あやぶろ/OLD

テレビの中の人による唯一のテレビ論、メディア論ブログ

© あやぶろ/OLD All rights reserved.

201210/9

10・9【大炎上生TVの可能性】志村一隆

 

 

大炎上生TVの試み

炎上でテレビと視聴者の距離感は縮まるのだろうか。

氏家さんの10/1ポスト「大炎上TVと志村さんへの反論」から。

『ソーシャルメディアの素のままのコミュニケーションの面白さを体験してしまうと、テレビの完成度の高さが嘘っぽく感じられてしまう。』

氏家さんが指摘した「嘘っぽさ」を、番組に出演されていた西野翔さんはこう表現した。

『テレビって押しつけが多いと思うんですよ。ニーズに反した人が意外にいっぱい出てたりとか。ニーズがあるような気がするんだけど、なかなかその人が出てなかったりとか。そういうことに視聴者の方も気付いているんじゃないか』

そんな視聴者に、大炎上生TVはテレビ画面を解放してしまった。
「ほれ、あんた達の意見をそのまま反映してるぜ。文句ないだろう」と言ったのだ。
この潔いケツまくりで、困ったのは視聴者でないか。視聴者の反応そのままに進行する番組に、誰も文句は言えまい。
大炎上生TVが見せてくれたこの展開は、たとえば、政治に文句を言う人に対し「あんた主権者だし、投票してるだろ」と言っている状況を思い出させた。言われた側は、「うーむ。確かに国民主権なんだけど、1票だけだし。自分の考えがどれだけ反映されるかわからない」的なモヤモヤ感があるだろう。
大炎上生TVは、そんな民主主義の閉塞感、ポピュリズムといった現状を晒していた。

「バスキュール+テレビ」 – 民主主義、ポピュリズムの永続運動 -

番組のソーシャル連動を担当したバスキュール社の朴正義さんのツイート(9/29)から。

『ボクの価値観のなかでは、これこそが今チャレンジする価値あるメディアアートだと思っているのですが(今はまだ儲からないという意味も含めて)、テレビがあまりに一般的すぎて、メディア側の人もクリエイティブ側の人も気づいている人が少ないよね。だから僕らにもチャンスがあるわけなのですが。』

大炎上生TVを裏側の仕組みから見れば、それは「民主主義、あるいはポピュリズムの永続運動」とでも名付けられるインスタレーション作品とも言える。
今回は、テレビが質問し視聴者が答えるという展開だったが、もし集計結果によって自動で質問が出題される仕掛けを導入すれば、我々はテレビ画面に映る質問とその集計結果を延々に見続けることになる。
とにかく、質問の集計結果は、我々自身の意見なのだから、誰も文句は言えまい。いや、主導権があるという建前が多数に分散されるために我々が感じるモヤモヤ感、「革命興すにも誰と戦えばいいのか?主権者は自分なのに」的な気持ちを表現するアートとして成立している。
もちろん、誰かが一番最初の質問をしなければならないし、テレビだけが持つ巨大な動員力が注入されることで、この仕組みの永続期間が長くなる。
ついでに言えば、そのシナリオは、境さんが言う<鎖の発生>の研究に役立つだろう。
投げかけられた質問の回答を見ながら、「あぁ、こっちが多数派なんだな」と思った次の瞬間、「いや私は違うと思う」と考えられる人がどれくらいいるのか?どんどん同調圧力が増すのではないか。(この辺は、稲井さんの「テレビ×ソーシャルの互恵関係」が参考になる)
アートはパトロンを失ってから、自分の存在価値を規定し続けなければならなくなった。国民も人間に戻り、メディアも国家から解き放たれる遠心力が働いている。各々が分散し漂流するときに、我々は自律的に行動する必要性があるのではないか?そんなことを「バスキュール+テレビ」の作品「大炎上生TV」は問うている。

 

ジャンルとしての「ソーシャルテレビ」

テクノロジ-的なソ-シャルテレビを一歩進めた「大炎上生TV」は、
日本的進化の一つと言えよう。

ソーシャルメディアの発展の裏には、ソーシャルゲームの勃興があった。そして、いまソーシャルテレビという言葉もある。今まではソーシャルテレビ議論には、テクノロジー的な事例が多かった。それが、この「大炎上生TV」の出現で、コンテンツジャンルとしての「ソーシャルテレビ」が確立されたと言えるのではないか。
大炎上生TVが単発で終わらないためにも、「バラエティ」「リアリティショウ」的な括り方のネーミングが必要ではないか。
そして、このジャンルは、リビングのテレビスクリーン云々議論から離れ、スマホが開拓する新たな領域に成立するジャンルと強調したほうがよいと思うが、どうだろうか。
というのも、NOTTVが利用する技術規格を使えば、画面にオーバーレイして「YES-NO」ボタンなどを表示することが可能である。これから、タブレットやスマホでテレビを見ることが増えるのであれば、こうした技術を使い、コミュニケーションを取り込んだ番組が新たなジャンルとして成立するだろう。
ついでにNOTTVに、「ソーシャル@トーク#エンダン」という番組がある。(月-金曜23時から。ユーストリーム中継アリ。結構見てます。)大炎上生TVを見ながら、このエンダンを思い出していた。ドランクドラゴンの鈴木さんが視聴者ツイートにキレるという回は、なんだかその原型のようだった。
とにかく、大炎上生TVのポジショニングとして今までのテレビの良さを強化する考えから離れ、新たな地平線を開拓するほうが面白くはないだろうか。そのほうが既存勢力からの軋轢も少ないし。

 

北海道テレビとNTT コミュニケーションズの試み

 ツイ-トの更新が番組を常に新鮮に保つ。一つの方向性。

ついでのついでだが、地デジのデータ放送規格を使った面白いサービスもある。北海道テレビ(HTB)の「地デジとSNSの連携サービス」は、リアルタイム視聴者のツイートが、データ放送上の画面に表示される。
大炎上生TVは映像のなかにツイートを表現した混在感が魅力だったが、HTBのサービス(名前がまだ無いみたい。。。)は、映像コンテンツとツイートは別モノとして表現される。
HTB型SNS連携の特徴は、番組再放送時でも画面に表示されるツイートがリアルタイム視聴者からのものなので、「映像+データ」を一つの表現として考えれば、常に新鮮な番組となる点にある。

 

大炎上生ビジネス

阿部さんのフェイスブックコメントから。

『この番組って、CMは普通だったように感じます。番組が新しいテレビを模索しながら、CMは従来通りでよかったのかな。作り手は番組本体の部分だけを作るのかもしれませんが、視聴者は、特にこのような生で見ることに意味がある企画では、番組本体とCMの両方を含んだ時間を体験するのではないでしょうか。』

阿部さんの指摘の鋭さは大炎上生TVを「生で見ることに意味がある」と見抜いている点だろう。
バッキー山脇さんの命題も「リアルタイム視聴の拡大」にあったと思う。いっそのこと第2弾は、年末に昔の「紅白をぶっ飛ばせ」的な企画でお願いします。
それでも「大炎上生TV」を「テレビはやっぱり生だぜぇ的発想」=「リアルタイムのテレビCM収益」だけに終わらすのは勿体ないと思う。テレビの新たな可能性を示すのであれば、ビジネス的にも新たな取組をしてはどうだろうか。
たとえば、自分のツイートを大きく(あるいは早く)表示させるために、お金を払ってもらうとか。
あるいは、大炎上生TVのシステムを販売するとか。前述の北海道テレビの仕組みは、番組とツイート表示システムをセットで番組販売するという。
バスキュールが作った仕組みは、誰の所有物なのだろうか。「ソーシャルメディアで集めた大量のテキスト情報をリアルタイムに映像表現に変換する仕組み」的な感じで特許は取れないのだろうか。
マス広告みたいに大して儲からないかもしれないが、テレビの可能性をソーシャルメディア環境に求めるならば、イイトコロ取りだけでない覚悟やビジネス感覚が必要だ。

 

テレビの中の人の「調停」

再び、10/1の氏家さんのポストから。

『マスメディアとソーシャルメディアをうまく組み合わせるのは思ったより大変だということがわかったこともこの番組の一つの大きな成果。』

テレビが情報の起点で在り続けることが「大炎上生TV」の大前提ならば、テレビは無数の情報を「調停」する役割を引き受ける覚悟が必要であろう。(「調停」は河尻さんの言葉。コチラを参照。志村あやとりポストも一応)
しかし、テレビ画面を視聴者に開放した潔さを極めれば、テレビは情報の発信者から無数のツイートに囲い込まれた受信者にしてしまう。そのとき、テレビは単なる器になるのか。「バスキュール+テレビ」という作品の表現は、表層にあるのでなく意志の流れ、またはその器(仕掛け)にある。
そして、こうした仕組みは参加者が増えるほど、「自分の意見が反映されない」というモヤモヤ感も増す。器の胴元であるテレビ仕掛人は、参加者が多いことを以て成功とするかもしれないが、参加者は意志が反映されなければつまらない。各自が平等の権利を持ち、少人数コミュニティで行われるのか、多人数のコミュニティのなかで、ゲーム的要素を入れて平等とは違う均衡点を見つけるのか、運営ルール(調停?)に工夫が要るだろう。
ラジオやNOTTVのエンダンが心地良いのは、各々の番組が抱えるコミュニティが小規模だからだ。自分のリクエストが読まれる確率が高いので、コミュニケーションが成立する。
こうしたメディアの最適規模感は、今後分散化していくであろう世間を象徴している。
そんななか、大炎上生TVは、あくまでもマスを起点にする意気込みが興味深い。大炎上生TVが参加者(視聴者)に対し、どれだけロイヤリティを高められるのかが今後の番組のカギを握るだろうし、それは民主主義のリーダーシップに置ける研究対象にもなり得るだろう。そして、もちろんテレビへの信頼性回復という命題にも繋がっている。

*ちなみに、この辺は、改めて前川センパイの21世紀的テレビ論のために- テレビは死んだか?を読むと面白い。
*また、多勢に無勢なことを論じたコラム、小林啓倫氏のシロクマ日報「#炎上TVと「参加」の限界」も紹介しておきます。

 

志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取 締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka

 [amazon_image id=”4022733489″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]明日のテレビ チャンネルが消える日 (朝日新書)[/amazon_image][amazon_image id=”4492761934″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]ネットテレビの衝撃 ―20XX年のコンテンツビジネス[/amazon_image]

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点⑤

停滞する民主主義が進化する途 ワールドカップの中継番組の瞬間最大視聴率が50.8%だったそうです。このニュースを見…

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点④

ストレンジなリアリティー:ガンダムUC ep7を見て考えたこと 『機動戦士ガンダム』は30年以上前に、フォーマット…

20146/17

情報“系”の中のテレビジョン

6月は、いろんなことがある。 会社社会では6月は大半の会社の株主総会の季節だから、4月の年度初め、12月の年末とともに一つの区切りの季節だ…

20146/16

テレビというコミュニティ。あやブロというコミュニティ。

あやとりブログに文章を書くようになってかれこれ二年以上経ちました。2011年に出した『テレビは生き残れるのか』を読んでくださった氏家編集長か…

20146/13

ワンセグ全番組タイムシフト視聴は視聴率を下げるのか検証してみた〜ガラポンTV視聴ログより

リアルタイムの放送をテレビで視聴する人が増えることは良いことです。 言うまでもなくこれは「視聴率が上がる」ことを意味します。 &nb…

ページ上部へ戻る