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20128/7

8・7【スマホのスクリーンをメディアとする時間と空間】志村一隆

 

チェックインは2年前の議論

「テレビは今までの『時間』感覚を、その総体や編成で表現するのではなく、作品ごとに埋め込まなければ、我々に伝わらない。」

前回ポストで書いたこの言葉の説明から始めよう。

これは、最新のモバイルテクノロジーを念頭に置いてイメージしたものだ。スマホの機能は、位置情報(空間)と時間を共に送り手(もちろん受け手も)で制御できる。そこに、決済機能も付け加えると、リアルな消費行動にネットサービスを絡ませられる。
たとえば、コンビニでジュースをおさいふケータイで買った瞬間に、ガムのクーポンが表示される。決済と位置情報、そして購買活動をミックスさせたサービスだ。
今までは、インターネットにユーザーがアクセスしなければ、ネットサービスは完結できなかった。ユーザーの位置情報と購買活動は、自ら「チェックイン」してもらわなければ、データを集められなかった。
ところが、スマホで決済までできるとなると、買い物(=日常の生活)をするだけで、ネットにその痕跡が残る。
スマホの普及が、今までのパソコン+固定回線インターネットと違うのは、ネットにアクセスさせることなく、消費・生活行動にネットサービスが入り込む点だ。
スマホ+モバイルブロードバンドの普及により、我々はまた2000年代から非連続な未来へ突入したと考えるべきであろう。

 

「夜7時」に放送ではなく「日没」に合わせ作品を配信


それをテレビ(及び作品)に応用すると、こんなことが考えられる。
たとえば、夕暮れ時のシーンが特徴的な作品を制作、それをアプリとして配信する。
そして、制作者が視聴者にその作品をリアルに日没時の美しい夕焼けと一緒に見て欲しいと考えたとする。それを実現するには、各地の日没の時間の5分前に、「いま新しいエピソードを配信したのでアプリを起動して」というプッシュ通知を送ればよい。
各地の日没の時間を調べ、札幌時計台から500メートル以内、ハチ公から300メートル以内、大阪、広島、福岡、沖縄と、各スポットから範囲を指定し、そこにいる人だけに作品を配信する。
配信された人は、ポケットからスマホを出し、夕焼けを見ながら、その作品を楽しむことになる。
全国一律に夜7時から放送という仕組みでは、北海道ではもう日没後で暗いのに、九州ではまだ明るい。
「夜7時」ではなく「日没」に合わせたコンテンツ配信が、スマホ+モバイルブロードバンドでは可能である。

 

視聴促進ではなく作品自体のアプリ

放送は主役で、スマホをセカンドという、放送に「チェックイン」するサービスは、「スマホ1.0」の考え方であろう。
2010年代の「スマホ2.0」では、リアルな空間と時間のなかに、映像メディア体験を配信することになる。テレビ(受像機)との関係性を離れた、スマホがファーストスクリーンになるイノベーションが起きるだろう。
前川センパイにこう指摘&問いかけて頂いた。

「「作品ごとに埋め込まれる時間性」つまり表現論としての時間性と、メディアとしてのテレビが社会的に機能してきた時間性は、<中略>代替されることはない。」

「ソーシャルメディアの時間性は、ネット上を流れるコンテンツの時間性と同一のものとして示されるのだろうか、そうだとするとソーシャルメディアの時間性とは何であろうか?」

まず、固定インターネットとモバイルブロードバンド時代のソーシャルメディアは、違うものと考えてみる。
「手元にスマホがある」おかげで、メディアは、筐体のなかにあるのではなく、リアルな生活に溶け込む。
「時間の多層性」は、ユーザーの「暦」を刻むテレビへの反発から生まれたものだろう。テレビではできないこと、好きな時間に好きなモノを見るオンデマンド文化と、それを可能にしたプラットフォーム(ソーシャルメディア)がインターネットに成立した。
しかし、前述した日没に合わせたコンテンツ配信のようなサービスは、スマホ2.0時代に、オンデマンドではない新たな「メディア」の成立を示してはいないだろうか。
つまり、スマホ上では、「暦」のような一律な時間ではないが、受け手の自由でもない、表現者(メディア)が時間を刻めるのだ。
それが、モバイル時代のソーシャルメディア(と呼ぶかどうかはわからない)に成立する時間性であろう。

 

スマホに成立するメディアには、「時間」と「空間」のモノサシが必要

プラットフォームが受け手主体のオンデマンド(多層な時間)を体現したモデルであり、メディアは送り手の主体的な時間管理で成立するものとすれば、スマホにはまだ時間性は成立していないと言える。
さらに、スマホのスクリーンをメディア化するには、「時間」に加えて、「空間」の把握(管理)が重要となろう。
「時間」+「空間」で成立するメディアは、配信される情報がよりリアルに近づくことになる。時間は、「暦」でなく生活リズムに近づき、空間はリアルに居る場所だ。
こうして考えると、YouTubeをスマホに配信しても、スマホ時代の新たなメディアにはならない。。。

とここまで書いていたら、既にセンパイから次のあやとりが掲載されている。そして、まさに、今回書いたことを予言されてしまった。

これまでの志村メディア論から推測すれば、「(ソーシャルの登場により)テレビが持っていたメディアとしての時間性が相対化されるのは避けがたいのだから、その時間性の特性をコンテンツ(番組・作品)として提示して多様なデバイスに対応するべきだ」ということなのだろう。

冒頭で述べた作品としてのアプリ配信は、このセンパイの指摘通りのことを書いたものだが、少し進化させた(と思っている)のは、手元にスクリーンが在ることで、メディアの時間性は発揮できる。という点だ。
ならば、テレビ局は、スマホのスクリーンをメディア化するのに今までのノウハウ(時間性)を使えるのではないか。
それには、多様なデバイスに対応するだけでなく、ユーザーの時間と空間に合わせた情報・作品配信をすることが必要だ。
2010年代に成立するスマホ時代の映像(だけでない?)メディアは、時間+空間を管理し、ユーザーに支持される企業が運営することになろう。
そのときのメディアは、「暦」を刻む放送、時間と空間を管理するスマホメディア、ユーザーのオンデマンド性を許容するプラットフォーム(または、ソーシャルメディア)の3つが並立するのではないか。

 

志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取 締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka

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