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201211/5

11・5【ヲチと面白がる力】志村一隆

北京の反日デモを伝える記者のツイッター

ネットやテレビ、新聞の中国反日デモの情報を見ていて、なんかシックリ来ないなぁと思いながら、ツイッターで「北京」と検索したら、「こういうの知りたかった」という方のツイートがあがっていた。朝日新聞北京支局の方の個人アカウント
この方のタイムラインには、大使館前で撮影されたデモの様子、投げ込まれたペットボトルや、デモの様子がリアルに溢れていた。
ちょっと中国に行く用事が出来そうで、実際のところ行けるの?行けないの?という判断を下すのに、マスメディアの報道だけではなんだかモヤモヤしていたのだ。もちろん、大使館のホームページは。。。
ジャーナリズムも大使館も民間人の渡航判断の情報提供をしているわけでなく、国家外交や国際政治を高尚に行い、伝えているのだ、というならそれはそれでいいのでけれど、自己責任でリアルに行動しなければならない個人へ有益な情報提供されないメディアって、そもそもリアルな感覚を失っているのではないだろうか。社会はそうした個人の集合体なんだから。リアルは何処にあるのか?という問題だ。
自律的な国民の代理で行政を行うのが国家なのか、それとも国民は国家に隷属し、外交や領土問題を解決するのが政治なのか。

 

多層なメディア環境のいい利用法

いや、マスメディアは発表資料の伝達や、外交や国際問題を論じるべき役割で、そこに生活感覚も持ち込むのはお門違いなのかもしれない。それはそれで有益であり、楽しんで読む必要があるのだろう。
我々は、そうしたマスメディアの情報と、ツイッターのリアル画像(もうじき映像投稿も普通となろう)を複合的に読み取り、意思決定する複眼的な時代に生きている。これは、とても楽しいことだ。
ユーザー、国民、消費者、納税者、有権者、個人、なんでもよいが、検索とソーシャル、それにマスメディアがある社会は、より健全で自由な社会となるのかもしれない。

 

面白がる力

そうした多層な情報空間で、どう情報を取捨選択するか?その感覚を磨くのに、とてもいいヒントを貰ったのが、先日行われたウジトモコさん主宰の「デザインマ-ケティングカフェ」である。第1部は、ウジさんの実存マーケティング、第2部が、あやぶろ編集長氏家さんの講演だった。
講演で氏家さんが強調したのが、「面白がる力」だ。
「周囲があいつ大丈夫か?」という異動も、仕事を「面白がる力」が発揮されると、最初興味が無かった仕事も、面白くなるという。
自分流に「面白がる力」を解釈すれば、それは「第3者的視点を持つこと」となろうか。とかく、世間では思いもよらぬ嫌な思いをすることがある。そのときに、「何だ!この野郎」ではなく、「なんなんだ、この人は?なんでこんなことすんの?」と一歩引いて考えると、あまり腹が立たなくなる。というより、あとでネタになる。
とりあえず、引いて観察すると世の中(職場にも!)面白いネタな人がたくさん転がっている。
つまり、「面白がる力」は、「なぜ?」と考える「観察力」であり、事象を自分流に咀嚼するとても高度な思考回路である。

 

「ヲチ」と「表現」

そういえば、先日伺った河尻さんとやまもといちろうさんトークのタイトルが、「ヲチ」だった。ヲチ=Watch=観察である。
「ヲチ」をして、次の行動は2つある。中国行くか決めるという行動、もうひとつは表現する人もいる。
前者のように文章を書かず行動する人は、それで問題ない。問題は「ヲチ」のあと、表現する人たちだ。メディアはまさにこの領域にいるのだ。
「ヲチ」の結果をただ書けば「伝達」だし、自分なりの咀嚼があれば「表現」となろう。しかし、「表現」ぽいが実は「伝達」であった、というのが一番困るのだ。それは、意識してなくでも、普段の環境で育まれ自らの視点に入り込むだろう。
境さんが、「少し冷静に国家を見れる」と書いたが、そうした観察力が育まれるのがこの多層な空間である。マスメディアが本来「ヲチ」をし「表現」してくれれば問題ないのだが、それは無理なのか、そうした役割ではないのかもしれず、そうすればソーシャル空間の情報を持ち込み、観察すればいいのだ。
メディアは変わるのか、固定したものなのか?どちらの視点によるかで、この議論は大きく変わりそうだ。

 

最近の「ヲチ」日記

マニュアル系

先日、「笑っていいとも」を見てたら、SMAPの中居クンが警備員にスタッフ証を見せろと言われ、自分の楽屋に入れなかったという話をしていた。中居クンはスタッフ証を持っていなかったのだ。「その人、SMAPだろ!」と別なスタッフが注意してくれて入れたという。

 

テンパリ系

お昼前、回転寿司屋に行った。まだ空いている。名前を書くボードの前にオバサンが立っている。ちょうど、自分たちの前に来たお客さんを案内しているのだが、自分たちには目もくれずどこかへ行ってしまった。戻ってくると「えぇと、お名前は書かれました?」と言う。空いているんだし、そのまま案内してくれればいいと思う。

 

効率系

開業時から通っていたイタリアン・レストラン。あるとき、「予約3名でお願いします」と電話した。そうしたら、「3名はちょっと。2名か4名にお願いできないですか?」と言う。4名のテーブルに3名だけで座れると、その分売上が落ちるためらしい。

 

デキルと思ってる系

あるマネージャーが、新人に仕事の説明をしていた。「立て板に水」とはこのこと。まったく澱みない。ノートを取りながら聞いている新人は明らかにアップアップで、最後は字になっていなかった。マネージャーは、伝えることより澱みなく話す自分に酔っていた。

 

空気読めない系

会議で、人が話すときはケータイかタブレット(ケータイよりタブレットをイジるほうが仕事をしているように見える)を見ているのだが、自分の番になると延々と話をする人がいる。こういう人は、自分からは手を上げないが、指名されると延々と話す。さきほどのマネージャーと同じく、会話のキャッチボールではなく、単なる独り言だ。

 

会社の都合系

レンタカーを借りに行った。すると店員が「いつも電話で予約する感じですか?」と言う。「はい」と言うと、「ネットとかどうすか?」と切り込まれる。「電話はダメなの?」と聞き返すと、「時代の流れすかね。ネットのほうがいいんで」と言われた。業務効率化なのだろうか。

 

志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取 締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka

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