさま販売するという「コバンザメ商法」に、美味しいところを利用される一方だった。しかしテレビ局がこの情報の根元を一元的に押さえる事で、コマースやアフィリエイトなどのビジネスに繋げられるようになる。

メタデータ・プラットフォームは、テレビ局にとっておそらく最後のプラットフォーム・ビジネスチャンスだ。ところがこの分野には、海外から巨大IT企業が既にアプローチをかけているという。ここで乗り遅れ、プラットフォームができた後で参加しようとしても、テレビ局といえども単なるプレーヤーの一人、その他大勢の一人にしかすぎなくなる。テレビ局が足並みを揃えてこそ可能な巨大ビジネスに乗り出すには、民放連など、一回り大きなレイヤーが動き出さねばならない。

このプラットフォーム・ビジネスは、単に規模のビジネスだけではない可能性を持っている。それは既存のテレビビジネスにはない、全録機+メタデータが持つ未知の可能性だ。
全録機上で、録画された番組と充実したメタデータがドッキングすることによって、録画番組であっても、多くの人が見れば見る程マネタイズのチャンスが増えるというロングテール・ビジネスが生まれる。今までのリアルタイム視聴のみに依存したテレビ広告とは、全く異なるビジネスモデルだ。番組メタデータ・プラットフォームをテレビ局が整備する事で、テレビ局の敵であった全録機が利益をもたらすようになる。この差はとてつもなく大きい。

さらにメタデータ・プラットフォーム展開で非常に重要なのは、オープンにすることだ。今の時代のビジネストレンドは、iPhoneの成功に見るようにAPI(アプリケーション・プログラム・インターフェース)を公開し、自分だけでなく多くのプレーヤーに参加してもらい、共に儲け共に成長するというものだ。iPhoneだけでなくTwitterもFacebookもYahoo!もあらゆるネット系の大企業は、APIを公開し、できるだけ多くの事業者とユーザーを集め共存共栄する方法を選び、成功している。

テレビの圧倒的な集客力を外部にも利用させるという新たな発想は、従来のテレビ局経営の思想とは相容れないものだ。しかし未来の明るい企業として生き残るために、今、発想の大転換が必要になっているのではないだろうか。

 

テーマ⑤
「近未来・スマートフォンの衝撃」
…スマホがファーストスクリーンになるイノベーションが起きる…

スマートフォン=スマホの登場は、人々の生活に想像以上に大きな影響を及ぼしつつある。あやとりブログでも、志村一隆さんが、スマホのインパクトについて書いている
志村一隆さんは1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号。『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』などの著書を出している。

志村さんは、スマホ普及の意義について、

 スマホの普及が、今までのパソコン+固定回線インターネットと違うのは、ネットにアクセスさせることなく、消費・生活行動にネットサービスが入り込む点だ。

とした上で、こんなことが可能になるという実例を想定している。

これは、最新のモバイルテクノロジーを念頭に置いてイメージしたものだ。スマホの機能は、位置情報(空間)と時間を共に送り手(もちろん受け手も)で制御できる。そこに、決済機能も付け加えると、リアルな消費行動にネットサービスを絡ませられる。
たとえば、コンビニでジュースを“おさいふケータイ”で買った瞬間に、ガムのクーポンが表示される。決済と位置情報、そして購買活動をミックスさせたサービスだ。
スマホ+モバイルブロードバンドの普及により、我々はまた2000年代から非連続な未来へ突入したと考えるべきであろう。

スマホは、ユーザーがいつでも持ち歩きネットに繋がり、決済等の機能を装備する事で日常生活に深く入り込む。ユーザーは自身が知らないところでスマホによって行動を把握され、マーケティングの対象となる。そのような時代には、テレビ向けコンテンツとは別に、スマートフォンに最適化されたコンテンツが求められるようになる。
志村さんはスマホの普及はメディアにも大きな影響を与えるとしている。

2010年代の「スマホ2.0」では、リアルな空間と時間のなかに、映像メディア体験を配信することになる。テレビ(受像機)との関係性を離れた、スマホがファーストスクリーンになるイノベーションが起きるだろう。
「手元にスマホがある」おかげで、メディアは、筐体のなかにあるのではなく、リアルな生活に溶け込む。テレビではできないこと、好きな時間に好きなモノを見るオンデマンド文化と、それを可能にしたプラットフォーム(ソーシャルメディア)がインターネットに成立した。

スマホに成立するメディアには、「時間」と「空間」のモノサシが必要だ。時間は、「暦」でなく生活リズムに近づき、空間はリアルに居る場所だ。
メディアは、「暦」を刻む放送、時間と空間を管理するスマホメディア、ユーザーのオンデマンド性を許容するプラットフォーム(または、ソーシャルメディア)の3つが並立するのではないか。

つまり近い将来において人々は、常時携帯するスマホ(ミニタブレットも含む)によって、個々のユーザーの時間と空間に最適化された、テレビ番組以外の様々なコンテンツを楽しむことができるようになり、テレビ放送はその存在感を徐々に弱め、いくつものメディアの中のひとつとなる。

その時、企業としてのテレビ局はどのような姿になっているのだろうか。コンテンツ制作能力の高さはテレビ局の大きなアドバンテージだが、スマホによって生まれるユーザー個々の時間と空間に応じた様々な需要に、応えきれるのだろうか。高い制作能力が徐々に拡散していく恐れはないか。10年後を想像するのは非常に困難だ。

 

③に続く

 

 

氏家夏彦プロフィール

1979年TBS入社。報道(カメラ、社会部、経済部、政治部等)・バラエティ・情報・管理部門を経て、放送外事業(インターネット・モバイル、VOD、CS放送、国内・海外コンテンツ販売、 商品化・通販、DVD制作販売、アニメ制作、映画製作)を担当した後、2010年TBSメディア総合研究所代表。テレビの中だけでなく外の人たちと明日のテレビを考えています。フルマラソンで毎年サブ4を続けるのが目標。週末は江ノ島でセーリングしています。Facebook、Twitterやってます。

 

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