11・3【せんぱい日記 <日韓中テレビ制作者フォーラム>のこと、園遊会ご招待のこと、など】② 前川英樹
10/15(月)
ノーベル文学賞は中国の莫言が受賞。
莫言の「転生無限」を読んだとき、月並みな表現だが、その奇想天外な発想とスケールの大きさに驚いた。上下で900ページ。
新中国建国から大躍進、文革を経て改革開放に至る現代史を、元地主の主人公はロバ、牛、豚、犬と姿を変えて(変えさせられて)生きるのだが、なんとも凄い物語で、しかし面白かった。
村上春樹は今年も縁がなかった。
TBSニュースパートで、元報道特集キャスター田畑光永さんが、金平君といまの日中関係について語っていた。エキスパート田畑さんの中国論は傾聴に値する。その人の信頼感は、情報にとってとても大事な、それ自体が情報だと思う。
10/16(火)
「日韓中テレビ制作者フォーラム」レポート作成。
10/17(水)
御殿場でゴルフ
10/18(木)
韓国から戻って腹具合が良くない。
10/19(金)
清川カントリーで「是空会」ゴルフ。
10/20(土)
週刊朝日連載企画第1回を巡って、橋下市長が朝日非難。記事を読んでいないが、分かる範囲でいえば朝日側がお粗末。なんで、こんな方法で橋下論をしようとしたのだろうか。佐野眞一は何を考えたのか、理解に苦しむ。結果として彼を利してしまい、橋下批判を削ぐことになってしまった。
10/22(月)
小石川高校コンペ。神奈川県中井。
10/23(火)
共同通信原氏と新橋で懇談。
少しは早目に着いたので、新橋駅前のビルの地下街をぶらぶら。新橋って、いまこんな何だ。かつて上に並んでいた居酒屋や小料理屋などが地下に同居。6時過ぎからサラリーマンが集まっている。サラリーマン文化は継承、健在だ。
10/24(水)
風邪だ。一昨日のゴルフの後の湯冷めか、それとも昨日遅くなったせいか。
10/25(木)
朝、近くの医院で風邪薬をもらう。
赤坂御苑に13時過ぎに到着。
妻は体調が良くなくて、本日病院の予定で欠席。
園遊会。なるほど、こういう雰囲気なんだ。自分の番号が1336番だから、1500人以上だろう。
一人なのでただぶらぶら。要所に宮内庁の係がいるので、ときどきシャッターを押してもらう。総務省関係者など知っている招待者にも出会う。案内図にテント(喫茶所)と書いてあるところには、ビール、酒、ウィスキー、カクテル、羊肉のジンギスカン、焼き鳥、スナック、など軽食。人が集まっているところから少し離れると、静かだ。都会のノイズが遠くに感じられる。時々吹奏楽や雅楽が演奏されている。
歩いているうちに陛下ご到着のアナウンス。お言葉をかけられる人がいるメインの場所から随分遠いところにいたので、そこに近づくのはやめて離れたところでお迎えすることにした。池を一周されるコース。両陛下をはじめご一家が通られるのを、ちょっとした感慨でお見送りした。隣は長岡京市長で、多分予定された会話ではないと思うが、一言二言お話をされていた。
(陛下のお通りになるのを待つ人々)
16時半頃退出。
10/26(金)
「TBS・6の会」コンペ。御殿場。
10/27(土)
妻の実家焼津で法事。
新幹線で日帰り。
10/28(日)
一日大人しくしていた。
風邪なのに連日いろいろあったが、何とか乗り切れた。
10/29(月)
午後、「放送人の会」事務局。
夜、六本木「豚組」。
久々に12時帰宅。
10/30(火)
夜、「融合サロン」 赤坂。
あやとりブログ「釜山と東京で考えた-『日韓中テレビ制作者フォーラム』補遺」。
10/31(水)
10月も今日で終わる。
この10日程で急速に冷えてきた。
□ 民放連研究所・編 「ネット・モバイル時代の放送」 刊行
前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸 隠。
コメント
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