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20124/16

4・16【私たちは、いつか再び<街>に出ることがあるのだろうか?・・・ということを、メディアは考えているだろうか?】前川英樹

 

しばらく「あやブロ」をお休みしていた。久しぶりに忙しかった。スキーじゃないよ。3月31日に、延期されていた東北三県のアナログ放送終了が実施され、地デジ移行完了になったので、月刊「民放」から地デジ総括について書くようにという依頼があった。政策としての地デジに出会ったのが、1995年。それから、10有余年相当深くかかわって来た。書かないわけにはいかない。書けばきりがなくなりそうで、それにそれなりの裏付けも必要だ。というのが、忙しかった事情である。5月号なので折りあらば御一読いただきたい。
そんなわけで、メディア・ビジネス論をベースにした「あやブロ」の盛り上がりに乗りそこなった。今更それを後追いするのも面倒なので、全く違うことをノートしておこう。メディア論ともいえないので、ちょっとへんな?ものになる。誰かがあやを取ってくれるとも思えないが、個人的な思い入れを書いておいても良いだろう。乞う、ご容赦。

「パリ五月革命私論―転換点としての68年―」(平凡社新書)を読んだ。帯に、「もうたくさんだ街に出よう」とある。面白かった。著者の西川長夫さんは、ぼくより一世代近く上の人だが、若々しい感性と自分が生きた時代への誠実さが失われていない。そこが素敵だ。西川さんには「国境の超え方―比較文化論序説―」(筑摩書房 1992年)という好著がある。

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西川さんは、1968年のパリにいて、「五月革命」を同時進行として体験している。その記録・記憶を掘り起こしつつ、68年が<68=世界同時叛乱/革命>⇒<89(90,91)=冷戦構造崩壊>⇒<2011=ジャスミン革命>という世界史(=近代)の転換の始点であることを、この著書で確認している。68年にはプラハの春があり、ワルシャワ条約機構軍=ソ連軍の侵攻もあった。叛乱・異議申し立ては社会主義圏でも同時的に起こっている。そこが大事だ。そして、もちろん日本も例外ではなかった。そのように同時代を生きた人が沢山いたし、それを背負っている人は今もいる。だから、TBS闘争の意味は大きい。そう、<あのとき>ぼくたちは世界史を共有していたのだった。
西川さんは、1968年を生きた知識人たち、バルト、アルチュセール、ルフェーブルを通して、時代における<知>あり方も考察している。では、1968年に向き合って知のあり方を問い直した日本の知識人は誰だろう。そう思った時、西欧の知の輸入という明治以来の日本の知的作業の根本的危うさに思いが至る。では、別の道があったかと言えば、その時はなかっただろうが、今はその問いが成立する(この辺は、「あやブロ」の志村-稲井のあや取りと地下水脈的につながるところだろう)。私たちの近代、私たちの知力、感性、行為、私たちの天皇制・・・だから、吉本隆明の仕事の意味がとらえ返されるべきなのだ。吉本の「転向論」を再読しよう。
その延長として「近代の超克」の現在的意味も、ネ、河尻さん!

西川さんは、最後に新植民地/国内植民地論で締めくくっている。この視点には、「世界は構造的に把握されなければならない」という意味で説得力がある。世界は常に何処かを、あるいは誰かを収奪することで成長してきたのだ。利潤は差異から生まれるといったのは、岩井克人だっただろうか。そして、差別は生れるのではなく、作り出されるものである。・・・で、いま日本の国内植民地状況はどこにあるかと言えば、直感的に思うのはオキナワとフクシマだ。そこに、日本の近代の歪=差別が集約されている。また、誰にその歪が投影されているかと言えば、それは例えば非正規労働者たちだろう。ふと、プレカリアートという言葉を思い出した。
<「不安定な」(: precarious、: precario)と「労働者階級」(: Proletariat、: proletariato)を組み合わせた語で、1990年代以後に急増した不安定な雇用労働状況における非正規雇用者および失業者の総体(Wikipedia)>。

2011年、北アフリカや中東、そしてロンドンやマドリッド、さらにはニューヨークで、市民も移民も街に出て異議申し立てをしていたのに、それなのに、この国の街は静かだった。それだけ、この国の人々がみんな幸せだ・・・ということではないだろう。それとも、この「優しさ」がこま国に住む人々の美徳というものなのだろうか。この国で“街に出よう”という状況は、もはや再び訪れることはないのか。そして、そのような私たちの“国”を、どれだけの深さで私たちは受け止めているのか。この<静かさ>について語る場は、いまテレビよりもソーシャルなのだろう。だが、それで良いはずはない。テレビの存在理由を、テレビ自身が放棄してはいないだろうか。21世紀の日本の<街の静かさ>について考えるという、メディアの存在理由を。

思えば、「あやブロ」の初めの頃、「表に出ろ」というリアルな行為や、その延長として「空腹と空虚」を巡るあや取りがあった。<リアル>とは何かを、いままた考えるべき時代に私たちはいる。何故と言って、<3.11>というウルトラリアルを私たちは経験したのだから。

 

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール

1964年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。
「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸隠。

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