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20125/17

5・17【テレビ三角論】 志村一隆 

 

 

「状況」「情報」「個人行為」が頂点となる三角形

月刊民放5月号で、前川センパイがこう書いている。「3.11後の情報空間は「状況」「情報」「個人行為」の同時進行であり、テレビはこうした関係性から逃れることはできない」そして、「“情報空間の時間性”が世界規模で多層的に機能して」おり、テレビもそこに組み込まれている。と。(センパイ論文で引用された2011年3月の各「あやぶろ」ポストは下記アーカイブから読める。2011年3月アーカイブ①アーカイブ②)では、テレビはどのように組み込まれ、如何にその存在を保てるのか?
まず、情報空間を図式化するとどうなるのだろうか。センパイが挙げた「状況」「情報」「個人行為」が頂点となる三角形で考えてみよう。その三角形の各辺にテレビ、ソーシャルメディア、電話・メールを置いてみる。テレビは「状況」と「情報」を組み合わせた領域に位置させる。そして各辺の長さは、各メディアの情報量に比例する。たとえば、ソーシャルメディアのパワーが増すと、その辺が長くなりいびつな三角形になる。仮に、各メディアの均衡が取れた形、すなわち正三角形が、幸せな社会であると想定してみたい。

 

 

「状況」と「情報」を編集する自律的能力

3.11後は、「状況」と「個人行為」の領域の情報量が増えた。デマにダマされたくないために、情報ソースを求める声でタイムラインが埋まってしまった。あのとき、テレビが「状況」と「情報」を自律的に編集、発信すれば三角形は機能したであろう。しかし、テレビは、自分の情報発信について自信を失っているかのようにみえた。それは、震災、原発の「状況」だけでなく、ソーシャルメディアの成立が大きかったように思う。その結果我々はセカンドオピニオンを入手する手段を獲得した。
それは、「状況」と「情報」に「個人行為」を取り込めたことで情報が空間として成立したことを意味しよう。その空間でテレビが「状況」をそのまま「情報」として流せば、権力のプロパガンダになってしまう。いっぽう、あまりにも独善的な内容であれば、情報空間に埋没してしまうだろう。やはりポスト3.11の情報空間は、異質になったのだ。相対化されたテレビは当初自分の立ち位置を迷っていたのだろう。(こうしたテレビ相対化時代の立ち位置について氏家さんが『遅ればせながら「ニコニコ超会議に行って来た」を書いてみた』で書いている)

 

複雑化する情報空間で『展示』はまだ生きているのか

こんなことを考えているうち、ゴールデン・ウィーク中に読んだ松宮秀治氏の「芸術崇拝の思想- 政教分離とヨーロッパの新しい神」を思い出した。この本に、『展示』とは何か?という問いかけが出てくる。
本の中身を乱暴にまとめると「『展示』とは権力だけに許される行為である。江戸時代の高札やミュージアムや万博などを考えればわかる通り、誰もが『展示』をできるわけではない。そして、『展示』の目的は、緩やかな繋がりを持つ「公衆」を育てることである」となる。
では、テレビも『展示』をしているのだろうか。テレビと高札のポジションは少し違う。それは、テレビのほうがより進歩したテクノロジーだからではなく、テレビには権力と同時にテレビの「中の人」の視点も入っているからである。そして、ポスト3.11の情報空間ではさらに「個人行為」の視点も意識せざるを得ない。そんな複雑な作業を、いったい誰ができるというのだろうか。

 

視点の『提示』と空間を埋めるコンテンツ

そんな迷いのなかで、登場するのが過剰な「個人行為」の取り込みである。もし、テレビが「個人行為」と「情報」の領域にすり寄れば、三角形は消滅し「個人行為」を基点に「情報」と「状況」に伸びる2つの直線になってしまう。
その結果、我々は情報空間を失い窒息する。「ソーシャル疲れ」な状態だ。
「個人行為」と「状況」領域は「リアルタイム性」を持ちたがる。電話はリアルタイムであるし、つぶやきやチェックインもリアル性重視だ。しかし、リアル・コミュニケーションは疲れる。息抜きが必要なのである。
その息抜きには、「リアルタイム」では得られないモノが求められる。権力が『展示』するものは、歴史であり手間暇をかけた工芸品である。万博やミュージアムはテレビが無い時代の官製エンターテイメントだ。
そして『展示』が権力の領域にあるものならば、テレビが果たす役割は『提示』とでも呼べるだろうか。複雑な情報の「空間」を形成するには、自らの思考から生まれる視点を『提示』し続けるほか手段がない。そして、それこそが空間を埋めるコンテンツと呼ばれるものである。『展示』に寄りかかるキュレーションやシェア、そして『状況』への脊髄反射はソーシャルに任せ、テレビは自らの価値を自分たちで作り出すしかない。

 

志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取 締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka

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