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201211/3

11・3【せんぱい日記 <日韓中テレビ制作者フォーラム>のこと、園遊会ご招待のこと、など】①  前川英樹

 

 

今月は、ひどく忙しかった。日記はまめに更新しようと思っていたのだが、今回は一月分まとめてアップすることになってしまった。

 

10/1(月)

宮内庁長官名で秋の園遊会のご招待状が届いた。
数日前に、総務省から「お送りして宜しいですか」という事前の通知があった。
ちょっとビックリだが、地デジ等放送行政への寄与だという。放送業界のことは考えたが、放送行政のことを考えて仕事をしたわけではない。むしろ、行政方針への疑問・批判を多く語って来た。とはいえ、「地デジ不可避宣言」を書いたことなどは、確かに自分の仕事だった。評価は、自分でするわけではない。そういう評価があるのなら、それはありがたいことだ。行ってみよう。
放送関係では、今年はテレビ・キー局、ローカル局、そして東京のラジオ局の社長経験者を招待とのこと。

10/2(火)
夜、赤坂「伊兵衛」
良い店だ。

10/3(水)
11月に山田風太郎記念館の「風太郎祭」で、1982年制作・演出の山田風太郎原作のドラマを上映し解説することになった。そのためのDVD製作をTBSメディアライツに依頼していたが、記念館との文書交換も終わって、昨日DVD受け取り。今日、午前中に自宅で再生したけど、下手な演出だ。恥ずかしい。11/10,11と記念館に行く。兵庫県の八鹿、初めての場所は楽しみだ。近くに「夢千代日記」の湯村温泉。播但線というローカル線にも乗ってみたい。
夜、麹町で総務省関係者とプライベートな会合。もちろん割り勘。

10/4(木)
吉祥寺で体のメンテナンスの後、イタめしランチ。
FBで金平君がつげ義春作品集に触れて「これは古典だ」とコメントしていた。書架の奥の方に仕舞ってあった「ガロ」を引っ張り出してみた。白土三平はもちろん、滝田ゆう、水木しげる、林静一、永島慎二、など懐かしい名前がいっぱい。

そこに挟まれていた蜷川幸雄の「マンガ名作講義」という朝日新聞(1996.6.22)の記事の切り抜きを発見した。「後退戦を語らず語る挽歌」という見出しが懐かしさとともに刺さってくる。後退戦の後、闘いそのものが見えなくなった。そして21世紀がやって来た。
いま闘いが必要な時代だと思うが、誰が誰とどう戦うのか、人は戦い方を棄ててしまったようだ。

 

10/5(金)
一日休養。

10/6(土)
親戚親族の集まり「日本橋・前川会」。霞山会館。26人出席。例年より少し少ない。
井伊藩の下士だった祖父斧次が、彦根から東京に出てきていた近江商人二代目前川太郎兵衛の養子になるいきさつを調べてきた者がいて、なかなか面白かった。祖父は旧姓池田。維新で困窮した下士の斧次は、縁あって横浜で奉公するうちに前川太郎兵衛に認められたという。池田の家は伊賀者だったという。フム、忍びのDNAがどこかにあるのかな。
前川の家は、三代目の代で敗戦に遭遇し完全に没落解体。戦前の多少の良い思いも、ぼくの代では年長者の昔話としてだけ聞かされた。そういう意味でも、ストーリーのある家というのは確かに何かがある。「楡家の人々」(北杜夫)、「ブッテンブローク一家」(ト―マス・マン)など、一族の話に魅かれるのはそのせいかもしれない。
そういうことも含めて、自分の出自、早い時期からの親の不在のことなど、書いておきたい気持ちがある。“やることがまだある”と思っていられるのは良いことだろう。

 

10/9(火)
TBSの「放送と人権・特別委員会」で縁があった田中早苗弁護士の事務所に行く。私事の相談。
夕方、テレビマンユニオンで今野氏と「放送人の会」の来期以後の体制について意見交換。

10/10(水)
明日からの「日韓中テレビ制作者フォーラム」(韓国・釜山)の準備。

10/11(木)

早朝、新百合ヶ丘5:30発成田行きバス。
2時間かからずに着いてしまって、10時の便なのに7時半前にJAJのカウンターで手続き終了。
手持ちの現金が不足しそうなのでATMを使いたいのだが閉っていて、8時までスタバ。
そのうち同行の「放送人の会」のメンバーも集結。
定刻発。
釜山着後、主催者が用意したバスでホテルに入る。途中昼食に立寄ったが、機内食も出たので軽めにしたが、チゲが美味しかったので、軽めとはいえつい食べることになってしまった。
ホテル(Suites Hotel)は、研修センターの機能を備えたリゾート・エリアにある綺麗な施設だ。ゴルフ場に隣接している。部屋にもよるが、オンドルの入った床式でそこに布団が敷いてある。不思議な感じだ。中国チームは徒歩5分くらいのヒュンダイ・ホテル。Suites Hotelの収容人員に限界(相部屋が基本)があったということもあるのだろうが、中国と日本の宿泊を分けたのはホスト国の韓国の配慮か?
18:00.から開会式。慶州市長だけでなく、随所で「慶州は歴史の街だ」ということをアピールしていた。
その後夕食会。一日4食になってしまった。

以下、10/14までの「日韓中テレビ制作者フォーラム」レポートは、「放送人の会」ホームページ“放送人ブログ”に書いた。是非ご一読いただきたい。
http://hosojin.com/a-blog/special/entry-129.html

 「放送人の会」レポートから再掲

[私の総括 Ⅰ]
東アジア状況が混沌としているタイミングでの開催でどうなるのか、と多少の緊張感もあったが、どうなるにせよ“この時期”だからこそ参加してみようと思って出かけた。で、行ってみて良かった。
主催者(韓国PD連合)は相当ナーバスだっただろう。大会運営は、ディテールはともかく基本はしっかりしたものだった。多謝。日本スタッフのホテルの一室を恒例?の「我々のバー」にしていたのだが、そこにも韓国スタッフはやって来て親交を深めた。中国チームにはバーはあったのだろうか?そして韓国のスタッフは懇親に訪れたのだろうか?中国のメンバーと会話する機会はほとんどなかった。それも韓国の気配りだったのかどうかは分からない。フォーラムとは議論、会話の場であり、接点の構築に意味を見出す場である。このような時期だからこそ、フォーラムに参加した人々が、フォーラムの外で会話することが必要だ。最終日に、「日本には経験と知恵がある。中国には発展する力がある。韓国には橋を架ける役目がある。それを果たしたい。」というのは、主催者の微妙な立場を象徴した言葉だろう。そして、同時に「韓国は『強制併合』の「被害者」の立場だというのが国民の理解」ということを、壇上で発言していたことも明記しておきたい。
これに対して、日本側総括で河野尚之氏が「韓国、中国からさらに鋭い問題を出して頂きたい。我々はきちんとそれに答えたい。」としつかり受け止めていたこともとても良かった。私としては、この一言が日本から発せられたことだけでも、この大会の意味はあったと思っている。

 

[私の総括 Ⅱ]

「文化を政治の風下に立たせてはならない」という認識は、日本の戦後の一つの成果である。60年代の思想的テーマはそれだった。文化の自立は人間の自由に通じる。それは、「放送は文化だ」ということで放送を他の情報通信と差別化し、放送の特殊性論によって規制を肯定する立場と対極の論理である。
日韓中の放送フォーラムを継続することで、<政治を対象化する>ことも文化の一つであることを私たちは<行為としての文化>として示すべきだろう。それが政治と無縁ではありえないとしても、である。そうした行為は、どの国であれ、ある歴史的状況においてはとても困難な課題であろうが、しかしやはり「放送人」である私たちが選択すべき、且つ選択可能な方法なのである。何故ならば、政治より文化の方が人間にとって深い意味を持つからだ、私はそう思う。

 

10/14(日)
14:00.釜山発。
15:30頃成田着。
16:40.新百合ヶ丘行バス
渋滞のため、20時帰宅。

ちょっと疲れた。

 

釜山の夕景

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