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20124/11

4・11【照焼ハンバーガー、蒲焼、千と千尋、そしてボストン美術館】稲井英一郎

志村さんの文章は読ませます。論点が独創的で誘発されることが多い。拙稿「フラット化する世界とテレビの品格」への綾とりしていただきましたので「フラット化」という言葉について、ちょっと論を広げます。

はじめにグローバリゼーションがやって来た

「フラット化」という用語を広めたのは私の知る限り、NYタイムズの著名コラムニストでピューリッツア賞を3回も受賞したことがあり、国際問題で世界的に著名なトーマス・フリードマン氏(Mr. Thomas Friedman)です。

 Mr. Thomas Friedman(Wikipediaより)

彼はビル・クリントン大統領時代、ホワイトハウス担当記者のキャップをつとめ、民主党政権が推進する貿易と資本の自由化政策を支持するリベラル派のジャーナリストでした。
1999年刊行の「レクサスとオリーブの木」(The Lexus and the Olive Tree)では単純化していえば「アメリカ発のグローバリゼーション(世界を単一の市場・共同体にする動き)万歳!」という趣旨の本を書きました。
他方でイラク開戦時には開戦を支持してフランスを批判した愛国者の一面も持つ人物です。もっともアメリカのエリート層は、大体においてこのような行動パターンをとります。

彼の有名な仮説には「黄金のアーチ理論」というものがあり、それはつまり、ハンバーガーチェーンのマクドナルドが展開している国同士は中流階層が育っているため戦争を避けるはずだ、というものがあります。成る程という気もしますが、マックのロゴ「黄金のM型アーチ」を避戦主義かどうかの判定基準に使うあたり、いかにアメリカン・スタンダードを愛している人物かがわかります。

「レクサスとオリーブの木」は、北米におけるTOYOTAの代名詞ともなった車種「レクサス」のトヨタ工場を取材したあと、新幹線で寿司弁当を食べながらインスピレーションを得たとしています。そしてグローバリゼーションの象徴を「レクサス」とする一方、中東ヨルダン川岸に生える「オリーブの木」がその帰属をめぐって争う土地・文化・民族を象徴し、グローバリゼーションと対峙するものと位置づけました。
そして基本的には冷戦後の世界構造を規定するグローバリゼーションのもたらす恩恵を是としていて、その恩恵をアメリカ人が快適に享受するためにも「オリーブの木」と上手く付き合わないと、持続可能なものにはならない~というようなことを書いているわけです。

NYタイムズで厚遇されているフリードマン氏は、世界中のホットな現場を見て歩き折々のVIPにインタビューしていることから、一連の著作は旅行見聞記みたいな観があります。日本のサラリーマン記者出身者としては羨望を覚えますが、もちろん取材力もずば抜けており、独特の筆致によってアメリカ人の考える世界観を教えてくれる点でたいへん貴重な存在です。彼にとってグローバリゼーションとは、一つの文化が世界を支配統合して同質化をはかることであり、現代において「ビックマックからiMac、ミッキーマウスに至るアメリカニゼーション(アメリカ化)」なのです。

 そしてフラット化する世界がやって来た

彼はグローバリゼーションの諸相を取り上げたあと、2005年刊の「フラット化する世界」(The World Is Flat)ではその後のIT革命等により世界経済システムがフラット化していく様を説き起こし、2008年「グリーン革命」(Hot, Flat, and Crowded)ではフラット化が進んだ世界の地球環境やエネルギー問題に焦点をあてました。
その彼の目にもグローバリゼーション⇒フラット化していく世界の現実には、所得格差が拡がり中流階層が消滅していくと映っています。
そしてGoogleなどの出現で個人の働き方や企業のビジネスモデルが劇的に変わり、ネットを駆使する個人や新興国が大企業や主要国に匹敵するグローバルな競争力をもつようになったとして、激しい潮流に流されず生き残るため、アメリカ人に向けてキャリア形成や自己啓発を勧めています。

グローバリゼーション>ローカリゼーション

日本でも、1990年代から始まったグローバリゼーションの大波に飲み込まれたあとは、戦後のいわゆる一億総中流(または総サラリーマン)という界層が事実上消えました。
これを是とするかどうかは人によって答えが分かれるでしょう。しかし、個人にとっても企業にとっても厳しい時代になったことは疑いようもなく、これをチャンス到来と捉えてビジネス活用するというのが、志村さんの「作り手にとってフラット化された世界はチャンスだ」という現実の世界を所与としたポジティブさにつながるのだと思います。

「ローカルをもっと生かせば世界に出られる」というのも、フリードマンが述べる「グローカリゼーション」と合致します。この言葉はGlobalizationとLocalizationの複合語で、地域特性に応じて世界標準の修正土着化をはかることを指しますが、フラット化する側の目線にたてば、facebookの日本語版サイトやハンバーガーの照り焼きメニュー程度でもこれに該当することになります。

さて、ここで道が分かれるのかも知れませんが、すべての人がフラット化の恩恵を受けるわけではありません。「商慣習の違いなんて乗り越える個の強さ」がある人はむしろ少数で、多くの人は従来の「ビジネス文法」とフラット化した「ビジネス文法」の狭間で揺れ動き、時代の変化に適応できず取り残される人がむしろ多いのでしょう。

いや、だから彼らを救えというのではない。しかし、上記のような時代認識を持っていないと、ポジティブなキャリア形成の提言も、ややもすると強者の立場のみから見た世界観になりかねない。

 混在するチャンスと脅威

世界中が同じビジネス文法で同質化することは確かに新しい参入者にチャンスを与えますが、現実にGoogleが始めたビジネスモデルは、良くも悪くも従来型のビジネスを破壊する度合いが際立っています。

Googleのビジネスモデルを説明するときに使われる「フリーミアム」はWired誌の編集長「クリス・アンダースン」が広めた用語ですが、基本サービスやプロダクツを無料で市場に提供して、寡占シェアを握った後に高付加価値サービス・プロダクツをプレミアム価格で売るやり方を指します。サービス受容者にとっては確かに便利ですが、「フリー(無料化)」を推し進める間に多くの競合者、既存企業はその脅威を受けて、市場から撤退・廃業に追い込まれまるダイナミズムが起こっています。

場がフラットになったといっても、その効率を極限まで追及するその動学的過程をみていけば、競争市場から多様なるものが消えていき、結果の平等は失われ、少数の強者に収斂していく潮流は避けられません。小売では個人商店が次々に消え、金太郎飴のような大規模商業施設(ショッピングモール)が増えていくのはとても便利で安心な反面、都市ごと国ごとの多様性が失われる、面白くもない世界にもなりかねない部分です。アメリカの地方都市は一部の例外を除いて基本的にどこにいっても似たようなビル、似たようなモール、似たような料理ばかりですが、アメリカ外でもそれは見られるようになりました。

ここはアメリカ?~世界最大級のザ・ドバイ・モールのバーチャルツアー

 従来型メディアでは活字媒体がより苦境に追い込まれていますが、私は紙が大好きです。スマホとPCの画面の長時間使用は疲れる。紙は眼に優しく、自分で書き込め、アンダーラインが引け、飛ばし読みができ、一目で俯瞰できる良さがある。
電子書籍はフォントの拡大ができる上に動画との親和性が高く購入も容易などの機能が注目され、アメリカでの隆盛を見習って日本でも出版デジタル機構が設立されるなど、普及に向けた動きが出ていますが、極端な話、教科書がすべて紙からデジタル画面に置き換わった未来社会は、どれだけ成長期の児童の視力に影響を与えてしまうのでしょうか。

日本のマンガ文化が失われるという懸念も一部にでています。電子書籍が標準化されると、今の楽曲配信のようにマンガが作品ごとの単体売りとなってしまい、週刊誌・月刊誌の形式によるマンガ本発行が困難になる。そうするとインキュベーション機能の弱体化により新人を発掘育成する場が失われ、マンガ文化自体が衰亡の危機に晒されるという恐れ。杞憂であってほしいのですが、世界に輸出できる日本の最強コンテンツの源泉は戦後の日本が生み出した多様性を代表するものです。

 角を矯めて牛を殺す?

テレビも含めた今のメディアビジネスのあり方をすべて正当化するつもりなど毛頭ありませんが、角を矯めて牛を殺す、という結果になっては何にもなりません。フリードマンですら持続可能な変化を求めており、それには多大な労力が払われないと達成困難です。

NYマンハッタン60 West 56thにある「めんくいてぇ」は昔から出張に行く度に食べてきましたが、ネット社会になる以前から店がありました。そして初めて時差ぼけのまま食べたときは、東京からかけ離れた味に首を傾げたものでしたが、行く度に日本の標準的な味に洗練されていったように思います。もちろん「作り手が頑張った」結果ではありますが、フラット化された場の多様性を示すというよりは、「グローカリゼーション」によって日米の味の同質化が進んだというべきです。

「グローカリゼーション」やフラット化によって照り焼きハンバーガーは生まれても、蒲焼は生まれず、出雲信仰が現代まで伝えられていてこそ「千と千尋の神隠し」が誕生したのではないでしょうか。

明治維新の世、社会構造が江戸時代よりフラット化して四民平等になり、様々な分野の才能を開花させるチャンスが多くの「日本人」に訪れました。光の部分です。
他方で西洋思想という価値観が支配的となり日本古来の多様性は急速に失われました。
ファナティックな廃仏毀釈が起こり、日本の貴重な文化財が失われていきました。これを危惧した一部の人間(多くは欧米人)の献身的な努力によって流失した美術品の多くが海外で保護されボストンやニューヨークで鑑賞することが何とかできています。

 (東京に里帰り中のボストン美術館展~東京国立博物館平成館)

 そして今は文楽が発祥の地の大阪において、歌舞伎の興行的成功と比較される効率化の名のもとに、衰亡の危機にさらされています。これを危惧する文楽関係者に向かって、まさか「サボっている作り手のボヤき」とは言えますまい。
「サボっている作り手」は、そもそも文化の単一化(同質化)なんて問題には関心がなく、ないからこそ金太郎飴のようなコンテンツを作るのですから。

 

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

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